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「あの日」から

13人の処刑から三年が経とうとしている。
今となっては、そもそも三十年も昔の「オウム事件」を知らないという人も多いだろう。
13人もの大量処刑と聞いても、「ものすごく悪い奴らだったのだろうから処刑は当然のことに違いない」なんてぼんやりと思っている人がほとんどなのかもしれない。かつてオウムの出家者だった私は、三年前の七月に最初の七人が処刑された日、そして二十日後の六人の処刑の日、淡々と過ごしている自分に少し驚いていた。

ひょっとして私は、あまりに重たい出来事を受け止め切れなくて感情の回路を無意識に遮断してしまったのだろうか? 

そんな疑問が浮かんでくるほど、悲しみや、嘆きや、怒りや、憤りや、喪失感といったはっきりとした感情がわかなかった。もう少し時間が経てば、なにかが遅れてやってくるのかもしれない。そう思っていたが、これと言うほどのことはなにもなかった。意外なほど、なにも感じていないような自分が不思議だった。

そして三年の時が流れようとしている。今、彼らの死について語る人はもうほとんどいない。私もオウムについて思うこと、考えること、書くことはめっきり少なくなった。もう終わったのだ。13人は死によってその罪を償ったのだから、これでやっと終わりにしていいんだ。きれいさっぱりと忘れ去ることなどとうていできないにしても、終わったということには違いない。これでいいのだ。そう思いたかった。

13人もの人間が国家という権力によって一斉に殺されるということ。
あまり歴史に明るくない私が思い当たるのは、「2.26事件」で処刑された17人と、敗戦後の東京裁判で死刑判決を受けたA級戦犯7人の処刑。私が知っているあの子どもっぽい(純粋で無邪気ともいえる)彼らが起こした事件が、そんな歴史的な事件と並べられるものかどうかわからないけれど、処刑された人数だけを見れば比べたくもなる。

それにしても、処刑された当事者たちに近いはずの私のこの無感覚はなんなんだろう。そして、巨大な穴がぽっかりとあいたような、そら恐ろしい感じがどこかにあるような気がする。

私と同じようにかつてオウムを生きた人たちはどうなんだろうか。
今、なにを考え、なにを感じているんだろう。



木と空2


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