初投稿に気合いを入れていたら、人間が失格した。

太宰治はすごい。
どうすごいのかと問われれば、もうね、遠い雲の上の存在。
そこにいるのは神か、太宰治である。

僕が太宰治に出会ったのは、小学生の頃だろうか。
教科書に載っていた走れメロス。
メロスは激怒したり、走ったり、裏切ろうとしたり、とにかく多忙だ。
現代であれば、過労死問題の一端を担っていたであろう。
小学生だった僕には、作品の良さがわかるはずもなく、その時は太宰治に長いお別れを告げた。
さらばメロスである。

再び出会ったのは、ただいるだけを目的とした仕事をやっていた時だ。
そんな仕事はないのだけれど、アクションが起きない限りなにもなく、そう、あの日は本当に何もなかった。
世界と僕が、突如切り離されてしまったかのようだった。

こんなことしていると生きていることを見失ってしまいそうだ。
人間失格だ。

そんなわけで、僕は人間失格の書き写しをはじめた。
暇すぎて、脈絡がないことをやりはじめた。

とくに目的もなくはじめた書き写しに僕ははまった。
落とし穴であればすっぽりはまりすぎて、もう出られないぐらいに。
実際出られなくなっていた。

あれ?太宰治に小説が書けるのであれば、僕にも書けるはずなのではないだろうか。
太宰治をペロペロと子犬のように舐め切っていた僕は、小説の執筆作業にとりかかる。
書けなかった。
5行ぐらいで、主人公は世界を救った。

あれ?太宰治すごくない?

それからいろいろな文豪を読み漁った。
中には難解で、読むのを諦めた作品も、もちろんあった。

でも、古いもので言えば、100年前のエンターテイメントが今も読まれているわけだ。
それが面白くないわけがない。
そう感じるのは、僕がその域に達していないからではないか。
悔しい。

それから腐るほどに小説を読んだ。
読めば難解な作品も読めるようになるはずだ、と思ったからだ。

一度書いてみた身からすると、作家の方々は、なんでこんなの書けるのだろう、と感服しながらも読んだ。
ありえへん、ありえへん、とか言いながら読んだ。
僕の中に眠っている関西の血が、突然騒ぎ出した。
僕は関西に住んだことがないので、そもそも起きるはずもない。

で、ついには再び書きたくなった。
背中が痒くてむず痒いように、書きたくて仕方がなかった。

書いてみると、やはり難しい。
書きたいところに手が届かないのだ。

これから書きまくって、全身に手が届いて、書きむしれるように。
書くぞメロス。


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