閃光のハサウェイはなぜ”今”公開されるべきだったのか
つい昨日、閃光のハサウェイを見に行ってきました。
興行的に成功してるというニュースがちらほら見え、正直「え、ハサウェイが流行ってるの!?!?なんで???」と疑っていたのですが、見終わったときには首がもげるくらい納得してしまいました。
凄すぎて、語りたいところは沢山あるのですが各所で触れられていると思うので大事なところを一点だけ。
「30年近く前に書かれた原作がなんで”今”映画化されたのか?」
ということです。
その理由は、主人公であるハサウェイに注目すると見えてくると思います。
■絶望のハサウェイ
ハサウェイことマフティ・ナビ―ユ・エリンは、腐敗した地球連邦政府が地球を食い潰してしまうのを阻止すべく世界各地でテロ行為に及びます。
今回映画化された一作目ではマフティの活動に懐疑的(ギギだったりタクシーの運ちゃんだったり)もしくは正反対(ケネスら連邦軍人)の人間と会話するシーンが多めでした。
ハサウェイは、もちろん相手に素性を知られてはいけないので相手に同調するような発言をするわけですが、その中での自虐めいた発言も本心であるように見えてなりません。
例えばギギにテロ行為を否定されたシーンでも、テロは良くないと同調しつつも、必要悪だと認めて目的のためには手段を選ばない、そしてもはや殺人を躊躇するようなフェイズはとうに超えてしまっている節を見せます。
ハサウェイを駆り立てているのは正義感などの高潔なものでは決してなく、若者特有の厭世観であったり、あるいは体制に抱いている諦念のようなものに思えてならないのです。
「ニュータイプなんかいない」だったり、「いくら高い理想を掲げてても、そんなに人を殺してたらいつかはマフティが生贄になる」であったり、主人公の発言とは思えないくらい台詞全体に絶望感が渦巻いています。
僕もちょうど作中のハサウェイと同年代で、しかもこの時世ですから、痛いほどシンパシーを感じる部分があり、その上セクシーかつ冷静沈着な小野賢章ボイスがめっっっっっちゃくちゃかっこいいので、映画に影響されてテロを起こしちゃう若者がいるんじゃないかなくらいには危険視しています。
■シャトルで手渡されたグラス
そして。こういった世の中に対する不満って小さなものが積もり積もって爆発していっちゃうと思うんですけど、その辺りの描写も丁寧かつ見事すぎました。
まず、ハサウェイは「テロを起こす前に一度でも政府高官の顔を拝んでおきたかった」という理由でシャトルに乗って地球に向かう訳ですが。
もう、冒頭から贅沢の嵐な訳です。
シャトルから高級リゾートホテルから、食事シーンも結構多かったですね。あとは調査局の人たちが無限に支払えるクレカを渡してくれたり。(このカードを見つめながらぼやくシーンも印象的でした)
この中でも特に象徴的だったのが、シャトルの中で手渡されるグラスだったと思うんですよ。
『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』の冒頭15分53秒(Aパート)より引用
これ、普通のグラスじゃなくて、おそらく無重力空間で飲み物を飲むためのパックをわざわざグラスに押し込めて、嗜めるようにしてあるやつなんですよ。
この圧倒的な合理性のなさ。
このアイテム一つから、
「こういう無駄を生んでいるような人たちが地球を食い潰したんだ」
っていうのが伝わってきます。
や、もう、このSF描写!!!!
なんですよ!!!
「コレコレ~~!!私がガンダムに求めていたのはコレ~!!」
と、分かりみが深すぎてケイトフォックスさんになってしまいました。
■まとめ
閃光のハサウェイは現代の若者に直球ストレートで突き刺さる作品になってます。他にも、マフティの組織にやたらベンチャー企業っぽさがあったり、ハサウェイとケネスの陰と陽のW主人公感がすごく今っぽかったり、見どころが沢山あります。
原作モノにも関わらず、ガンダムファンのみならず幅広い層に刺さる新しいガンダムなのかな、と感じました。
特典で貰えるフィルムはジェリドでした()
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?