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松本光司先生の「松本塾」

2020年のコメント
 川口湖畔で多くの時間を割いて、料理をお教えいただいた松本光司先生は2014年1月に突然お亡くなりになりました。そのころ、東京方面に暮らす知人が次々と突然亡くなったのですが、松本先生もそのうちのおひとりでした。川口湖畔のマクロビとティクの宿アルカンシェールの総料理長として、それは見事な玄米菜食の会席料理を、何度も頂きました。
 
松本光司先生の死を追悼した山口泉さんのブログには、懐石料理の写真がたくさんあります。私たちは、誕生日や年末年始に訪れては、楽しいひとときを過ごさせた頂きました。
 タイトルの写真は、マクロビオティックの基本惣菜、金平牛蒡。

この年は、あるホテルの和食レストランの料理人が研修のため参加したので、男性が多いです。
前列左から2番目が松本光司先生。2列目左が私です。

2010年11月22日
せっかくなので、皆さんに読んでいただきたくて……。

 河口湖畔で行われている松本光司先生主宰のマクロビオティック「松本塾」。その1期生としてさまざまに学ばせていただき、師範科を修了しました。その最後の課題として、提出したものを、せっかく書いたので、皆さんにも読んできただきたいと思い、アップしました。
 よく、何がきっかけで、マクロビオティックに興味を持ったのですか? と聞かれるのですが、これを読んでいただければ、お分かりいただけると思います。
 松本先生は、リマ・クッキングスクールの校長を務められてもいらっしゃるので、その師範科でも、師事させていただきましたが、さらにマクロビオティックの、とりわけ日本料理をお教えいただけるということでしたので、1期生として入塾させていただきました。
 ご一緒させていただいた方々は、それぞれ料理教室を主宰したり、料理のプロとしてお仕事をしている方ばかりでしたので、さまざまに刺激を受け、学ばせていただきました。
 ありがとうございました。

私にとっての「マクロビオティック」

 私が育った家の食事をあらためて見直すきっかけとなったのは、2001年、半年足らずの間に妹と母が相次いで病気で亡くなったことでした。妹は婦人科系の癌で、母は骨髄に起因する、いわば血液の癌でした。
 父は、いわゆる生活習慣病のデパートのような状態でしたので、その10年ほど前に脳梗塞で70歳の生涯を閉じました。胆石・痛風・動脈硬化・心筋梗塞・脳梗塞を次々と経験しての結果でした。

 典型的な東京の核家族の主婦だった母の作る我が家の料理は、アメリカの占領政策の一環として行なわれた「キッチンカー・キャンペーン」に乗せられるがごとくに、洋食か中華料理で、父の最も好きな食べ物は、脂の多い肉でした。
 我が家の食卓には、牛肉100%のハンバーグ、肉がごろごろする酢豚、牛薄切りの唐揚げ、カレーといえばビーフ・カレー、バターたっぷりのビーフ・シチューやクリーム・シチュー、厚切りのロース・カツ、お茶漬けは一口カツ茶漬け、常備菜は牛薄切りの佃煮などが並び、マクロビオティックで作られるような野菜の惣菜は、ほとんど姿を見せたことがありません。
 とりわけバターは、常に食卓に置いてあり、私たちは、せんべいにもバターを塗って食べるほどで、マヨラーならぬ「バタラー」一家でした。
 おせち料理ですら、横浜の中華街で買ってきたチャーシュー、シューマイ、豚の網脂をたっぷり使った巻き揚げ、ロースト・チキン、ロースト・ビーフなどが主役で、黒豆やお煮しめなどは、誰も手をつけず、いつも残ってしまうと、母は嘆いていました。
 
 母も肥っていたし、妹は肥満児のはしりで、とっても太っていて、誰も私の妹だと信じてくれないような容貌でした。もともとやせ型の父も、だんだん肥ってきて、立派なお腹をしていました。
 私だけが、極端に痩せていたのですが、それは「1日2食」だったからです。
 なぜならば、私が小学校に入った1950年代後半の学校給食は、とてもまともな食事とは言えないような不味いものでした。とりわけ脱脂粉乳は、どんなに迫害を受けても、絶対飲みませんでしたし、パンは石油の臭いがするので、食べずに持ち帰りました。おかずは、もやしが生臭いけんちん汁や申し訳程度に具が入ったソース焼きそば、甘ったるいドレッシングがかかったキャベツのコールスロー、固くて噛み切れないクジラ肉のステーキなどが、無造作にアルミの皿やボウルに盛られていました。
 
 子どものころの私は梅干しが大好物で、とりわけ茶碗に入れた梅干しに湯を差しては、よく飲んでいました。いまから考えると、梅醤番茶に通じるものがあったと思うのですが、日常の食生活から、きっと体が欲していたのだろうと思います。

 もともと私は、何でも作ることが好きだったので、自分で料理をするようになってからは、いろいろな加工食品を自作していました。ソーセージやローストポークなどの肉の加工品、アンチョビなどの魚の加工品、あれやこれやの保存食なども、本を頼りに見よう見まねで、いろいろ作りました。市販のものは、保存料などの食品添加物が気になったこともその理由の一つですが、見かけは少々劣っても、手作りの方が格段においしいということを知ったからです。
 
