【ネタバレ注意】シンエヴァ感想:|| その日、エヴァンゲリオンが終わった
公開初日にシンエヴァを見に行ってきましたので、熱が冷めないうちに感想を綴ろうと思います。
※ネタバレを含みますので必ず鑑賞の上でお読みください。
以下本文では劇中用語などの突っ込んだ話は行わず、庵野監督ファンとしての意見・感想を書いていきたいと思います。
■シンエヴァは「明るいエヴァ」だった
関係者試写の反応やポスターから察しがついていたのですが、とってもハッピーな終わり方だったと思います。
エヴァの話になるとやはり思い出してしまうのは伝説巨神イデオン。
イデオンではその悲惨すぎるエンドから公式が「明るいイデオン」と呼ばれるセルフパロディ作品を作っています。
旧劇エヴァも惨憺たるエンドだったので、イデオンに倣って新劇エヴァ・シンエヴァはさしずめ「明るいエヴァ」といったところでしょうか。
とってもハッピーに見えるシンエヴァですが、一方で伝えたいメッセージは旧劇と変わってないのではないかなと個人的には感じました。
■25年越しの伏線回収
旧劇ではゲンドウよろしく「現実に帰れ」と視聴者を突っぱねていたのが、今回は非常に清々しい形で現実を意識させられる演出になっていたと思います。
ここで活きてくるのが旧劇を彷彿とさせるメタ的な演出の数々です。
メタ的な演出って凄くデウスエクスマキナ的で、諸刃の剣だと思うんです。(最近見たドラゴンクエストユアストーリーはその最悪な例でした笑)
ですが今回のシンエヴァの、特撮のセットやミサトの部屋でエヴァがどつきあったりするシーン(歴史に残る戦闘シーンだと思いますw)は、旧劇で一回やっていたからこそ活きた演出だし、正直「こんな演出あるんだ・・・!」と面食らってしまいました。
25年越しの伏線回収ってエモすぎませんか・・・!?
ラストの成長したシンジ君の声が神木隆之介だったのも、現実との接点を持たせるみたいな意味合いももしかしたらあるかもしれません。
■タイトルについて
この、「エヴァをやり直す」、「旧版・新版含めてすべてを終わらせる」というコンセプトが非常によく表れていたのがタイトルだったと思うし、本当にタイトル通りの内容でした。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」
そう、今までの新劇場版のタイトルであった”ヱヴァンゲリヲン”ではなく、
”エヴァンゲリオン”になっているのが示している通り、
シン・エヴァンゲリオンは”エヴァンゲリオン”を改める内容であること。
そして、おそらく末尾の記号「:||」は
|| 終止
:|| 反復の終わり
のダブルミーニングでしょう。
シンジ君がループから脱して新たな人生を進むラストまで示唆しているように思います。
監督が語っていたように新劇エヴァはループものになっていて、
途中に様々な分岐点があったように思います。
序→破→Qと進むにつれて、TV版と同一な部分からどんどん差異が生まれて分岐していき、この救いのあるラストに向かったと考えられます。
■マリの存在とカップリング
そこで大きな役割を果たしたのがマリだったと思います。
Qまでは主に戦闘シーン参加ばかりが目立ち結構影が薄いなと個人的に思っていましたが、最後の最後でシンジをかっさらっていく良い女っぷりに正直好きになってしまいました笑(ラストの、駅前の魚民がやたら印象に残る駅は、庵野監督の出身地である山口県宇部新川の駅ですね)
ここで重要になってくるのはシンジがマリとくっついた意味であることは間違いありません。
今まで関わりが薄かったのに(それこそ屋上の出会いのシーンくらいしか会話がなかったわけで)急にくっつきだすのは人によっては違和感を感じるかもしれませんが、僕は割と納得できました。
村での生活、人とのふれあい、綾波(仮)の喪失を経て(ここでシンジはユイを失ったゲンドウと同じ境遇になる)強くなったシンジ君は、今までになかった(旧版にない)人間関係を得ることが出来たのかなと。
Qでもカヲル君に対して同じことが起こってますよね。(カヲル君との連弾→喪失)
この二つの違いは、カヲル君とは1対1だったのが、綾波の場合は村の中での(集団・社会との関わり合いの中での)出来事になっているところかなと。
シンジ君を取り巻く環境に着目してみると、旧版のラストはただひたすらネルフ内の人間関係しか描かれませんでした。
そのネルフも、もともとは大学の研究室から発展していって大きくなった組織な訳で、人間関係は非常にクローズドだった。
いわゆるセカイ系的世界観そのものと言えるでしょう。
一方でシンエヴァでは綾波を取り巻くおばあちゃん達だったり、成長した同級生たち・シンジを気にかけてくれる仲間がいる。
非常にソーシャルです。
