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死体を演ずる。

なんでもやるイ・ビョンホン。

 日本でのいわゆる韓流ブームのきっかけとなったテレビドラマ「冬のソナタ」(NHK総合2004年)。普段あまりテレビを見ないが、当時、たまたまつけたら、何やら日本のものではないらしい雰囲気が漂うドラマをやっていた。日本語吹き替えなので、すぐには分からなかったのだが。 
 これってもしかして、韓国の? と思って調べたら、どうもそうらしい。もともと、韓国映画のクオリティーの高さに、東京・千石にあった三百人劇場で、ときどき開催される韓国映画週間には、地下鉄の回数券を買って毎日見に行くほどだった。
 ふーんテレビドラマかと、日本語吹き替えではない字幕付きのものを見始めた。何度目かの、なかなか身に付かない韓国語学習の足しにもなるかと思いながら……。

 「冬のソナタ」は、主演のぺ・ヨンジュンが、日本では年配の女性たちが夢中になっているといういわゆる「ヨン様」現象と言われるブームを巻き起こし、しばしばニュースにもなっていた。ぺ・ヨンジュンは、俳優業の傍ら投資家として事業に精を出しているようだが、まあ、俳優としてはそう力量があったとは言えないので、本人も自覚しているのかも知れない。
 そのあと、「美しき日々」(NHK総合2005年)がNHK韓国ドラマシリーズで放映され、イ・ビョンホンという、私が天才だと思っている俳優を知る。それでも、その当時は、そういう俳優がいるのかといった程度で、とくに、その後の活躍を追いかけるということがあったわけではない。
 ところがこのかん、家にいることが多く、インターネット上にドラマや映画が無料、もしくは定額で見放題というものがあるので、ちょっと観てみようかなとアクセスした。いくつかの旧作や最近の話題作などを観て、あらためてイ・ビョンホンの演技力を再認識した。
 最初にそれを感じたのは、「美しき日々」を再び観てのこと。
 このドラマの一場面で、自信に満ちた、仕事ができる男を演じるイ・ビョンホン。部下をしたがえて社内を歩く姿は、いつも颯爽とし、他の男たちとの歴然とした差を見せつける。ところがある場面で、自社に戻って部屋に入る後ろ姿がやけにボテッとして、背中が丸く、なんだか中年のおじさんみたいな雰囲気。
 「あれ、イ・ビョンホンの後ろ姿って、あんなかっこ悪かったんだ」と思う場面があった。その時はそう感じた。しかし、もしかして……。あれは演技? もう一度その場面を観る。
 ライバル企業を訪れ、その企業のトップに突っ込まれて自らの失敗を認識し、自社に戻り部屋に入る後ろ姿だ。演技なんだ。この男は、背中で演技をしたんだ。
 それからというもの、この俳優の演技が気になって仕方ない。たとえば、誰かと口論して部屋を出て行く時、カメラはイ・ビョンホンの顔をアップで捉えそのまま画面はカットされる。こんなカメラワークは、他の俳優では出来ないのではないか。
 ネット情報によれば、イ・ビョンホンは出演作品を選ばずに、どんなものにも出演してきたという。父親が残した謝金を返済するためということとのことだが、なんでこんな物に出演したのかと思わざるを得ないような無意味な作品やいくらハリウッド進出といわれてもというような役やちょっとこの作品に出演するのは役者本人にとってマイナスじゃないかと思われるようなものもある。
 ハリウッド映画のいくつかに関しては、さすがに本人も、「いったい自分はなにをやっているんだ。早く韓国に帰れよ」と思ったと、後日談として語ってはいる。おそらく、それまで韓国でオファーを断らなかったイ・ビョンホンがはじめて断った「アイリス」の第2期、ハリウッドでの撮影と日程がバッティングしてしまったからであるとの時期のことではないかと思われる。
 映画「JSA」(2000)。36度線の非武装地帯でそれぞれ任務を果たす南北の兵士がふとしたことで仲良くなり、隠れて交流をかさねる映画で南の若い兵士を演じているのだが、ここでも、よく言えば素朴な、まあ無教養な、徴兵されて兵士になっているものの、しょうもない兄ちゃんの仕草がリアルで、絶妙な場面がある。しかも、それがとくに目立つというよりサラリと演じられているあたりに、この俳優のこだわりを感じる。