 自然食品店をはじめたのは母が亡くなってからですが、そのしばらく前から私と家人は、玄米食に切り替えていました。病気で食欲のない母には、毎日、玄米粥を作ってやりました。母の病気は骨髄異形成症候群というもので、血液が再生されないという、白血病に似た病気でした。輸血の他、治療法もないと聞かされ、病名がはっきりした後、亡くなるまでの5か月間は、ほぼ毎週、輸血に通いました。同時に、常に胃が張って食欲がなかったのですが、調べたところによると、それもこの病気の症状の一つらしいことが分かりました。でも、私が圧力釜で炊いた玄米粥は、おいしそうに食べていましたから、それは良かったと思います。
 
 血液が再生しないということは、病原菌に抵抗する力もなくなるということです。ほんの半年前には、歌謡教室に通うだの、ハワイでフラダンスをするだのと、遊び回っていた70代後半の「不良老婆」は、風邪がもとで肺炎を起こし、抗生物質も効かない状態で、肺のほとんどが「水没」し、あっさりと亡くなってしまったのでした。地元の同年輩の母の友人たちに母の死を告げたときは、いちように全く信じられないといった面持ちでした。誰もが、100歳までも長生きするだろうと思っていたくらい、病気ひとつなく超人的に元気な女性だったのですから。
 
 母の発病の直接のきっかけは、なんといっても、妹の癌だと思っています。数年前に、婦人科系の癌で子宮も全摘して、いったん職場復帰した彼女が、今度は肝臓への転移で、入院することになりました。その妹が生きるか死ぬかという最中に、ストレス性胃潰瘍で入院した母の、胃潰瘍の陰に隠されていたのは、治療の方法がないという病気でした。
 その意味で、ストレスは最大の敵ということを実感しました。ですから、私たちは、ストレスを回避する方法を身につけなければなりません。
 
 マクロビオティックより先に、玄米食を始めた私たちですが、玄米を食べていると、不思議なことに、私の場合、あれほど食べてきた肉類を食べることが減ってきたのです。玄米はエネルギーのある食べ物だからでしょう。ですから私は、マクロビオティックを人に伝えるとき、まず、なによりも、玄米を食べることを勧めます。
 そのためには、玄米を美味しく炊くことが出来なければなりません。目黒で行なっている私の料理教室では、玄米を美味しく炊くことが、第1の目標です。
 
 自然食品の店「あらいぐま」をはじめてから後、お客様に「玄米菜食」のおいしさを知っていただきたくて、玄米菜食の食堂をやりたくなりました。自然食品店業界の先輩たちからは、あまり賛成を得られませんでしたが、その名もずばり、マクロビオティックと銘打ち、『マクロビオティック食堂 あらいぐまの台所』と命名しました。
 美味しい玄米と味噌汁とを土台として、マクロビオティックの基本惣菜や応用料理を提供してきた食堂は、2007年夏から1年間、続けた後、残念ながら休業せざるを得なくなりました。私の交代要員が見つからず、まったく厨房を抜けることができなかったためです。   
 しかし、短い間でしたが、この『マクロビオティック食堂 あらいぐまの台所』をやっている間に、さまざまな出会いや、あらためて考えさせられることがたくさんありました。私にとっては、次のステップにつなげていくことの出来る貴重な1年間だったと思っています。
 その中で最も考えさせられたことは、店のブログに投稿された1通のメールでした。「家の冷蔵庫にあるようなものでお金を取るのは、いかがなものか」という内容です。       
 「昼の部」は、玄米と味噌汁に沢庵、そしてマクロビオティックの基本惣菜を中心に多少のアレンジメニューを加えた日替わりのワンプレート・ランチ。オーガニック・ワインや純米酒を飲まれるお客様もいらっしゃる夜のメニューでも、きんぴら牛蒡や小豆かぼちゃ、切り干し大根の煮付けなど、マクロビオティックの基本惣菜は、絶対に欠かすことはありませんでした。ほぼ毎日、これらのものを作り、その他にお楽しみのアレンジメニューを提供していたのですが、それを指しての上記のような投稿でした。
 
 私はその投稿に対し、「ご意見をいただいたことはありがたいけれども、そもそも「マクロビオティック」というのは、毎日の日常的な食事にこそ必要なのであって、本来は家庭で皆さん自身に作っていただきたいし、その参考になるものをお出ししているつもりである」こと、「したがって、作り方を訊かれれば、いつでもお教えするし、ぜひ、それぞれの方が、ご家庭で作っていただきたいと思っている」旨、お返事しました。
 実際、お客様から、お出しした料理の作り方を訊かれることは頻繁にあり、そのたびに丁寧にご説明して、「マクロビオティックの料理は、本来とてもシンプルで、誰にでも出来るのだから、ぜひ作ってみてください」と、お伝えしてきたのです。
 それでも、忙しくて大変なときや疲れたときに、コンビニやファミレスではあんまりなので、うちで召し上がっていただければとの思いで、毎日、明け方から深夜まで、厨房で仕事をしてきたのでした。

