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銀行リテールの未来を語る②

 未来を語る上で、過去から今までのリテールの流れも見ていきたいと思います。そこで、あるリテールバンカーの一生を聞いていただけますでしょうか。
 まあ、私の話なんですけど。

 私はリーマンショック前にメガバンクのリテール総合職として採用され、以来リテールの支店を転々とし、一貫して個人富裕層を担当してきました。
個人富裕層とは、地主、開業医、(元)中小企業オーナー、上場企業の退職者などです。一般事業法人は造園業者や工務店など小規模の法人しか担当の経験はありませんが、資産管理会社は富裕層とセットなので完全に守備範囲、という具合です。リテールで渉外・外回りをする人は、大体同じような属性の顧客を担当していると思います。

 私が採用された時分には、3メガ全てに同様の採用コースがありました。
リテール総合職とは全国転勤有りのリテール営業専従のことで、法人営業メインの総合職とは入口が異なります。
当時はシティバンクやHSBCなどのプライベートバンクが日本に進出してきたまさにその時で(すぐ撤退しちゃうんですけども(;´・ω・))、リテール金融を取り巻く環境は大変動の時代などと言われていました。
端的に、面白そうなので飛び込んでいったわけです。
 ちなみに「リテール総合職にしか入れなかった」と揶揄する輩もいたのですが、まあ、そうかもしれないんですけど、旧帝で体育会出身で、総合職に採用されない人っているんですかね?あまり聞いたことないので、自分が総合職だったら採用されなかった、というイメージが無いです(;´・ω・)
というか、何でそこで差をつけたがるんでしょうか・・・
そんなことを思いながら、いざ入ってみたら。
 
 ものすごく驚いたのですが、リテールの地位が低かったんですよ。
そもそもがメガの中でも職務で給料に差をつけている銀行もあるようでした。給料は法人>リテールなので、いわゆる仕事が出来る人・出世する人は法人営業。そうでない人はリテール営業。
 法人ではこれ以上出世できないので、リテールにキャリアチェンジをして支店長になるなど、そういう人を「落下傘組」と呼んでいました。
 動かす金額の大小であったり、仕事の難易度の質であったり、そのようになってしまう理由は様々あるのですが、志を持って入社してきた私には全く関係無い話でして。
 そんな一銭の得にもならない考えを押し付けないで欲しい、と思っていました。
 今思い出しましたが、一年目の研修の時、同期の慶応卒の総合職の奴から「リテールってドブさらいでしょ。よく入ったよね」と言われたこともありました。なんかそいつ、早くに銀行辞めたらしいですけど。
 私としては、彼が今どうしているのか分かりませんけど、何にしてもどうか不幸になっていることを切に望むものです。

 話がそれましたが、リテールの幹部になるべく採用されたはずですが、思いました。逆風が強すぎる。
 それはそれで、確かにやり甲斐はあるんですけども。

 銀行員として物心ついた頃、主なミッションは投信と年金保険の販売でした。加えて、グループ証券会社の紹介と遺言信託の獲得。
 収益ではなく、販売額によって評価されるルールでした。
 アップフロントで2%も3%も「銀行がリスクを取ることなく」稼ぐことが出来るというのは、当時の銀行からしても革命的なことだったのではないでしょうか。それが年金保険になると、更に手数料が5%~も期待できるわけですから、このビジネスに注力したい!と考えるのも普通のことのように思います。
 皆、イケイケで投信や年金保険を販売していました。
 メガの中では、テレビCMで投資型年金保険を紹介していたところもあるほどだったのです。
 日経平均株価が当初の60%以下にならない限り、元本確保。元本の3%の分配金を出す仕組債のような投資信託の申込受付の為に「特設会場」を設けて対応し、店頭には「ニッセイのベトナムの投信を買いたい(※)」というお客様が来店されるほどの一大ブームが到来していた、そんな時。
(※節子、それベトナムやない。パトナムや(;´・ω・))

 ベアスターンズが(実質)破綻しました。
当時、潰れた証券会社の課長(※)の下で働いていたのですが、課長曰く「歴史的なバーゲンセールだ!売れ!」という一大号令の元、下がったところで運用商品を販売してきました。
(※当時は資産運用ビジネスに注力していたので、証券から銀行に転職してきた役職者が非常に多かった。)
 結果、表彰も受け、活躍を認められたのかどうか知りませんが、同期の中でも一番早い異動(当時は異動=ステップアップ)で、一回り年上の先輩の後任になったのです。
  
