『場所 → 空間 + 機能 → 建築』 前編

「建築とは何か」
これが自分が建築に関わる上での最重要課題である。これを知るための設計であり、設計が目的なのではなく、設計はあくまでもそれを知るための手段である。

自分の建築への向き合い方は研究である。設計は実験である。このスタンスは多分今後も変わらないし実験を繰り返していくのであろうと思う。

最も「建築とは何か」という課題はふんわりしていて巨大すぎる問題なので、すぐに答えがでるものではないことはわかっているし、死ぬ間際になってもわからないかもしれない。もし、答えが出たとしてもそれが世間一般的な正解とも限らない。

しかし、ただ、知りたいのだ。自分が「建築とは何か」についてどう答えるのか、どう導き出そうとしているのか。自分の中の「建築とは何か」の正解が知りたいのだ。

卒業研究では「建築と場所の関係性」を知ることを目標に行ってきた。そこで仮説として「場所→建築」の式をたて、機能性を排除した純粋な場所からできる建築をつくることで「建築と場所の関係性」を知ろうとした。

今思えばその仮説を立てたのは深い考えがあったわけではない。なんとなく自分が設計課題をこなした中で考えていたものであり、ちょうどその頃読んでいたピーター・ズントーや三分一博志に影響を受けたことからでた仮説だった。

ただ卒業研究が終わった今この「場所→建築」は正解であったとわかった。細かく言えばこの式に足りないものはあるが、とにかくこの式は合っている。
その途中式の解説をしていきたいと思う。

これは他の人に言われて気づいたことだが、自分は数学的であると思う。全てのものに正解があると思っているし、表現が数学的で自分の意志が設計に入ってこず、遠くからいじくっているように見えるのが数学的っぽいらしい。
遠くからいじくっているというと嫌な感じに聞こえるが、恣意的ではないという意味である。
決して数学が得意な方ではなく好きでもなかったが、この表現は自分的にしっくりきているし、自分らしさなのだと思い、気付いてからは積極的に言葉の表現としても使っていこうと思っている。

場所

まず「場所」について話していこうと思う。
「場所→建築」この式を見ると建築というのは場所から始まっているということがわかる。「場所」が何を指しているのかというのは、一旦後にする。

まず建築は芸術の中の1つであると私は思う。
これは建築はただのシェルターとしての機能を超えて、何かを表現するものであり、美しさを求めるものであるからである。この論については香山壽男の「建築意匠講義」でも最初に言われているものであり、多くの人が建築は芸術であると言われて納得ができると思う。

では、他の絵画や彫刻などの芸術と建築の違いは何か。それは動かないことである。その地点に倒壊しないように深く基礎を打たれ人を守るため頑丈なものとなって動けないのである。これこそが建築の芸術としての欠点であり、最高の長所なのである。

建築が芸術として他のものと区別されるためには、この動かないという要素を昇華させる必要がある。そのために場所が建築のはじまりになるのであると私は考える。

このことについて先ほどの「建築意匠講義」でこう述べている。

アメリカの哲学者スザンヌ・K・ランガーは
「建築は、場所の特性を視覚化する」
という言葉で場所と建築の関係を簡潔に表現しました。逆に言えば、場所の特性を視覚化していない建物は、建築と呼ぶことはできないのです。そう呼ばれる資格はないのです。冷蔵庫や、自動車と同じように、工場で規格的に造られたプレハブ住宅を建築と呼ぶことができないのは、それ故です。それぞれ、固有の性質を持つ場所に根ざして建つことに、建築の本質があります。そのことが、建築を、他の芸術作品、他の工業製品から区別するのです。建築は、常に場所に根ざし、その意味を形にし、その建築によってさらにその場所の意味は拡大され、そしてさらに次の建築を生み出していくのです。
 

これは私が1番好きな文章であり、1番建築の正解に近いと思っているものである。これを読んだのはほぼ卒研の終わりであり、1年で自分が出したふんわりと言語化できていなかったものをバシッと言語化してくれたものであり、読みながら自分が考えていたことが間違いではなかったと確信させてくれたものである。

この文からもわかる通り、場所は建築を建築たらしめるものなのである。そのため「場所→建築」は正解であると思う。

そして「場所」とはなんなのか。卒研でも散々聞かれた質問である。
私は「場所は今である」と思う。
「今」とは過去を含むものであり、今この瞬間こうなるためにあったもの全てのことを指す。例にあげると下の図のように地形や歴史、文化、人、環境などである。上げ始めるとキリがないが、場所とは今こうなるためにあった事物全てである。


そして、場所から作り出された建築はできた瞬間に場所に吸収されていくのである。その場所の1つの要素となるのだ。建築を設計する時に1番責任を負わなければいけないのはここである。

できた建築が場所に吸収され、場所になった時、そこが今までよりも良い場所でなければならないのだ。そうでなければ設計する意味がない。良い場所の定義は各々場所によって違うし、それがコミュニティ的な何かなのか、風景的な何かなのかはわからない。しかし、今までの場所よりも良い場所にすることが設計において1番重要である。

良い場所の定義こそ建築家の個性であり作家性の部分であると思う。それぞれが考える今よりも良い場所になるための方法、手段、形が違うだけなのである。

「場所→建築」の続きは「場所→建築→場所」なのだ。

ここまで場所について話してきたが、私の考えを当たり前だと思うかもしれない。特別なことは何も言ってないだろうと。しかし、「建築とは何か」という大きすぎる問題の解答として当たり前の答えが出るのはそれこそ当たり前だろう。逆に私の考えが当たり前だということは世間一般的な「建築とは何か」の正解に近いのであると思う。
私は「建築とは何か」という自分の回答に独自性を求めているわけではないので、そこはあまり気にしないでほしい。

ここまで「場所→建築」について話してきたが、次回「場所→空間+機能→建築」についてまとめていきたいと思う。


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