夜明け前
またコロナ不安で学校へ行けなくなってから20日目。少しでも風邪の症状があったら何を言われるかわからない、学校恐い。
21日め、息子は私と一緒に学校へ行くことになった。
不登校状態が続くと学校が作成しなくてはならない書類がわんさか増える。7日連続で休めば長期欠席届けのような書類仕事が発生するらしい。学校の管理職からは、とにかく来る日を決めさせて来させるようにしてくれと頼まれる。どういった意図でそのようなことを言われるのかわからないが、本人の気持ちに寄り添った対応とは思えなかった。学校へ来る日を本人に決めさせて、自分で決めたこと、約束したことは守るべきとかいって学校行けるんだったら今頃行ってるよ。大人になる時、2種類の人種に別れていくような気がする。自分のことしか考えられなくなっていく人、自分以外の誰かを思う気持ちを成長させていく人。残念ながら息子の学校の管理職は子どもたちの心に寄り添うことができるように努める大人とは到底言えないと思った。そんな人、この世の中にゴロゴロいる。そんな学校なら無理して行く必要ないとも思う。が、友達に会うために息子は学校へ行った。
不登校が続いた日々、息子の良いところを3つ毎日伝え続けた。褒める所が見当たらない日でも、ものすごい叱ってしまうことがある日でも、足音を聞くだけで安心するといったことさえも伝えるようにした。不登校になって半年がたった頃からその方法を始めた。1ヶ月半続けたところで息子は学校に通い始めるようになったことを思い出した。最近はなんなく学校へ行くようになっていたので、それを忘れていたが、再び不登校になって20日目、帰宅してすぐ弟が「お兄ちゃん、学校に行ってなのにタブレット見てた!」と告げ口が始まった。お母さん、お兄ちゃんが元気ならそれでいい。とだけ伝えた。その日、保健室から息子あてに手紙をもらった。手紙を読む前に、息子のクラスメイトが児童会選挙で緊張する中、すばらしいスピーチをした、だが落選した。君は彼のスピーチを聞くべきだったし、落選したときそばにいてあげるべきだったことを伝えた。彼は、保健室からの手紙にも息子を待っている友達の話などが書かれていた。息子は「今日、僕は学校へ行かなかったのに、おばあちゃんは600円の苺を買ってくれたんだ。」と半泣き状態。皆に愛されていると感じる心を取り戻すことができた子どもは必ず救われていく。焦る必要はないが、乾いたコップに愛を注ぎ続けることを忘れてはならないこと、人の心に寄り添うことの大切さをまた私は息子に教えられたような気がした。
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主に育児、珍道中日記です。因果があると感じたら、読んでみて下さい。どこかに希望のかけらを見つけられることを祈っています。
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