障害者って言われたくはない

テレビでも、新聞記事でも、ネットでも、発達障害という文字を見たら反応して視聴してしまう。

なので、どんな媒体だったか忘れたのだが

「発達に偏りがあっても、それで生活に困難が生じていない人もいる。凸凹を持っていることで日常に支障があることが、発達【障害】なのだ」という文言を聞いた。

たしかにそうだ。

例えば、身体的に健常であるわたしは、例えば視覚に不自由のある人をお手伝いすることができる。同じ電車から降りて、白杖を持ってホームで何か困っている様子の人がいれば、迷わず声をかけるだろう。新幹線に乗り換えたいが、初めての駅なので戸惑っていると言われれば、駅員さんのところにお連れするくらいのお手伝いは何でもない。その人にはできないが、自分はできることなのだから。

…こんな風に、わたしが苦手なことを周囲が理解して少しだけ協力してくれれば、わたしは「障害者」ではないと思う。発達「障害」でなく、「凸凹」と名乗れると思うのだ。障害者というと、みんな、自分とは違う種類の人間だと身構えてしまうだろう。けれどもわたしは、今まで学校や職場である程度同じ時間を一緒に過ごした人たちに聞いてみたい。

わたしのことを障害者だと思ったことがありましたか?

ただ、少し(あるいはかなり)変わったところのある人だと思っただけではないですか?

差別ではなく区別として、「障害」「障害者」という言葉が必要であることは理解できるのだが、

わたしのように自認して医師の診断も受けている人間はまだしも

まだまだ一般的には「自分たちとは違う、特別な人」だと思われていることが多い。

【釣りが好きな人】【歌が得意な人】【料理が苦手な人】【耳が不自由な人】【移動の際には車椅子を使う人】

そして、わたしなら【算数と理科が苦手な人】【英語が得意で読書が好きな人】【すごく色々なことを知っている人】などと認識してほしい。


できないことだけを取り出して、障害者と呼ばれたくはないなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?