 そんな時、リーマン・ブラザーズが破綻したのです。

 日経平均株価は無くなるんじゃないかというくらい毎日下落し、瞬間7,000円を割れました。今27,000円ぐらいになっているアレです。
 ドル円は120円台から日米の金利差によって円安に進んでいく!と直前まで騒がれていましたが、75円台まで円高が進んでいくことになりました。毎年トンデモ予想で大ハズシを繰り返す経済学者(笑)の予想が、この時だけ当たったんですね。
全く笑えませんでしたが。

 リテールビジネスはイケイケの何でも売れ!状態から、新興国系の投信、保障性商品(保険)、遺言に重点を置かれるようになります。景気が悪くても保険は売れるだろう、ということで、平準払い保険が隆盛を極めました。
 保険会社から出向・転籍してきた保険営業が、銀行の担い手からトスを受けて保険を成約するわけですね。お客様のストックは傷んでいるんですけど、サラリーマンを中心に、相対的にフローは傷ついておらず、また将来についても悲観的になっていましたので、保険は殊の外うまくハマったと思います。
 ただ…この時はフォローの方が大変で、新しく販売することには全く手が回りませんでした。なんせ1億の仕組債が5百万円になるような時分でしたから。
 いくらフォローしても評価されることは無いですし、既存顧客に見放されても新しい顧客で取引できればそれが倍の評価になりましたから、その点ゲームに徹した人たち・支店は非常に良い評価を受け、どんどん昇格していきました。
 そんな姿を目にしているので、年次が近いのに早く昇格している人に対しては、妬みも9割ぐらいありますが、あまり好意的に見ることができません。

 不景気が続く間に、3メガはリテール総合職の採用を止めてしまいました。全国転勤の無い地域限定の総合職ということで、地域限定リテール総合職として採用するようになりました。
 全国転勤の無い総合職って何でしょうか。
 該当する方には本当に申し訳ないのですが、率直に申し上げてこれ以降平均的なリテール新人の質が劇的に下がりました。

 学歴のある人は総合職を選び、リテールに来るのは平均的にはそれまでの幹部候補生とはまた違った学歴・経歴の人になってしまいました。
 教育担当をしていて、この断絶というか崖に対しては、非常に深刻に悩んだものです。

 頑張っても後任いなくないか?と。

 何度目かの異動をした頃、ご高齢のお客様も新興国系の投信を持つようになってから、米国の景気回復と共に新興国系投信が右肩下がりになってきました。高クーポンのブラジルレアル連動債などもかなり売れていましたので、フォローが本当に大変でしたね。このブラジルレアル地獄はもう少し後で本格化します。
 何にせよ販売した当人は販売したことを評価されてとっくに異動(昇格)しており、後始末を後任が行ったのは、リーマンショックの時と構図が同じでした。

 そうこうしている内に政権交代が起こり、アベノミクスが始まりました。
株価が息を吹き返し、証券ビジネスが大復活。バブル期入社のベテランの方の話では「やっと入社した頃のボーナスに戻ってきた」そうです。
 景気が良ければ運用商品の販売が好調で、好調が続くと目標が上方修正されてさらに販売し、足元の好調な業績をベースにさらに目標が上方修正され、クラッシュが起こって顧客資産を減らす。
 こんな様式美のようなことが続いていました。
 相場が悪くなる時は相場の影響を受けない提案を、ということで保険・遺言。この頃の担い手は、このあたり得意分野になっている人も多いと思います。
 時代は稼げや稼げのイケイケに逆戻りし「人を使って効率的に収益を得るのが良い担当者」というのが一つの担い手のモデルになりました。
 保険は保険会社からの出向者、運用は証券からの出向者・関連証券にトスアップ、遺言は信託系の本部及び信託銀行にトス。
 広く、浅く、活動量を上げてコンタクトを増やす。
 半期に手数料収益2億円などというスーパースターが何人も誕生し、マネージャーになっていったのですが、しばらくしてほとんど辞めるか本部のそれっぽい部署に異動して、表舞台からは姿を消しています。
 自分の手を汚さずに、他人にクロージングを任せてしまっていては、数多く案件をこなしていても知識や経験がストックしていかないからです。

