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問い「年少者から学ぶ」

先日の研修「馬から学ぶ」で、僕が持った「しょうちゃんから学ぶことが多かったな~」また「ももちゃんから学ぶことが多かった」という想いについて書きたいと思います。

大前提としてそれぞれ一人の人間であることを踏めまえた上で、「しょうちゃんは僕より年下(年少者)である」「ももちゃんは僕と同じ思考性かもしれない」という想いから「自分と違う立場の人(第三者)だからこそ、その人との対話や、その人を見ることで、自らを客観視できたり、自分を捉えて直すこと」が出来たように思う。

「自分を知る」つまり自己認知には色んな方法がある。例えば、一人で内省・省察して自己認知する、他者と対話し問いや気づきを直接的および間接的に受け取り自己認知するなどが考えられる。今回の研修は両面あるが、今回は特に後者に焦点を当てたいと思う。

今回の研修では、後者「他者と対話し問いや気づきを直接的および間接的に受け取り自己認知する」という視点からみると、特に、しょうちゃんから学んだことも多かった。これは僕自身が普段から感じていることだが、「年少者から学ぶことが多い」(年少者に限らず第三者から学ぶことは多いが、今回は年少者からの学びに焦点を当てたい)。これは①保育者と後輩保育者との関係、②保育者と実習生との関係、③保育者と子どもとの関係のように、本来「年上や経験者から学ぶ」というベクトルとは違う、「年少者から学ぶ」ベクトルであり、僕自身経験的に思う確信であり、これから研究しがいのある問いのように感じる。

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例えば、実習指導において、本来、実習生に指導する立場である現場保育者から「実習生から学ぶ」「実習生から刺激を」という声を聞くことがある(実際に言っているのは管理職者であったり、実際に保育現場で実習生を受け入れる保育者はどうか分からないが)。この視点や眼差しは、保育者にとって重要であるように思う。これは「教える」という眼差しから「学ぶ」「共に育つ」という視点であり、本来、実習生を育てる教えるはずであった保育者にとって重要な視点に思う。

では、僕ら保育者は年少者から何を学んでいるのか。どんな視点で年少者を捉え、どんな気づきや学びを得ているのだろうか。そこを研究してみたら面白そうと強く思う。僕自身、保育者である一方、基盤は「共育者」でありたいと思っている。年少者に限らず、人間以外に生き物から学ぶことも多いし、全てのモノコトから学びはあると思っている(学び取れるかは別の話だが笑)。

しかし、一方「「実習生から学ぶ」という視点、引いては「年少者から学ぶ」という視点は、保育者誰もが持っているものなのか」という問いも生まれる。これは一部のものだけが持つ思いなのか。はたまた熟達化の過程で得るものなのか。であれば、どんな過程や契機で得るにだろう。これらは研究するのに、とても良質な問いであるように思う。

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これで達したわけではないが、今回良質な問いに出会ったと思う(研究指導の雑談から広がり、2時間話し続けた中で生まれたものだ)。大学院に入って「自分に研究の“核”に出会いたい」と思っていた。その“核”と出会うことで、それが研究の炎になり、肥やしになる。研究指導の担当教諭からも「研究は敵を見つけることでもある」と言われ「あれ、あなたはもっと尖っていると思ってた」「意外と丸く、受け入れるのね」とも。個人的にはそんな自分の肯定しているが、研究には肥やしが必要だろう。

しかし、今回、敵ではなく、ずっと大切にしてきた「共に育つ」という想いを自分の奥底から拾い出すことが出来た。なんか嬉しい。

しかし、研究テーマを固定するにはまだ時間はある。個人的に7月末までに決めようと思っている。だから「7月までは視野を広げて、色んな問いと出会って、色んな自分の感情に出逢いたいな~」と思っています。

いつも読んでくれてありがとうございます。これからも紆余曲折しますが、そんな僕の曲がりくねった道を楽しんでもらえたら幸いです。

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