汞(みづかね)
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汞(みづかね)
古い体温計を割ってしまった。
ころころと中身の水銀が転がりだし
慌てて始末をする。
ころころと飛散した粒を、手で触れないように寄せてやると
どこかのゲームのスライムのように結合して
ふるふると纏まってきらきら震えている。
慎重に始末を終え、息をつく。
端末を立ち上げると、聞きなれた声が溢れて
心が躍る。
声が聞こえる度に
くすぐったいような
嬉しいような
誰かとの会話が聞こえる度に
置いてきぼりのような
いらつくような
私の名前が呼ばれる度に
付いてないはずの見えないしっぽは
ブンブンと旋回して露呈して
誰かの名前が呼ばれる度に
重いものでも飲んだかのように
みぞおちも視線も重くなり
鈍い銀色の隙間に落ちていく。
昔、不老不死の薬として、
水銀を飲み続けた皇帝がいたんだって。
辰砂(しんしゃ)という名の赤い鉱石は
「賢者の石」とも「竜の血」とも呼ばれて
熱することで、赤い石から銀色の液体、
赤い砂、黒い砂、そしてまた銀色の水銀に変化する。
冷めたら戻る、のではなく
更に熱すると振り出しの形態に戻って繰り返す。
その不思議な永遠性が不老不死を感じさせたんだろうか。
永遠を願って、欲して、よかれと信じて飲み続けたのか。
永遠も不老不死も願っていないのに
私が欲しいのはむしろ「今」なのに
飲み込んだ言葉だか気持ちだかが
熱せられて熱せられて、銀色の水銀に形を変えていき
澱(おり)のように蓄積して私の心を重くする。
比重が重すぎる銀色は
そこから流れず、誰にも混じらず、さりとて固まらず
己だけで完結して、静かにそこにいる。
熱すれば熱するほどに
振り出しに戻って永遠の淵に沈んでいく。
まるで前世の咎を背負っているかのようだけど
このゆるやかな責め苦にもじきに慣れる。
毒を帯びた、銀色の液体に浸食されるのを受け入れたら
私は、ふるふるとそこにいて、きらきら震えるのだ。
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