 東証REIT指数が1400ポイントの壁を越え始めた頃、実物不動産への投資が非常に活発になりました。この頃に都心店に配属されていた人は非常に良い目を見たと思います。利回り6~7%で都心の一等地の収益不動産が買えた時期です。融資付けもさほど難しくはありません。
 郊外店はというと、お客様は減っていく人口・寂れていく街を目の当たりにしているが為に、不動産ビジネスに対して極めてネガティブでした。
 資産の組み換えなど、発展的なことは検討にも及ばない、といった具合でした。営業店の営業サポートをする本部の有名人が何人も臨店し、担当者と帯同訪問し、挫折して帰ってくる。しまいには「マーケットが死んでいるので、本来予算を割くべきでは無いところだ」などと本部に報告をし始める、そんな状況でした。
 私は郊外店にばかり配属されていましたので、遺言と収益物件の法人化(個人所有の収益不動産を資産管理会社に移転すること)ばかり取り組んでいました。
 後々、これで飯を食っていけるようになりましたので、悪くはなかったですが。

 黒田バズーカによってローン商品の金利が超低金利となり、不動産ビジネスは年々盛り上がりを見せていきます。3億円前後の収益物件は相続対策に非常に手頃で、融資もできるので実績は積みあがりました。この流れは今までも続いています。
 ちなみに、相続対策の不動産建築・購入資金については、ずいぶん前から租税回避と見られないように厳格に審査がされていましたが、話を聞いていると同じ銀行の中でもそういうのを無視して決裁している例も多いようです。
 知ってたらやらない案件を、知らないのでやってしまう。
 でも案件を実行すれば評価は上がる。

 いいのか?それで。

 今は亡き安倍総理の総理大臣4期目の頃、FD(フィデューシャリーデュティー=説明者責任)が始まりました。世の中的に投資商品や年金保険絡みのトラブルが増えたことに対応する為です。
 これによって私の動き方が何か変わったことは無いのですが、銀行全体の投資商品の販売額は大きく落ち込んだようです。
 コロナ禍ではメガ3行の中で運用商品残高の増え方に大きな差が出たそうで、時流に合った商品を投入したみずほ、SMBCは大きく残高を増やし、MUFGは残高の増加は僅かだったそうです。
 長期分散投資と称してファンドラップを売る戦略だったのが、見事に裏目に出た感じですね。
 聞いた話では「FDを徹底した結果、担い手に遠慮が生じて提案が消極的になってしまった、これからは積極的に提案しよう」という総括があったのだとか。

 FDを機に、リテールの中で大きな変化がありました。業績評価ルールの変更があったんです。半期の評価から通年の評価で、息の長い案件を無理せずクロージングできるように。
 顧客本位なので。
 そしたらどうなったかというと、自主的に月次ラップを刻む運動が始まりました。
 それ、経営者の考えと合っていますか?
 銀行がやりたいことをやっていますか?
 誰か得している人がいるのだろうか?
 10年以上銀行に勤めていましたから、それなりに様々なことに問題意識を持ち、解決しなくては、と思いながらやってきましたが、ここで足が止まってしまいました。
 私を評して「武士みたい」「絶対に裏切ることなく、逃げもせず、会社と一緒に死んでいく人」と言う人がいます。そういう自覚はあります。
銀行で勤め続けるつもりでしたし、であるからこそ良い組織にしなくてはならないと思っていました。
 コロナ禍で暇を持て余したのも良くなかったです。勉強してしまいました。本を読み、Eラーニングを見て、週末はオンライン研修を1コマ~3コマ受講する…ということを1年間続けた結果。
 世の中から求められて経営陣が経営方針を決定しているはずなのに、それが現場に落ちてきた時に、経営陣がやりたいと思っていたことが何一つできていないのはおかしい。
 そう思うようになりました。

 役員帯同や役員ミーティング、頭取ミーティング、社長ミーティングなどにもよく呼ばれたり希望して参加していましたので、その時に「こういうことですよね」と何度も答え合わせをしましたが、経営陣の目指すことと私の目指すことは同じに思えました。
 「大本営発表を鵜吞みにするなんて」という声はあるでしょうが、経営陣は外を見ていて、外に対抗するためにそうしたいわけなので、大本営発表と揶揄する方はその辺見誤ってると思いました。