 しかし、「本来は、家庭で皆さんに作っていただきたい」と回答したことから、私の中で、「食堂」という形で出来上がった料理を提供する、ということの矛盾に対する意識が芽生えてきたことも事実です。いったん休業した理由には、スタッフ不足だけでなく、そんなことも影響しています。
 そして、もう一度、原点に戻って、マクロビオティックについての考えを整理し、学び直すとともに、自分はなぜマクロビオティックを普及させようと思うのか、なぜ、まわりの人びとに玄米食を奨めるのかを、問い直そうと考えるにいたりました。

 人間は、この世に生まれたからには、少しでも長く生きるというのが、義務であり権利であると思っています。なぜならば、それがこの世に生を受け、自然の恩恵を享受して生きてきたことに対する、責任の取り方だと思うからです。
 ですから、「長く生きるための智恵」であるマクロビオティックは、私にとっては、欠かせないものです。
 家族だけでなく、多くの友人・知人が、癌を患って見るも無惨に亡くなっていきました。現在も、大学時代ともに学生自治会活動を担ってきた親しい仲間が、進行した転移癌のため「緩和ケア」病棟に身を置いています。
 こうした状況を、毎日の食生活を改善することで、少しでも良い方向に持って行き、皆が長生きできるようになるのであれば、そのためのお手伝いをするのは、とても大切なことだと思っています。

 また諸外国に比べて、合成食品添加物や農薬の使用も格段に多い日本ですが、ここ最近は、遺伝子組み換え食品に関しても、世界最大の消費国といわれている深刻な現実があります。
 今や、日本で消費される大豆のほとんどは、アメリカ合衆国産です。世界最大の種子メーカー『モンサント社』に代表されるとおり、アメリカで生産される大豆の大半が「遺伝子組み換え」作物となっていることから考えると、ごく少数の国産大豆を使っているメーカー以外の醤油は、「遺伝子組み換え」大豆を使っていることになります。しかも、現在、「遺伝子組み換え」農産物を原材料に使っていることの表示義務は、味噌・豆腐・納豆など限られた食品のみであり、たとえば同じ調味料でも、醤油には、その表示義務はありません。
 マウスによる実験によれば、遺伝子組み換え食品を食べ続けた個体は、腎臓・肝臓に障害が起こり、次世代は、生まれても長く生きることが出来ないなどの問題があるにも関わらず、です。
 ヨーロッパでは、表示義務があるので、メーカーは遺伝子組み換え原材料を使いません。なぜならば、遺伝子組み換え原材料の使用を表示したら、確実に売れないからです。
 日本では多くの国民は、こんなことすら知らされていないのが現状です。

 マクロビオティックを実践し、それを普及するということは、この日本という国の、たとえば農水省や厚労省などの、無責任で、無知な人びとの行ないなども、逐一、指摘しなければならないくらいに大変なことなのです。
 たとえばドイツには、ビールに関して厳しい製品基準があります。フランスではワインに関して、やはり厳しい基準があります。韓国政府が、キムチは発酵食品であるので、きちんと作られていなインスタントなものを「キムチ」と称してはいけないとのガイドラインを出してから久しく経ちます。
 ところが、この国はどうでしょう。「100円均一」に売っている大豆の搾りかすを使った醤油も、数週間から3か月ほどで作ってしまう味噌も、伝統的製法で時間と手間をかけて作った自然商品店に売っているそれらのものも、その限りにおいては、同じ「醤油」であり「味噌」になってしまいます。アルコールを添加した日本酒も「日本酒」です。これほど伝統的な食品さえ、いいかげんな基準の下に造られ、まかり通っているのが、この国の現状なのです。
 ロンドンのチャイニーズ・レストランには、キッコーマンの醤油が置いてありますが、とても使えた代物ではありません。まったく恥ずかしい限りです。

 玄米は、無農薬・無化学肥料で造られたものでなければほんとうに美味しいとは言えないし、伝統的製法で作られた味噌であるからこそ、だしのうまみを引き立たせる美味しい味噌汁になるのです。したがってそれらの生産者は、マクロビオティックを実践する者にとっては、何より大切な存在です。
 マクロビオティックに関わるということは、毎日の糧を守る上でも、必然的に政治や経済とつながっていかざるを得ません。
 大手企業までもが、「オーガニック」や「マクロビオティック」という時流に乗って一儲けしようと考え始めている昨今ですが、私たちは、自分たちの足元から率直にものを考え、本当のことを知る努力をし、それを人びとに伝えていくこともしなければなりません。

 私にとって、マクロビオティックは、とっても壮大な世界に立ち向かっていくことになりそうですが、これからも、多くの「マクロビアン」たちと手をつないで、進めていきたいと思っています。
 一人では出来ないことでも、複数の人間が協力し合うことで実現できるという例は、たくさんあるのですから……。
 2010年10月24日 
「松本塾第1期」師範科・最終研修日に。

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