カルチャーについて書き残しておくことの意義について

Twitter上で何度か「リアルタイムで観測したものはまとまった文章として書き残した方が良い」といったことを書いているのですが、その内容自体をまとめた方が良いのでは?と思ったので書いてみます。

何故カルチャーについて書き残した方が良いか結論から言うと、誰も分からなくなるからです。
後追いの人はもちろん、リアルタイムで観測していた人、なんなら当事者ですら分からなくなります。

その当時のカルチャーの空気感や何となく芽生えていた共通認識や感覚も10年経つと本当に誰も分からなくなる。
もし仮にその当時の勢いを保ち続けるカルチャーやアーティストであれば良いのですが、そうでない場合は誰かがまとまった文章として残しておかないと人々の記憶が薄れるにつれ、緩やかに消えていってしまいます。
理想は後世の人が興味を持った際に情報にアクセスしやすい状態をキープし続けること。
文章には時代を超える強度があります。

そもそも残らなかったカルチャーに後世に伝える価値がないのでは?というとそんなことはなく、それ自体がなくなっても間接的に影響を与えていることが多くあり、やはり史料としての価値があると自分は考えています。

こういったことを考えるきっかけの一つとしてオタク文脈とエレクトロニカがクロスオーバーしていた時期というのがかつてあり、自分はこのカルチャーから音楽的影響を大きく受けました。
この話を若い人にするとすごく興味を持ってくれることが何度かあったのですが、いざ説明しようとすると残念なことに断片的な情報と残されたいくつかのリリース以外はアクセスが出来ない状態でどのようにその魅力を伝えれば良いか言葉に窮したことがあります。

そういう意味で総括された文章があれば良いのですが誰も書かなかったのか上手く現在に繋げられていないことに惜しさを感じてしまいます。

あなたがもしオルタナティブな表現やカルチャーに魅力を感じていて、文章に残してみると、もしかするとそれは大きな価値を持つ可能性があることを知ってください。

「いや間違えたこと書いたら怖いし…」というあなたこそ今書いたほうがいいです。
なぜならリアルタイムで間違えたことや偏ったことを書くとそこはちょっと違うんじゃないかと意見をもらえるからです。
仮に10年後に思い出して総括してみようと思っても覚えている人の数は減っていますし、そもそも自分自身の記憶も怪しいし参考にしたい断片情報も見れなくなっている可能性があります。
そして何よりそのカルチャーに所属していたアーティストがその時活動している保証なんてどこにもありません。
アーティストというのは思ったよりずっと簡単にやめてしまうもので、そういった文章自体がとても励みになります。
間違えたことを書いて良いとは流石に言わないですが、書いてしまっても「そこ間違えてるよ」と本人から修正をお願いされそうなぐらいで書くのが一番いいタイミングじゃないかなと思います。

未来にカルチャーを伝えるという意味で書き進めてきましたが、そもそも文章は「今」起きていることを伝えるのが主な目的であって、あなたが良いと思ったカルチャーや表現について文章を書くと「どれ、そこまでいうなら次のイベントは行ってみるか…」「じゃあ一曲だけ聴いてみるか…」となる人が出てくるかもしれないじゃないですか。
これだけでも本当に価値があるのです。
その上後世に「このカルチャーにリアルタイムで触れてた人はこんなこと考えていたのか」と好奇心をくすぐる史料になる可能性すらあり、やっぱり書かない理由はないように思えます。

あと最近ブラックメタルというジャンル内の重鎮とも呼べるバンドの来日公演が決まりまして、界隈がざわついているのですが多分声に出さないけど「名前は聞いた事あるけどどんなバンドなんだ…」と思ってる人もいるんじゃないかなと。
そんなときにこういう力(りき)の入った文章のリンクをポンと貼るだけで「うおーーーすげぇ!俺も絶対観てぇ!」ってなるかもしれないじゃないですか。
それってすごく価値がありますよね。

そんなわけであなたが書く文章はあなたが思っているより価値があるという話でした。
あなたが好きになったカルチャーに何か出来ることがないかと思ったとき、文章を書くという選択肢があることを知ってくれると嬉しいです。

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