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移送後、思うこと(2018.05.13)


オウム事件の死刑囚の移送があってから、このブログを読んだマスコミの方々からいくつか取材依頼がありました。執行に備えて着々と取材が進められているんだな…そう思うと、とても複雑な心境です。私はマスコミの取材はお断りしています。ブログを読んでいただければわかるように、私の関心はオウムの宗教体験・内的体験と事件の関係にありますが、そのような切り口はマスメディアという媒体には馴染まないと思うからです。

オウム真理教の最大の特徴は、修行によって多くの人が神秘体験(=宗教的体験)をしたということです。重大事件にかかわった弟子たちは全員、そのような経験をした修行の進んだ人たちでした。(ただし、修行の目的は神秘体験をすることではありません)

神秘体験といわれるものは、ほとんどが主観的な内的体験で、実証できない非現実的なものですが、例外は、サマディ(三昧)という究極の瞑想状態で「呼吸停止」が起きること、そして、「空中浮揚」という現象です。

オウムでは、この二つを科学的に実証しようと、密閉された地下空間で瞑想する修行者の酸素消費量を測定したり、身体が勝手に跳ね上がる「ダルドリーシッディ」という現象(空中浮揚の前段階)が起きているとき、筋電を測定して筋力を使わずに跳ねていることを確かめようとしましたが、完全に証明できたとは思えません。そもそもこのような現象は、実証実験を試みてもグレーゾーンに留まるものなのでしょう。

修行経験のない人が「神秘体験なんて…」「神秘体験にこだわりすぎ」など、神秘体験を否定したり軽く見たりすることはよく理解できます。しかし、人は現実感覚が大きく揺らいでしまうような圧倒的な非現実的な体験をすることがあり、そのとき神秘性を感じて体験に強くとらわれてしまうということも実体験しました。体験にとらわれるというよりも、体験が人をつかまえるといった方が的確かもしれません。

オウム事件は、このような体験と深く結びついているはずなのですが、このことについて、これまで正面から取り上げられたことはありませんでした。

今年(2018年)三月末、新聞に掲載された「オウムとは何だったのか」という特集の藤田庄市さんの発言は、私が知る限り神秘体験というオウムの核心を突いた初めての提言ではないかと思います。記事のなかで藤田さんはこう言っています。

「もっと言えば、国会の特別委員会のような組織をつくり、調査に当たることが求められる。裁判で事件の事実関係は分かりましたが、核心はいまだ判明していない。被告たちの宗教的な内面にまで踏み込む調査が必要です。」(発言全体は末尾に掲載しました)

オウム事件は「修行者集団」という特徴をもった宗教団体が引き起こしたものです。宗教性や修行による神秘体験という重要な要素を欠いたまま事件を理解しようとしても、オウム真理教の実態からひどくかけ離れたものになってしまうのではないでしょうか。

藤田新聞発言

◆宗教的内面の調査を フォトジャーナリスト・藤田庄市さん
 宗教の根幹とは何か。それは神秘体験です。超自然的な存在・力と個人との結び付きです。神や仏といった存在との直接的な関わりを感じるから、宗教は存在している。

 麻原(彰晃死刑囚)も神秘体験を公言しています。彼が宗教的使命感を持ったのは、一九八五年に修行をしていた際、「あなたをアビラケツノミコト(という神)に任じます」という声を聞いた時とされています。「麻原は詐欺師だから、この体験談もうそだ」と言えるなら、事は簡単です。しかし、うそつきだったら、金もうけの詐欺だったら、あんなことまでしますか?

 あくまで麻原の主観ですが、彼は自らの神秘体験を強く確信しています。だから、あれだけのことをしてしまった。オウム事件を一言で言うなら、麻原を中核として救済を目指した無差別大量殺人。そこを見ないと、事件を理解することは難しい。理解しなければ根本的な批判もできません。

 僕は死刑や無期懲役が確定した弟子たちと何度も接見してきました。その中でも印象的なのは新実智光死刑囚。彼は事件を「菩薩(ぼさつ)の所業」と言いました。その人たちを助けるために善意で殺したと言うのです。「慈悲殺人」です。今に至るまで全く反省も悔恨もしていません。親の愛情に包まれて育ち、弟思いだった優しい人間が、なぜこういうふうになるのか。オウムの裁判は、新実を例外として、ほかの被告については、ほとんどそこに踏み込まなかった。刑の執行が迫っているようですが、彼らにはもっと生きてもらって、核心をしゃべってもらわないといけない。

 刑事罰は刑事罰で与えればいい。しかし、事件の再発を防ぐにはオウム全体の徹底的な分析をすべきです。信者たちがどういう修行をして何を体験し、どう思想を身に付けたか。神秘体験を得ることによって、彼らがどう変わっていったか。そして、それがどう事件と有機的に結び付いたかを見る必要がある。警察や検察が行った取り調べの膨大な資料は、すべて公開してほしいと思います。

 もっと言えば、国会の特別委員会のような組織をつくり、調査に当たることが求められる。裁判で事件の事実関係は分かりましたが、核心はいまだ判明していない。被告たちの宗教的な内面にまで踏み込む調査が必要です。
(聞き手・大森雅弥)

 <ふじた・しょういち> 1947年、東京都生まれ。長年、宗教の取材に携わる。著書に『オウム真理教事件』『宗教事件の内側』『修行と信仰』『カルト宗教事件の深層』『伊勢神宮』(写真集)など。
中日新聞2018年3月31日「考える広場」「オウムとは何だったのか」


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