003. オウムランド
「出家すれば三年で解脱(げだつ)させる」
麻原教祖は在家信徒にこう約束していた。
「それなら、出家して解脱とやらを経験して、その後でやめたければやめればいい」
私はそう思った。
解脱とは「絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜」の魂の状態「ニルヴァーナ」(涅槃)と定義されていた。私は「絶対が、三つもつくのはなんだかなあ…」と思った。
当時、修行の体験談を読んで漠然と抱いていた解脱のイメージは、光り輝くような自分になること。修行の動機も「そんな体験ができるならやってみるか」と軽いものだった。
半年後、出家の決断を聞いて、「やめとけ」「続きっこない」と止める友人に私は言った。
「ちょっと、試しにいってくる」
三年の期間限定出家のつもりだったのに、オウムを脱会したとき、指折り数えてみると十七年もの年月が経っていて、なんだか浦島太郎になった気分だった。
地下鉄サリン事件以前のオウムを思い出すと、本当にさまざまな出来事があった。
オウム真理教をディズニーランドにたとえたのは、宗教学者の島田裕巳さんだった。たしかに多くの若者を魅了したオウムは、千人乗りのジェットコースターのある「オウムランド」だったかもしれない。一歩なかに入ると、そこは底抜けに明るく、素直で、無邪気で、世間の常識から見ればバカバカしいことを真剣にやっている人たちがいた。世俗の喜びを捨てて、解脱のために修行する。オウムはちょっと変わった人たちの、でも、決して憎めない人たちの世界だった。
オウムランドの巨大なジェットコースターに乗ると、次から次へと想像を超える景色が過ぎていった。そして、不思議といつも同じ雰囲気に包まれていた。
一つは、みんなとの一体感。血のつながった家族よりも緊密で、相手をよく知らなくても視線を交わすだけで瞬時にきずなを感じ合えた。
もう一つは、なにかことをなすときの天かけるようなスピード感。私たちは「人間の三倍速で動いている」と冗談を言ったものだ。
そして、一番特徴的だったのは、オウム全体を包んでいた突き抜けるような高揚感だ。その中心には蜜のように至福と陶酔があった。
悪夢のような地下鉄サリン事件を境に、仲間との一体感は確執と分裂へ、スピード感は失速から停滞へ、高揚感は陰鬱さと閉塞へ、徐々に、しかし確実にその対極へと転換していった。
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