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オーディオの「原音再生」とは何か?

オーディオ、ピュアオーディオ界隈には古くから「原音再生」という言葉があり、度々議論の的になってきた。

人気のある一部のオーディオ評論家やオーディオ誌のキャッチフレーズでもあったし、実際に原音再生原理主義者的な信仰を持ったオーディオマニアも少なくない。ただ「原音再生」の言葉は最近では昔ほど錦の御旗の様に扱われることは少なくなり、特に若い世代になるほど「原音再生」という命題を表に出すマニアは減ってしまったような気はするけれども。

誤解を恐れずに云えば、箱庭的"AUDIO STYLE"管理人の僕は、必ずしも原音再生を目指してはいない。けれども、だからといって原音の存在を疎かにして良いとも思っていない。


■人によって定義が異なる原音再生

SNSでこの話題が出ると屡々いとも簡単に荒れる。「原音再生」という標語そのものを嫌うオーディオマニアが昔から一定数いるようで、彼らの主張をまとめると、多くの場合「そもそも原音なんて存在しない」だからナンセンスと云う主張になる。対して「原音再生」に拘るオーディオマニアの場合は、原音は唯一絶対の正しい基準だから、それ以外の基準でオーディオに取り組むのは邪道となる。悪く云うと頑なで原理主義に近い。

また、よくよく「原音再生」派の主張を読み解くと二手に分かれていて、原音が「録音されたもの」即ち完成したアルバムを指している場合と、録音される前の「生演奏」を指している場合がある。その両者は別のものを原音だと思っているから、根本的に認識が異なっているため議論になると噛み合わない。

■そもそも原音なんて存在しない?

音楽には、生演奏が存在するジャンルと存在しないジャンル、そして生演奏かどうかの定義が難しいジャンルが存在する。箱庭的"AUDIO STYLE"管理人にとっての音楽は、色々なジャンルをつまみ食いしているとは云え基本がクラシック音楽やジャズだから、生演奏=生演奏を目の前で体験した経験であり、それは聴き手としても奏者としても揺るがないものになる。

対して、ロックやポップスになると、生演奏即ちライブは主にPAを通したそもそもが音響機器によってに拡大され、加工、演出された音になる。ボーカルはマイクとミキサーを通しているし、楽器についても、エレキギター、キーボード類など電気的に音を出す楽器になると、生演奏といってもそれは既に、アンプによって増幅されスピーカーから出てくる電気的に加工された音であり、サンプリングされた音源がメインになる。

この種のジャンルが主の人々にとっての原音は、PAを通した、音としては本質的に生音では無いものであって、クラシックやジャズが主体のリスナーとは、言葉としては同じライブでも、音としてイメージする世界がかなり異なってくる。

■アンチ原音再生

原音再生の言葉を嫌うオーディオマニアは昔からいたけれど、特に現代でオーディオを志す数少ない若い世代ほど、何故か原音再生を嘲笑するよう傾向が増したように思う。この理由として、若い世代ほどオーディオ再生の目的、好んで再生しているジャンルが、ポピュラーミュージックやアニソン、ゲーム音楽、EDMなどの電子音楽が主流であり、そういった音源にはそもそ生演奏が全く存在しない点が考えられる。この種の音楽になるとライブすらあったり無かったりだし、仮にライブが開催されたとしても、前述のロック、ポップスのライブ音響的加工具合を更に先進化させたようなイメージになる。

彼ら彼女らは女性(男性)ボーカルを好む傾向が強いけれど、そのボーカルは本質的に歌手が歌う「生の歌」ではなく、女性(男性)歌手や声優のパート音源を元に、加工、ミキシングした電子音楽やDTMと呼ばれるもの。声はもはや細切れのデータ音源の一種でしかなく、音響制作側の加工技術とミックスセンスこそがキーであり、音程から長さ、リズム、揺らぎ、音質まであらゆる加工が可能になっている為、元の歌い手が上手かろうが下手かろうが最早あまり関係が無い。

この場合、オーディオ再生で目標となる高音質とは事実上Virtualサウンドであり、本質的に制作側の作曲/エンジニアとリスナーのイメージ中にある自由で主観的な好み「僕が信じる高音質」で良いことになる。

■原音再生その1 (生音、生演奏)

対してこちらは文字通り、録音される前の「生演奏、生音」を原音と定義することになる。クラシック音楽やジャズなど、そもそも電気的増幅のない明確な生演奏が存在するジャンルでしか定義出来ないけれど、逆に云うと、其処あるのは事実であり、何の加工もない現実の演奏そのものだから、定義としての曖昧さは根本的に存在しない。先ず生演奏「原音」があり、録音エンジニア、レコーディングマイスターによる収録(録音)、各種のミキシングと音質調整を経てパッケージメディアが出来上がる。

オーディオの再生音楽に於いてリスナー側が受け取るのはあくまで加工されたメディア、ソフトになるのだけど、感覚としては、録音×加工によっでエンコード(圧縮)保存された音源を、オーディオ機器によってデコード(解凍)する際に、オーディオファイル側で元々の生演奏のリバイバル(再生)を目指す、元々の生演奏になるべく近づける方法論が「原音再生」の定義になる。ちなみにライターとしての箱庭的"AUDIO STYLE"管理人の定義は、一貫してこの原音≒生演奏の立場を通している。

録音製作によるエンコード(圧縮)は主観であり職人芸だから、腕の良いレコーディングマイスターによって整えられた、生演奏を彷彿とさせる優れた録音もあれば、大半は可も無く不可も無く、時々酷い音質でなんだこれは?Σ(・□・;)www となるアルバムもある。ちなみに高音質だけど生演奏とはかけ離れているよね!?ってなる事も屡々あり、オーディオマニアが好む高音質盤は、往々にしてこの類の脚色、演出された高音質だったりする...(ρ゚∩゚)

■原音再生その2 (録音データ、アルバム)

生音とは別にもう一つ、収録後に編集ミキシングされ、最終的にアルバムとして完成された製品を原音と定義する人々もいる。録音エンジニア系でも、生音と完成品の何れを原音と定義するかで意見が分かれると思うけれど、音楽再生に於いて録音側が目指した完成品としての音楽メディア、データを主とみるか、録音プロセスもあくまで生演奏の従とみるかで「原音再生」の定義について、立ち位置が変わってくるのだろうと思う。

僕自身は録音エンジニアでは無いし、音楽再生についてはどうしても演奏者の視点で見てしまうから、演奏では無く録音されたものからが原点、原音となる感覚は本質的な部分で受け入れがたいものがあったりする。けれども、生演奏が存在しないジャンルになると当然ながら話が変わって、録音されたものが完成品という考え方が主流になるのは、ある意味間違っていないと思う。

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