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001. 二〇一二年

東日本大震災の翌年、宗教団体オウム真理教が引き起こした「地下鉄サリン事件」から十七年の歳月が過ぎていた。長引いたといわれる一連のオウム裁判も終わり、いよいよ教祖の死刑執行かとささやかれる頃、「おそらくどこかでもう死んでいるんだろう」「とっくの昔に国外へ逃亡しているにちがいない」などと噂されていた逃走犯三人の出頭・逮捕が続いた。

テレビに映るなつかしい顔を見ながら、私は愕然としていた。

「生きていたんだ…まるで亡霊を見ているみたい…」

信じられない思いで、彼らが消え去っていた年月と同じ時間「オウムとはなんだったのか」を考え続けた自分と、彼らの長い逃亡生活をくらべていた。

私たちは同じかもしれない。オウムと出会いそこに生きた。そして、オウムをやめようがやめまいが、信仰を続けようが捨てようが、オウムのなにかを生きているような気がする。
いや、オウムはまだ生きている、ということかもしれない。

私たちは真摯に仏道を歩んでいる者、「解脱(げだつ)・悟り」を追求する清浄なる修行者のはずだった。ところが、地下鉄サリン事件が起こり、坂本弁護士一家殺害がオウムの犯行だったことが明らかになり、麻原教祖をはじめとして幹部が次々と逮捕され、気がついたときには私たちは最も忌まわしい犯罪者・狂信者集団になっていた。

いったいぜんたい、これはどういうことなのだろうか? 

宗教者、識者、あるいは学者でもいい、だれかに教えてほしかった。オウムとはなんだったのか。私たちはどこでどう道を誤ってこんなところへきてしまったのか。オウムと事件について目につくかぎりの本を手あたり次第読んでみたけれど、私が体験したオウムの姿はそこになく、なぜあんな事件が起きたのか納得のいく答えはどこにも見つからなかった。

オウムの後継団体アレフにいながら、私は一人で「オウムとはなんだったのか」という答えを求め、考え続けた。
それは「宗教とはなにか」「霊性とはなにか」そして「悪とはなにか」という問いでもあった。

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