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殺人事件の映画化と、盟三五大切

『盟三五大切』を読めたらご立派、もう卒業。何から卒業するのか分からないけど。居丈高に言っちゃう。ご立派。読めなかった人は最後まで読むと、どこかに答えが書いてあるので注意しながら読むように。
以前、コクーン歌舞伎で観た、と言ってもWOWOWでなんだけど、主人公に対してあれほど突き放した描き方をしたのは感動を覚えた。まあ、当然と言えば当然だけど、あんな凶悪犯に寄り添えない。寄り添いたくない。演出は串田和美氏。
しかし『盟三五大切』は完全な作り話。実話を元にしてないよね? え? 違う? まあどっちでもいいや。あそこまで突き放した描き方をしているなんて、えらく感服した。

実際にあった殺人事件をモチーフにした映画は多くある。それらが犯人を突き放して描いているかどうかをみてみようと思う。
突き放すのが良いのか悪いのかという話ではない。

まずは市原両親殺人事件をモチーフにした長谷川和彦監督『青春の殺人者』は犯人を突き放した描き方をしている。そんな映画に興味ないと思っている人には、原田美枝子がティーンのときのオッパイが見れると書いておこう。この突き放し方、大好き。

ポートアーサー事件をモチーフにしたオーストラリア映画『ニトラム/NITRAM』は、さほど寄り添ってはいないけれど、もっと突き放した描き方をしてもよかった。主人公の殺人者よりももっと突き放したい奴が出てくる。あのサーファー野郎、ムカつくわ。

コロンバイン高校銃乱射事件をモチーフにしたガス・ヴァン・サント監督『エレファント』は寄り添っているとかいないとか以前に、加害者と被害者全員に寄り添っている。事件を起こした二人の切ない感情まで描いている。キスなんてしちゃって。

さてここで問題になるのが『REVOLUTION+1』だ。しかーし、私は未見。だから何とも言えない。今後、サブスクで配信する予定もなさそうなので、これからも何とも言えない。金払って借りるつもりもないので、何とも言えない。何とも言えないが、想像で話してみようと思う。
私は例の事件を卑劣なテロと断定している。その上で、いかなる暴力とテロを認めないと言うことを前提に書き記する。しかも想像で。

ロフトプラスワンで行われた試写会の様子を見た限り、作り手と観客(ジャーナリストと著名人含む)たちは「安倍晋三が死んで嬉しい、できればこの手で殺したかった」と言っているように感じた。てか、「山上様」とか言ってるんだけど。
もし本当に作り手がそう思っているならば、山上某の犯行に乗っからず、そのまま喜びを描けばよかったのではないだろうか? 新興宗教団体に狂わされる過程に乗っからず、「死んで嬉しい! できればこの手で殺したかったけどね!」と描けばよかったのではないだろうか? まっすぐ、そのまんま自身の気持ちを。
しかしそんなことを描いたら叩かれる。炎上する。それを恐れたからこそ淡々と事実を描くふりをして、未だに忘れられない革命ごっこを投影させたのではないだろうか。
それは作家島田雅彦がネット番組で発言した内容によく表れている。
「また顰蹙を買うかもしれないけど、いままで何ら一矢報いることができなかったリベラル市民として言えばね、せめて『暗殺が成功して良かったな』と」
と、観てないのに想像でここまで語ってみました。

さて、『盟三五大切』は何と読むか? ググりましょう。

それにしても観てみたいなあ、市川猿之助主演の『盟三五大切』を。