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平成日本の「オウム国」

あまり外出しない日々が続いているせいか、これまでに書いた記事をマガジンにまとめる作業をはじめてしまった。章ごとにマガジンを作ったり、ヘッダーに写真を入れたりしていると、かなり時間がかかりそう。「面倒なことはじめちゃったなぁ…」なんて思いながら、以前作ったオウムの年表をながめていた。

オウム真理教は「平成」という時代と同時に始まった新興宗教だった。平成元年(1989)に東京都から宗教法人として認証され、新興宗教団体として急成長していく。平成七年に地下鉄サリン事件を起こして破滅するまでは七年だ。

これを「わずか七年」と感じるか「七年も」と感じるかは人それぞれ。

オウム真理教という宗教が生まれて、急成長し、滅亡するまでを改めて俯瞰してみると、オウムは日本という国のなかに生まれた、もう一つの「国」のようなものだったなと思う。

私たちは麻原教祖のもと、日本の社会システムと縁を切って出家し、死と来世を見据えて修行し、ヨガや仏教や密教の言葉を使って会話し、ホーリーネーム(宗教名)で呼び合い、殺生につながる農業以外はなんでも自前で作り、ベジタリアンで、ミニマリスト、お金よりも功徳という見えないエネルギーを大切にしていた。

あの頃、私たちは出家生活を送りながら「解脱・悟り」を目指し、救済のお手伝い(布教活動)をしているつもりだった。宗教なのだから社会との軋轢が少々あるのは当然だとは思っていたが、まさか一部の男性出家者たちが殺人を犯していて、国家と戦うことを妄想していたとは夢にも思ってはいなかった。

私がこのことに本当の意味で気づいたのは、2018年に死刑囚13人全員が処刑されたときだったのだからずいぶんと遅い。それまでは、麻原教祖と弟子たちがなんのためにあのような事件を起こしたのか、彼らがなにを考え、なにが起こっていたのだろうかと、あれこれ考えてきたのだが、全員処刑されるという結末に至ってはじめて、彼らが本気で国家と戦争しようと妄想したことを納得した。だからこそ国家は13人全員を――だれも殺していない人も、反省して教祖を糾弾した人も、みんな一斉に処刑した。

オウム真理教という宗教が、この国のシステムに敵対する「オウム国」だったからなんだろう。宗教って、そういうものだろうけどね。



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