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DAY50)裸眼力とパンチャコーシャ

「日本人はよくメガネをかけている」。なぜだろう。文化的に、風土的に、なぜ日本人はメガネをかけている人が多いのだろう。いや、実はそんなことはないのか。それは先入観だったり、メディアからの刷り込みなのか。

さてさて、今日はそれがテーマではない。今日のテーマは「コンタクト」と「裸眼」の話である。一般的に、コンタクトをしている人に対して「あなた、コンタクトしているね」とは思わないだろう。でも、その人はコンタクトはしているわけである。こちらからしたら、コンタクトとしていても、裸眼でも、見た目では分からない。

では、本人はどうだろう。そりゃもちろん、本人はしているか、していないか分かっているに決まってる。

ではでは、色眼鏡はどうだろう(ここでいう色眼鏡とは「先入観を持ってものを見ること」の意)。あなたは、自分が色眼鏡をかけているか分かるでしょうか。僕自身、「かけていない」と思う一方で、「ほんとうにそうか?」と自信のない自分も存在しているのは確かである。


今日の授業「哲学」や「保育学特論」でそんな話題になったように感じた。実は、我々がいま思っていること、つまり我々の思想は、自分が思っている以上に、いや意識以上に、要は無意識的な部分で、様々な過去からの影響を受けて形成され、知らず知らずに色眼鏡をかけているということを知った。

僕自身、色眼鏡を持たずに、つまり先入観を持たずに行動したいと思っているが、無意識的に行っていることもあるが、それ以上に自分の思考や思想は過去からの影響、つまり自分が生まれるずっとずっと前からの影響が大きいということだ。先人が考え行動してきて伝承されてきた文化から僕らの考えは作られている。そして僕らはそれを知らず知らずに持っており、あたかも自分が経験したことのみで自分は形成されていると感じているのだ。あぁ、浅はかだった一方、面白い視点だし、そんな視点を見つけた偉人にBIGUPである(ただ文化の継承も、文化富と文化悪があって、僕らはそれらを両面を引き継いでいるのだ)。

例えば、僕らが持つ「子ども観」および「保育観」って、自分の成育歴や保育教育歴、今までの経験のみならず、先人のデューイ、ピアジェ、ヴィゴツキー、倉橋、津守、はたまたソクラテスにプラトンなどなど、ここには書ききれないほどの先人・偉人が考え作ってきた概念や行動の中から生まれているように思う。また、ここにはあがらないような小さき声を持った人々の存在も大きく影響しているかもしれない(大きな声や影響力が善でも正でもあるとは限らず、小さき声が悪でも誤りとも限らない)。

「「僕ら保育者の思想、子ども観や保育観は、実は知らず知らずに形成されていたことかもしれない。だから改めて考えてみよう」って思うことも、ときには立ち止まって必要かもしれない」と思った夜でした。ときには裸眼で、そして裸体で、自分と世界とぶつかってみたいものです。そう考えたらいつも裸眼で裸体な愛猫ここねねがさらに愛しく思えてくる笑

ここ
ねね

なんて可愛いんだ~~
本能のままに過ごしてる彼女らに癒されます。


それはそうと、この裸眼や裸体について、ヨガ哲学に似た考えがあります。それは「パンチャコーシャ」と呼ばれます。

簡単に言うと、僕らの本質は魂・真我(プルシャ)であるが、5つの鞘で覆われており、本質に気づきくい。その鞘は、玉ねぎの皮のようなもので、本質を5層で覆っている。だから、ヨガの練習を続け、その鞘を今ずつ取り除いていこうということだ。実は、この身体は僕自身でなく、このマインドも僕自身ではない。本当の自分は魂である。それを見つめるためにヨガを続ける。

ヨガ哲学@オリジナルノート
ヨガ哲学@オリジナルノート

僕は仲間と「えどぴのヨガ部」をやっています。
毎週火曜日21時15分からです。インスタライブで30分くらい。
良かったら遊びに来てくださいね✨

詳細はインスタアカウント「aurorajourney5298」からどうぞ

次回noteのタイトルは「「青春はパンクロック」と「子どもらしさとは」」です。お楽しみに~♪♪


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