印象的だったのは、旧版で全く描かれていなかった補完計画中の民間人の姿が描写されるシーン。(村に津波が押し寄せて、結界に守られてるみたいなシーン)
長くなってしまいましたが、シンジがマリとくっついたラストはシンジ君が集団での生活を経て自己を確立していった結果、新しい人間関係を作れるようになった、あるいはエヴァの呪縛を断ち切った象徴的なシーンだと思います。(泣ける)
(あとはマリがゲンドウ・ユイの同級生という漫画版の設定も何か意味があるのかもしれません。)
マリシン(シンマリ?)を含めカップリングまで決定づけたのは、二次創作の余地すら残さない、本気でエヴァを終わらせてやるぞという気概の表れかファンへの牽制かもしれませんねw
■エヴァが終わるということ
個人的にはやはり、エヴァが終わったということに物凄い意義を感じています。
徹頭徹尾、竜頭蛇尾・・・みたいな言葉があるように、終わり方って凄く大切だと思うし、なにより「終わる」ということ、それが25年も続いたアニメなら尚更凄いことのように感じます。
この令和の時代に、およそ25年(自分とほぼ同い年なのも感慨深い)続いたコンテンツが大団円で終わったことにすごく意義があると思います。
ここ最近、看板が大きすぎるあまりに、延命措置を重ねに重ねてゾンビのようになってしまったシリーズ作品というのをあまりにも目にしすぎました。
シンジはエヴァが要らない世界を目指してそれを実現しました。
エヴァが要らない世界というのは、これは監督自身にとっても、あるいは我々視聴者にとってもかもしれません。
兎にも角にもエヴァに関しては旧・新ひっくるめてこれで終劇(!)なので、続編は作ってほしくないなと個人的には思っています。
P.S.
これに関連して、特攻前のミサトさんのセリフ「今までのすべてのカオスに決着をつけましょう」みたいなセリフも印象的でした。
■Qの再評価
ここからは余談。
シンエヴァが公開されて新劇が終わりを迎えたことによって、自分の中でQへの再評価の流れが来ています。笑
Qといえば、2012年に公開された問題作。僕も当時中学生ながら友達と見に行き、あまりの意味不明さに爆笑しながらスクリーンを後にした記憶があります。
今になって、完結編のシンエヴァを見たうえで俯瞰してから言えることなんですが、エヴァというビッグタイトルで、
膨大な資本を動かして世間を翻弄し(スポンサーの凄さはエンドクレジットを見ると身に染みます)、まして10年近くも放置して観客を待たせるって最高のエンタメなのでは?と思えてきました。
Qというタイトルも言い得て妙で、本当にその通り、「疑問しか残さない」内容になっている。
しかしこのシークエンスがあることによって、シンジ君と観客との一体感が得られたのだと、強く思います。
シリーズを4作品作れると最初から決まっているからこその大胆な構成(普通の作品なら興行的に失敗して打ち切りとかもあり得るわけですから)、本当にあっぱれとしか言いようがありません。
これは、本当にエヴァにしかできないことだったと思っています。
雅楽の「序破急」でいうなら、「急」は物語のクライマックス・肝にあたる部分という意味もあるので、Qがストーリー上においても、
ひいてはアニメ史においても非常に重要な役割を果たしたんじゃないかなと。信じています笑
■カレカノのBGMをすこれ
エヴァ、庵野作品と言えばなんといっても鷺巣詩郎さんの劇伴。
新劇はロンドンRECの豪華でド派手なアレンジの曲が多いですが、僕が一番好きな曲は元々はカレカノのサントラに入っていた「一期一会」というピアノ曲です。
今回、恋人・夫婦というような人間関係がフィーチャーされていたのもあって、破から使われていたカレカノのBGMがより印象的に使われていたように思いました。
二週目以降、この曲が流れてるシーンに着目すると何かわかるかもしれませんね。
■最後に
シンエヴァに関してはどれくらいの人が楽しめたのか正直微妙な部分があるのですが笑、(鬼滅みたいなノリで流行りものを見る感覚で見に来た人は全然楽しめなかったんじゃないかな・・・と思っています)
25年も続いたシリーズがこうして監督本人の手で終わりを迎えた、ということはすごく意義深いことだし、何より自分自身、一つの伝説にこうしてリアルタイムで立ち会うことが出来て感動しています。
個人的には、やや無理やり冒頭でイデオンについて触れましたが笑、エヴァのようなアニメがめちゃくちゃ興行的に成功しているので
富野監督ももっと評価されていいんじゃないかな・・・、というただそれだけを思っていますw(ちょうど富野展もやってるので・・・)
昨年Gレコを見て受けた衝撃について近々書けたらなと思います。
あとシンウルトラマンが楽しみです。
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