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武士は言わねど高楊枝?

私は言いたいことはあまり言わない人だった。
それがすこし変わったのは私の友人の影響だろう。

高校時代からの友人であり、近いところに住んでいないが電話をよくしたり、共に勉強をしあったりする気心の知れた友人である。

大学に入ってからはお互いにたまに電話をする、夏休みなどに年に1度は会う、くらいにしか関わっていなかったが、今年1年でよく電話をするようになった。
それはその友人が話しやすいと私自身が気づいたからだ。
それは私の頭と友人の頭の中身に共通のものが多いからだろう。
それぞれの経験は違うが考え方が似ていたり、意識していない言語化できないようなことが共通して頭の中にあるからだと思う。
共通のことがなければ、理解することは難しい。それは概念の中にないから。

そんな私の友人に悩んでいることを話した。
その内容は別の友人に思っていることを伝えることが良いかどうかということだった。

私は思っていることを言うつもりはなかったが、ただ虚しかったから、おかしいということを誰かに聞いてほしいと思って友人に聞いて欲しかっただけだった。

友人はそれを伝えるべきだと言った。
それはその友人のためにも伝えるだと言う。

たしかにそうだと思った。
思っていることを伝えれば少し気まずくなると思っていたので、関係が壊れるのにびびって、言いたいことを我慢していたが、伝えて相手のためにも自分のためにも言おうと思った。そして、それを伝えた時に相手がどう思っていたか、何を考えていたかも聞こうと思った。
それが歩み寄ることだと思うようになった。

そのあとその友人に思ってることを伝えて、やっぱり気まずくなってしまった。

でも、自分の中で多少スッキリはしたし、自分は間違っていないと思えたので、よかった。相手のためになったかどうかはわからないけれど、、

それから堰が切れたように思ったことは言えるようになったと思う。

だが、もののけ姫を映画館で見てから少し変わった。

コロナの影響もあり、ジブリをもう一度映画館で見ることができ、何作品かあるうちのもののけ姫を一人で見に行った。
見る前に少しネットを漁ってもののけ姫は実はアシタカの物語だという情報を元に見に行った。
私は子供の頃に何度か見たことがあり、その時は怖いと思ったり、サンが可愛いと思ったり、自然が綺麗だとしか感じなかったと思う。ネットのデマかも知れない、そんな知識では大して今までに見たときと反応は変わらないだろうと思い、映画館に足を運んだ。
1度食べた美味しいものも2度目の感動は少ないのと同様に慣れてしまっているだろうと、、

ただ、見ているとき2.3回泣いてしまった。
これまで一度も泣いたことのないもののけ姫で、、
一番泣いてしまったのは、アシタカがタタラ場を出て行くシーン。サンとエボシ様の戦いを止めて、心臓近くを撃ち抜かれながらも人外的な力で扉を開けていくシーン。
誰もがカッコよく思うあのシーンで、町の女とすれ違う時のアシタカの表情を見て泣いてしまった。
その時、アシタカは笑った。

サンやエボシ様たちが争っているのを見て、右腕の呪いが疼くくらい感情が高ぶり、それでも理性を保って戦いを収めたアシタカの感情は胸を打たれた痛み以上に怒りや憎しみがあったと思うが、それを悟らせないように笑顔を見せた。

自分の辛い時、弱い時こそそれを悟らせないように強くあるアシタカに感動してしまった。

自分の思ったことは言わないといけない。
言葉にしなければ相手に伝わらない。だから話そう。
私はそう言われたことが何度もある。
たしかに言うことが良いことは多い。ただ思っていることをぶつければ良いという話ではないが、伝えることが正しいことも多いと思う。

しかし、これからも私は自分の気持ちはあまり伝えないと思う。
アシタカのような'強さ'を持つ人になりたいから。

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