最初の宣言
富士の道場用地取得と道場建設の経緯について、よく知っていると思われる人がもう一人いた。オウムの建築班のリーダーだった故・早川紀代秀さんだ。なにか書き残していないかと思って彼の著書『私にとってオウムとは何だったのか』を開いてみた。
そして、この文章の後に続く、次の記述が目にとまった。
注目したのは「この時、グル麻原は、『自分は将来マイトレーヤ如来となる魂である』ことを公言しました」という箇所だった。わたしは知らなかったが、麻原教祖は富士の道場用地でそう公言したという。
それから三年後の1991年、麻原教祖は『朝まで生テレビ』でも「わたしは未来にマイトレーヤとして降誕する魂だ」と公言している。番組中、それまで理路整然と話していた麻原教祖が、唐突に「未来のマイトレーヤ宣言」をしたので、出演者も「えっ…」と驚いていたが、オウム信者だったわたしも、いきなりで初めて聞いた内容にびっくりした。
二人のマイトレーヤ
わたしは早川さんの文章を読んで思った。
「そうか、富士山には二人の、自称マイトレーヤがいたんだ…」
一人は麻原教祖。もう一人は、今から三百年ほど前、富士山で入定(断食死)した「富士講」の食行身禄(じきぎょう・みろく)という修行者だ。身禄という名は、弥勒すなわちマイトレーヤに由来している。
何度も言うように、オウム真理教と富士講には何のつながりもない。富士講は信仰の対象である富士山に登拝する宗教だが、わたしたちオウム信者は富士山麓に住んでいても、富士山に登って修行することは一度もなかった。
「あ…そういえば…」
修行のために富士山に登った修行者が一人だけいた。カッピナ師だ。彼は、優れた行者として尊敬されたクンダリニーヨーガの成就者だったが、厳寒の富士山に一人で修行に行って帰ってこなかった。春を待って、捜索に登った修行者仲間が遺体を発見したときの記録が残っている。
カッピナ師の遺体が発見された7合目500メートル付近には、富士講の修行者食行身禄が入定(断食死)した「富士山七合五勺の烏帽子岩」がある。
なにかがわたしに「そこを掘ってみろ」と、繰り返し囁いているようだった。