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翁長県知事の激励行動に参加しました。

2022年のコメント
 1998年沖縄県知事選挙で「反基地か経済か」との、電通を使った大キャンペーンで、太田昌秀が自民党推薦の稲嶺恵一に敗れ、それ以来、沖縄県知事選は今に至っても、「反基地か経済か」に人びとは惑わされている。
 ここで言う「経済」というのが、未来に向かって希望のある、安心して暮らせる社会を目指すといったものではなく、基地を抱え、標的になるやもしれぬ不安は置いといて、いま、ただ華やかに、賑やかに、おもしろおかしく過ごせればいいといったものであることは明らかである。
 人びとは札ビラに弱い。選挙ごとにばら撒かれる札びら。信じられないかもしれないが、私は地方の寺の住職であった祖父と共に、その寺を守って来た伯母が、選挙のたびに菓子折りを持って挨拶にくる保守陣営の、その菓子折りの菓子の下に、現金が敷いてあると、何度も聞いたことがある。地方の浄土真宗の末端の寺は、一つの字の人びとの拠り所になっていたので、表を取りまとめることが出来る存在だったのだろう。
 今回の沖縄県知事選は、明確に辺野古新基地建設に反対する現職の玉城デニーがゼロ打ち勝利だったが、那覇市長選は、オール沖縄が負けた。オール沖縄も経済からボロボロ崩れていった感がある。「かりゆしグループ」、「かねひでグループ」といった具合に。おそらく、やはり金の力に勝てなかったのではないかとの思いがある。これらの企業は、仕事の受注が減ったとの情報もネット上には流れていた。
 沖縄の選択肢はこうだ。
 「基地を抱えた標的の島として、その不安を紛らわすための一見華やかな世界か、質素でも、安心して過ごせる基地のない世界か」。
 タイトルの写真は、会見会場の前に集まった県民。

2015年4月5日
緊急行動にもかかわらず、大勢の人が集まる沖縄!

 翁長県知事と菅官房長官の会見が行なわれるので、みんなで翁長さんを応援しようという声掛けがあって、早朝から県庁前の県民広場へ行った。
 当然会談は、県庁で行われるものと思っていたのだけれども、15分くらいで集会を切り上げて、会場であるホテルへこれからみんなで行って、激励するという。私は、なんで県庁でやらないで、ホテルなんだろうといぶかしく思いつつ、ぞろぞろとホテルへ向かう道を皆と一緒に歩いて行った。途中、「ANN」という文字が電柱にあったので、全日空ホテルなのかと思いながら、一方通行の狭い道をのさらに狭い歩道の坂を登って行った。
 ところが途中でストップ。坂上の方で、警察が行く手を阻んでいる。一緒に歩いていた人びとは、若い警察官に向かって、あんたたちもウチナンチューでしょ。誰を守るの? 県民を守るんだよ! と声をかける。
 ともかくそれ以上先に進めないので、そこでしばらくの間待機してたら、警察に交渉しても埒が明かないので、半分の人は回り道をして、警察の阻止線の反対側に行ってくれとの指示。私は、そこに残ることにした。
 さらにしばらく待機していると、一方通行の坂の下の方から、翁長知事を乗せた車が上がってきた。一斉に、拍手とがんばれコール。知事は車の窓を開けて、左右の人びとに両手でこぶしを上げて、答えていた。
 会談終了後、菅は警察に守られて裏口から逃げるように那覇空港に向かったとの報告があり、警察も引いたのでホテルの前に行く。ホテルから記者会見が終わって知事が出てくるところを待ちかまえて、ふたたび、みんなでがんばろうコール。知事はこぶしを上げて、答えていた。
 いぶかしく思っていた会場であるホテルのことを、かえってから調べたら、とんでもない場所であったことが判明。実にいやな政府だ。沖縄県民をほんとうに愚弄し、アメリカ政府のかわりに、自分たちが植民者として沖縄を支配しているんだという意識が、会場選択にも現れている。
 その会場は、以下のような場所であった。
 この会見で、翁長県知事は、正にこの、キャラウェイ高等弁務官の発言を、引いて、菅の言葉を批判した。

 ハーバービュー・クラブ(はーばーびゅー・くらぶ、Harborview Club)は、那覇市にあった琉球列島米国民政府の職員などの在沖アメリカ人による会員制社交クラブのことである。1952年に開設された。正会員はアメリカ人が中心であったが、琉球政府高官など政官財各界の指導階層も名誉会員にしており、社交の場として盛んに使用された。そのため、別名「沖縄鹿鳴館」とも呼ばれた。
 キャラウェイ高等弁務官の「沖縄の自治は神話にすぎない」発言は、ここでの席上で行われた。
 館内のレストランや売店は免税措置がとられており、1960年当時ウイスキーの水割り1杯が15セント(当時の為替レートで54円)であった。
 また高額配当が出るスロットマシンが設置されており、利用者が大金を注ぎ込んだ。復帰後は同クラブは廃止になり、1975年に「ハーバービュー」の名を冠する全日空系のホテル「沖縄ハーバービューホテル」として再スタートした。【Wikipedia】

会場のホテルへ向かう翁長知事両手を上げて、沿道の左右の激励に答える。
会場から出てきた翁長知事。またしても、ともにがんばろうの声が上がる。
菅は裏口から逃げるようにして、那覇空港へ向かったとのこと。


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