 先輩を差し置いてトップガン研修を受けて、自己啓発にも熱心でしかもそれを周りに伝播するわけなので、上司は私を昇格させたがっていましたが(たぶん)
「店全体の推進の旗振りを頼む!!」と言われた際に
「良いことだと思えないのでお断りします」
とお断りしました。
 人事が全ての銀行員にはあるまじき回答でしたが、やるやる詐欺をするつもりも毛頭無くて。
 
 金融機関は自らの都合でころころ変える…とはいえ、世の中の変化に合わせて変化しているわけです。「顧客が望んでいないのに!!」と主張する方もいらっしゃいますが、大きな組織ですからマクロの変化に合わせざるを得ないんです。
 ミクロのことに対応できるようにしてしまうと舵取りを誤る。リソースを割くべきでないところに割いてしまったりするわけです。
 マクロの極めて合理的な判断によって、カバーできなくなる市場が生まれる。
 郊外店の資産家などは、まさにそれなわけです。もともと支店があって担当者も来て課長も来て支店長が来て時々役員も来ていたのに、今はものすごい若手が時々来るぐらいで、それもちょっと嫌味を言ったら来なくなった…というような具合で。
 
 そんなようなことで、相談相手がいなくなって困っている人は大勢いるんじゃないでしょうか。私が担当者として支持を集めているのはまさにそういったお客様でした。
 
 そんな姿が見えた時、銀行がやらないなら自分がやるしかない、ということであまり迷わずに辞めることにしました。
 やりたいことも決まっていますので、40歳手前の転職活動でも、全く問題ありませんでした。唯一、外銀の投資一任勘定を上手く売る人を募集していただけの、某信託銀行と外銀の合弁会社もどきだけはお祈りメールが来ましたが。断る前にメールが来てしまって残念でしたが。
 まあ、ちょっとの間プライベートバンクでお世話になって、その会社が爆弾を抱えていたのと、顧客が獲得できて独立してもやっていけそうだったので、今は独立してFP(財産コンサル)兼IFA業をしています。
 もはやリテールバンカーを名乗ることはできませんが、やっていることはリテールバンカーだった時と何ら変わりません。顧客の為に知恵を出し、それを買ってもらう。顧客の役に立つこと。それが私の存在意義です。
 かつての同僚や後輩の中にも、将来に不安を抱えている人は大勢います。
 本稿を読んでいただいたリテールバンカーの方も、もし私と同じようにリテールが好きな人がいたならば、私と同じようなキャリアを歩むことは絶対にお勧めしませんが、銀行を離れてニッチなマーケットで生き残っていく道はありますし、銀行もまたコンサルティングオフィスなど小規模な相談対応オフィスを随所に作っていく計画もありますから、目指していくのも良いのではないでしょうか。
 そこに応募していくだけの地力を付けて転職していくのも手ですし、地力を付ける為には、銀行の外からの情報を積極的に取り入れていくことが必要になるでしょう。
 
 嫌味ではなく、問題提起として。
 私の顧問先の中に、メガバンクの店舗が無くなった地域の資産家の方がいらっしゃいます。
メガの担当者も変わったらしく、今度の担当者は頼りないのだとか。
 地銀に取引を変えていくのか?と問うたところ、「無理だ。知恵が無い。一次回答をすぐ欲しいのに誰か連れて来る話になってしまう」とのことでした。
 取引店はメガ地銀の役員店舗ですよ。そんなに差があると認知されているとは。
 担い手の皆さんはどう捉えますかね。「失礼だ!」と言いますか?私は、知恵があることを証明できれば、メガの取引が取れると考えます。
 あるいは、地銀のポジションなら難易度は低いですが、IFAや保険営業やFPがその知恵袋ポジションを取りに行ってもいいわけです。
是非、士業の方やグループ外の業者の方々に敬意を持って接し、仲良くなってください。何かあった時にグループ内の関連会社を頼ることは難しいですが、外部の方は義理を忘れないものです。きっと頼りになります。

 長くなりましたが、少しでもリテールバンカーの皆さんの、キャリアの参考になりましたら。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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