イ・ビョンホンは、いつも全身で演技をしている。

 ドラマ「オールイン」(NHK総合2005年)でも、花札の博打場で紙コップに入った飲み物を、指でストローを押さえながら氷を口に放り入れる仕草の自然さに、こんな何気ない演技に神経を使うのかと、あらためてさらにいろいろと見てみたいと思うようになった。
 「王になった男」(2012)の二役も、朝鮮王朝の王と下層の道化師だが、単に演じ分けるのならば役者ならできるだろう。しかしこれは、下層の道化師が王の影武者に仕立て上げられる話で、同じ王が本物か影武者かという演じ分けである。この微妙な違いを演じることが出来るのは、この男を除いていないだろう。
 「インサイダーズ/内部者たち」(2015)では、チンピラの役なのだけれども、そのどうしようもないチンピラを演ずるのだ。ビルの屋上で、ラーメンを食べたり、男性トイレでおしぼりを渡してチップを稼いだりが、もう、こんなイ・ビョンホン見たくないというくらいな演技なのだ。

 そして、極め付けは、「エターナル」(2017)。たいてい自信満々のかっこいい男を演じているので、そのイメージからすれば別人のようにボロボロ、ヨレヨレの男が向こうから歩いてくるシーンで始まる。
 息子役の子役は、本当は泣く場面ではないにも関わらず、イ・ビョンホンのあまりのリアルな演技に泣いてしまって、何度も取り直したとのエピソードを読んだ。あらためてその場面を見直したら、カット寸前ちょこっと鳴き声らしき声が入っている。
 この映画でイ・ビョンホンは死体を演じる。椅子に座って死んでいる男、その手は重力に従ってまっすぐ下に垂れている。死体だから腕を支える筋肉はすでに力はない。もしかしてあの腕は、作り物か? そうでないとしたら、ほんとにすごい。

死んだ人間の腕を演じるイ・ビョンホン。

 本人が、演技をする上での転機になった作品と言っている「甘い人生」(2005)。こんなことまでやるかというような役どころだし、観ているのが苦痛なくらいの暴力映画で、いったいこのどこが転機になったのかと怪訝に思った。
 ボスに命令されて、ボスの愛人である若い女性チェリストにの身辺調査をする男を演じるのだが、その女性にいつの間にか惹かれてしまうという設定。ボスの愛人に心を寄せたことは、決して表に出せないまま、死んでいくのだが、「表に出せないまま、その愛を演じる」という、これまたイ・ビョンホンじゃなければ出来ない。
 そして、昨年の「南山の男たち」の共演者は、目の前にいるこの男をほんとに怖いと感じたと証言している。朴正煕(パク・チョンヒ)を殺した実在の人物を演じているのである。
 かつては同志であった朴正煕。その男を殺すことになる過程での、ある無念さや悲しみをふとした表情で表すというのは、脚本をそうとに読み込み、しかも、その歴史的過程や実在の人物に関して、それなりの認識を持たねばできないことと思う。ところが本人は、実在の人物を演じるのは、やりすぎてはならないというようなことを語っている。あくまでも脚本に忠実にこなすというようなスタンスであると。

 「僕たちのブルース」は、済州島の人びとと暮らしを描いたドラマ。イ・ビョンホンは、島の移動雑貨屋の親父になりきっている。済州島訛りの冴えない親父というキャラクター。これまでの「王になった男」での道化役や他の作品で、感情を表に出さずにその感情を演じる姿を見ていたら、とくに驚きはしないが、超ダサくて、でもシャイなおっさん役が、見ものではあった。「美しき日々」では妹だったシン・ミナが、ここではおとなの女性に成長して、イ・ビョンホンの相手役を演じている。

「エターナル」では、船の甲板で海をみつめるイ・ビョンホンの姿が。
(2013年3月、東京—沖縄のフェリーにて)。



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