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海の向こうからの手紙

今日は、8月末に急遽留学することが決まった出身劇団の後輩からの誘いを受け、都内へ出かけた。

昼過ぎに駅の改札で落ち合った後輩は、肩につくかつかないかの長さでまっすぐ切りそろえられ、内側が明るいピンクにもオレンジにも見えるような色に染められたさらさらの髪を手で払いながら近寄ってきた。


彼女は自分が4年代のときに新人として入団してきた後輩だ。
学年も歳も離れていて、自分は演劇経験も多い方ではないし、自己中心的なくせに人見知りなので、学生時代から先輩後輩関わらず他学年から愛されるタイプとは程遠いのだが、なぜかずっと慕ってくれている変わり者である。

久しぶりに会って早々、公園でピクニックをするか、銭湯にいくかの二択になり、彼女は一瞬悩んだあと、「ちょっと、風呂入りたいっすね」と言った。

積もる話はいったん置いて、まっすぐ銭湯へ向かった。


15時より前から営業している銭湯は少ない。
自分は日の差し込むなか、大きな湯船に浸かるのが好きだ。開放感があるし、時間がゆっくり流れているように感じる。

常連客で賑わう脱衣所を抜け、洗い場に並んで座り、持参したシャンプーを半分こした。


仕切りの横から顔を出して渡すとき「え〜!ありがとうございます!」と大声で感謝された。

その後会話はなく、お互いに体を洗うだけの時間が流れた。


街の銭湯の、ジャグジーのボコボコした音や、カランのシャワーが一定時間で止まる音、桶や椅子のコーンと響く音が好きだ。

お湯に入る前から、骨にやさしく振動がはしるような感覚がある。


先ほどシャンプーを手渡したばかりなのに、コンディショナーを手渡す際にも「ええっ!いいんですか〜!?」と新鮮に驚いていた。
自分がシャンプーだけ分け与えてコンディショナーは独り占めするとでも思ったのだろうか。

湯船の温度は適度に熱く、暑さでぐったりしていた体もしゃきっとした。
夏に入る銭湯もまた格別だ。


ジャグジーの湯船に浸かりながら、留学の詳細を教えてくれた。

留学先はフランスで、期間は1年弱であること、もともとはただ行ってみたい程度だったが、フランス演劇に出会い、デザインにも興味を持ち、将来関わりたい気持ちも強まって決めたこと、大学を休学して行くため学校とは別で語学学校にも通うこと、急に決まったので寮やホームステイではなくアパートを借りることなどを教えてくれた。


「いま実家なんで初一人暮らしがフランスなんですけど、全然フランス語喋れないんでビビってるんですよね〜!」とけらけら笑いながら話す彼女を見て、よく言えば思いきりのいい、悪く言えば後先考えない、即行動なところがまさに自分の後輩だなとしみじみ思った。

その後急に各々自分のペースで入浴しだし、完全別行動ののち最初のジャグジーで再会、ともに脱衣所へ戻った。


異国へ行くことで、彼女の人生の選択肢はぐんと広がるだろう。
年齢は自分の5歳下で、私よりはるかにかしこい。
年齢は関係ないとはいえその決断を今できることを心から尊敬した。


自分は、選択肢を増やしに新たな環境に飛び込んだはずが、そこの世界だけに固執してしまい、結果選択肢が狭まってしまった人を今まで何人も間近で見てきたし、実際自分自身も過去そうだったに違いない。

今もじゅうぶん特殊な環境なため、今後そうならないとも限らない。


そんな経緯から、自分も未熟な人間ながら、彼女がフランスに行くことで、彼女が言っていた演劇の仕事やデザインの仕事に将来就くのはもちろん素晴らしいことだし、その世界を見たからこそ、別の選択をすることもそれと同じくらい素晴らしいことだと思う、という話をした。


思い返せば清々しいくらい先輩面をしてしまったけれど、彼女はうんうん聞いてくれた。

ここに来たからにはこれをしないと、とか、反対に、こういう枠にはまったことをしたり流されるのはいやだ、と決めつけてしまうことが選択肢を狭める行動だと自分は思う。


新たな環境に身を置いて、そのままの道へ進むか、別の道に進むか、という選択は、まず新しい環境にきたからこそ目の前に現れた選択肢である。

今それが最善かどうかわからなくても、どちらかを選択することで、もう一方やそれ以外の別の選択肢の良し悪しが初めて分かるものだと思っている。

何よりも、当たり前だがやってみなければわからないし、やって良くなかったと思ったら、これをやったおかげでそれ以外の選択肢を見つけられたと捉えればいい。
その選択肢に出会うことすらできずに苦しむことを考えれば、そこまでにかかった時間に長いも短いもないだろう。


流されまいとすることで作る「らしさ」より、消えるかもしれない何かを恐れず、勇気を持ってえいやと流されてみて、それでも残ったものがその人の「らしさ」であり、個性なのではないだろうか。


正しさは人それぞれなので、周りがどうかはわからないが、自分は常々そう考えて生きている。

彼女なりに不安もあるだろう。
和らげようと、生きている限り時間はいくらだってあるし、間違いだった選択というのはそうないと思うと話す自分に対し、首を大きく縦に振り、
「いや、マジそうですよね!行ってみて、フランス全然好きじゃなかったわ〜!って気付くのもいいですもんね!ありがとうございます!マジで神です!」と満面の笑みで返す彼女のことを、自分は心底かっこいいと思っている。


せっかく留学にいくなら、SNSもやめていこうと思っているので電話番号と住所を教えてほしいと言われた。

海の向こうからの手紙に対し、また先輩面した返事をできるように、彼女のような存在に恥じないように、自分にだけは嘘なく生活していこう。


長くなってしまったので、このあと行った喫茶店で出会ったぶっきらぼうなおかみや、エッセンシャルオイルを一生懸命プレゼンする汗ばんだ中年男性と一切取り合わない上品な女性のお話は、また次回書こうと思う。

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