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何が〝おめでたい〟のか。

2022年11月のコメント
 最後の方はまばらになったエキサイトブログの、これが最後の投稿。なんとか今年の1月まで引っ張ってきたので、ここから先は、リアルタイムの投稿がはじまる。
 さて、本日の沖縄は暑かったです。部屋の中ではタンクトップでも熱くて、エアコン(冷房)をちょこっと入れました。空は秋でしたけど。
 タイトルの写真は、今日の空。

2022年1月22日
明けまして、何がおめでたいのか、分からない件。

 高校を卒業するころから「明けまして……」と世間で交わされる新年の挨拶が出来ない。なぜならば、「なにが、めでたいもんか」といった気持ちがむくむくと、このころに起こってきて、50年経った今も、「ふん、なにが、めでたいもんか」と思っているからである。
 20代~30代のころは、東京の住宅が密集した地域に住んでいたので、1月1日は、わざと、朝も早よから洗濯物を、アパートの窓に干すのが私の習わしだった。
まあ、いわゆるお節なるものは、店が休みになるし、年末の閉店間際には、高くて普段は食べることが出来ないものが叩き売られることもあるので、3日間の食料として購入はしたけど、「お節」とは思っていなかった。
 仕事が休みになるから、時間がかかって普段作ることが出来ない本格的なカレーを作るのも、習わしだったけど、和風な「お節」なるものに対抗する気持ちもあった。
「なにが、めでたいもんか」って、そりゃそうでしょ。
 年末年始は仕事がなくなって、食べるに困る人がいるから、炊き出しボランティアが出現する社会ですよ。

 20代当時は、ベトナム戦争真っ盛り。三里塚の農民は農地を取り上げられ、沖縄返還は日米地位協定というまったくもっての不平等協定を押し付けられよしとされ、あちこちで公害によって身体を冒される人が続出し、生産現場では生産性向上運動により労働環境は悪化し、職業病が多発していた。 
 そもそも、女だということで、何かにつけて不利な状況を押し付けられて、三里塚(成田)空港建設反対運動の現場でさえ、飯炊は女の仕事とされ、時間になると闘争現場から引き上げさせられるような社会だったから。
 で、それは、目に見える範囲では少しはましになったかのように見える50年後の現在でも、本当はそんなことなくて、状況はより重層的に複雑に入り組み、先が見えない。
 そして極め付けは2011年。東京電力福島第一原子力発電所の爆発。生きた心地がしないまま、ほぼ2年かけて身辺整理し、避難移住を強いられた。
 
 やっぱり「何が、おめでたいのか、分からない」。
 
 さて、も一つ不可解なことがある。「初詣」なるもの。そもそも、年に何度も参るから、年明けはじめていくのが「初詣」のはずなのに、ほとんどの人は最初で最後だよね。なんでいくんだろう? 何を詣でているんだろう? いわゆる左翼までが、行くんだなぁ、初詣なるものに。
 
 日本の神社は、明治維新の時に国民統合の手段として国家神道に牛耳られ、天皇を「現人神」としてその頂点におき、あの戦争へと人びとを駆り立てた。敗戦により、国家神道は表向きは消え去ったかのようだけれども、長い時間をかけて人びとの精神を支配してきたものは、そう簡単には消え去らない。消え去るどころか、さらに人びとの心の奥深く沈んでいって、いつでも復帰できるように待機している状態と言える。
 莫大な税金を使って宮内庁なるものが維持され、あらゆるつまらないことに金が使われているにも関わらず、誰も異議申し立てをしない。それどころか、誰それがティアラを新調せずに、皇室を離れた誰それのものを借用したなどということが美談として語られている。

 なんだよティアラ! 

 新型ウイルス禍で、今日食べるものもなければ、寝るところもない人びとが増えている最中、そんな話題に腹を立てている。
 この世は決しておめでたくはなく、おめでたいのは、こんな世の中を強いているこの国の政府の存続を許している有権者かもしれない。

闘いのゼッケン。子ども用。

 まだ、文字を覚える前の娘を、三里塚(成田)空港建設反対の現地集会に連れていくときに、娘用に作ったゼッケン。
 集会の目的を娘に話したら、こう呟いたので、それをそのままゼッケンにした。小さな白いハンカチが、娘の体にちょうどよい大きさだった。

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