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ウィルコ•ジョンソンと赤いピックガードのテレキャスター

ウィルコ・ジョンソンの訃報をマーク・ステュアートのリツイートで知る。曰く、”Arghhh!”。もとは2022年11月21日月曜日に亡くなったとの公式アカウントから家族のツイートだった。

もう10年近く前、末期の膵臓癌だと公表し、しかしその後手術が成功して奇跡の復活を果たしたと言われていた。ここ数年はあまり話を聞かなかった。いや数年前に日本のテレビのドキュメンタリー番組で彼の姿を見た。

□磔磔たくたくというライブハウスの話 →youtubeで全編見れなくなってましたので番宣動画のみ

もう一度見直した。ウィルコ・ジョンソンは番組のプレゼンターという感じで出演している。彼が日本のテレビ番組で京都のライブハウスの紹介をする、というのもなんだか変な感じだ。ちなみにナレーターが小泉今日子というところがいい。この番組は最近続編も放映されたようだ。まさに日本のロック史、すごくいい番組だった。


自慢になってしまうが僕も今から30年以上前に磔磔に出演したことがある。当時静岡にDINAHというバーがあり、そこのマスターのナオさんとジュンちゃんがやっていたラテンジャズバンドで僕はピアノの担当だったのだが、そのバンドで京都ツアーを組んだのだ。拾得と磔磔と両方でライブをやったと思う。もともとナオさんは京都出身のバンドマンで、静岡出身のジュンちゃんも京都の拾得で働いていて知り合ったのだと思う。夢のような思い出だ。

だから、その番組を見ながらなんとなくウィルコ・ジョンソンも自分の友達のように錯覚を覚えてしまっていた。

その番組は、仲井戸麗一と近藤房之助と一緒にウィルコ・ジョンソンがジャムっている映像で終わる。ちょっと調子が合っていなかったけど。

実はチャボとウィルコ・ジョンソンを別の場所で見ている。

87年6月に後楽園ホールでイアン・デューリー&ブロックヘッズ、ウィルコ・ジョンソンバンドのライブを見に行った。昔のことで記憶が定かでないが、ネットを検索してみると、そのライブの途中でスペシャルゲストとして、清志郎、チャボ、G2が登場して一緒に「スタンド・バイ・ミー」を歌ったそうだ。

(こちらのブログを引用させていただきました。

ウィルコ・ジョンソンがギターを弾くとき、右手のカッティングはピックを使わない。かといってフィンガースタイルなどという上品な弾き方ではなく、とにかく5本の指でテレキャスターの弦を思いっきり掻き鳴らすのだ。肘から曲げた腕を大きく振って。あれは少しやってみたけれど、血が出ます。彼のテレキャスターはピックガードが赤くなっているけれど、それは血が飛び散っても目だたないようにするためだとか・・・。そういうところがパンクスピリットだった。ただ単にスピリットでやっているわけではなく、5本の指で掻き鳴らすことによって、カッティングのアタック音が厚い。一度にたくさんの音が鳴る。それで迫力が生まれる。

と思ってこの動画を観たらなんとピックを使っているではないか。

いや、同じ年のこの名曲を観るとやはり手で弾いている。

これらの映像は1975年のもの。まだパンクロックが生まれる前だ。でもどう考えてもこれがパンクロックの土台になっているに違いない。

イギリスロック界のご意見番ビリー・ブラッグの追悼ツイート。

曰く「ウィルコ・ジョンソンはパンクの先駆者だ。 彼のギター・プレイは怒りっぽくて角が立っていた。彼のような痙攣していて攻撃的で制御不能な存在はそれまでの UKポップにはなかった。 ジョニー・ロットンも、ジョー・ストラマーも、ポール・ウェラーも、彼のエッジの効いた態度から多くのことを学んだ。 He does it right RIP.」

最後、名曲”She does it right”にかけているところがさすがである。

僕も黒のシャツに上下黒のスーツを着てみたい。そして黒のフェンダーテレキャスターに赤のピックガード、そしてカールコードを繋いでマシンガン奏法でかき鳴らしてみたい。RIP.

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