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【ロボット同士の間に家族愛はあるのか】『映画ドラえもん のび太とロボット王国』から考えるドラえもん心理学

こんにちは。バナナ星です。

今回は、【ロボット同士の間に家族愛はあるのか】をテーマに論じます。

このテーマを思いついた契機は、『映画ドラえもん のび太とロボット王国』でした。
この作品では、人間とロボットが共存する世界が舞台となります。
作品のテーマとしても「人間とロボットとの間に生まれる愛」は外せないと考えています。

しかし、本記事では特に「ロボット間の家族愛」に注目して考察します。


テーマ設定の理由

なぜテーマを【ロボット同士の間に家族愛はあるのか】に設定したのか。

それは、映画の登場人物であるマリアとポコの関係性について疑問を抱いた空である。

マリアとポコはロボットの親子である。マリアはポコの母親でありながら、王国の女王ジャンヌの養育係も務めていた。ポコはジャンヌと共に育ち、弟のような存在である。

マリア
ポコ

一般的に議論されるのは、「人間とロボットは家族になり得るのか」という問いである。
この問いに対し、当作品(の監督)はおそらく"YES"と回答するだろう。それはこの物語の結末を観れば納得してもらえると思う。

人間とロボットとの間に家族愛が成立するのは、共に過ごした時間によるところが大きい。ジャンヌはマリアやポコと幼少期から生活を共にしている。
そのため、たとえプログラムされたロボットだとしても彼女にとっては家族同然の存在だと言える。

一方、マリアとポコはロボット同士の親子である。つまり、2人は親子であることをプログラムされたうえで誕生している。
血縁関係も共に過ごした時間もないが、生まれた瞬間から母と息子の関係を義務付けられている。

このような2人に家族愛は存在するのだろうか。

本論

マリアとポコの関係性を現実世界の私たちに置き換えてみると、養母と養子の関係に近いと考えられる。
それは、以下の2つの特徴に基づく。

  1. 血縁関係がないこと

  2. ある特定の瞬間から親子関係を結ぶこと

2つ目の特徴の「ある特定の瞬間」とは、養母と養子の場合は養子縁組を決めた瞬間を指し、マリアとポコの場合はロボットとしてプログラムされた活動を開始した瞬間を指す。

したがって、養母と養子の間に家族愛が成立するならばマリアとポコの間にも同じことが言えると考えられる。
けれども、話はそこまで単純ではない。

個人的には、養母と養子の間にも家族愛は成立すると考える。ただし、そこにはやはり共に過ごす時間が必要であり、契約を結んだ瞬間から愛が生じるケースは稀なのではないだろうか。
もちろん、養母側が養子に愛着を抱くことはあり得る。しかし、養子側が突然「親」という立場になった大人を本当の親として受容するには時間を要するだろう。

つまり、養母と養子の間に家族愛が生まれるまでには一定の時間が必要であり、その条件が達成されればロボット間にも家族愛が成立するかもしれない。
※あくまで推測。私自身には養母や養子の経験がない。

なんだ、結局時間の問題に帰するのかと思われるかもしれない。
それはそうなのだが、マリアとポコの問題はまだ解決していない。

この親子は、ロボットとしての生を受けた瞬間から「家族」であり、「家族愛」をもっていたのである。
※あくまで推測。厳密に作中でそのような描写があったわけではない。

養母と養子の場合は、養子縁組を結んだ瞬間から「家族」ではあるが「家族愛」はまだ成立していない。

この違いは大きい。ロボット同士の場合は、家族愛という感情までプログラムされているからである。

個人的見解

以上の考察を踏まえると、本稿の問い【ロボット同士の間に家族愛はあるのか】の答えは、"Yes"とも"No"とも言えない。
プログラムされた家族愛を家族愛として認めるのであれば"Yes"だが、その愛は人間同士の家族愛と質が異なる。

そもそも、現代の技術ではロボットが自発的に知識を身につけることは可能でも、自発的に感情を学習させるのは難しいとされている(参考:ロボットに感情を持たせることはできるのか)。

もしロボットが感情学習能力を獲得したとして、そのようなロボット同士が一定の時間を共に過ごした結果生まれる家族愛があるならば、
その家族愛は私たち人間同士の家族愛と類似すると言えるだろう。

終わりに

【個人的見解】で述べたように、前提としてロボットが感情を学習できるようになるまで、ロボット同士の家族愛は成立しません。

ChatGPTのように今日の技術革新は目覚ましく、想像の遥か上の上の上のロボットがいつ生まれてもおかしくありません。

けれども、感情機能の搭載はハードルが高いと考えています。
人間の心理すらブラックボックスであり解明されていない領域ばかりです。
そんなわからないものだらけの心をロボットに搭載するのは難しいでしょう。

今回はロボットの感情機能に注目しましたが、この映画を観てもう1つ気になったのは、ロボットの見た目は変わらないのかということです。
ドラえもんは人型ロボットではないので疑問に感じませんが、
人型ロボットであるマリアとポコはどうなのでしょうか。

特にポコはジャンヌの幼少期から現在まで全く見た目が変わっていません。
ジャンヌからすると、最初は同い年くらいの友だち(家族)だったのに、いつの間にか年の離れた弟のような見た目になっていきます。肉体的に成長するのは自分だけ。
意外と違和感なく受け入れられるのか、やはり人間とロボットの差異を感じてしまうのか…。

いつか私もロボットの家族をもってみたいです。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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