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健全な家庭環境とは?①

牧師から借りた毒親に関する本を読む過程で、やはり毒親のことをよく考える時間が増えてしまった。こうなるんじゃないかと思って、約1年に渡って手をつけなかった訳だが、仕方あるまい。

無償の愛というのを知らない

原因のひとつというか大きく影を落とすことになったのは、幼少期の私が場面緘黙であったということだろうと思っている。この頃、どのような仕打ちをされてしたかは、以前の記事に書いたのでもう書こうとは思わないが、もし、私が場面緘黙ではなかったら、親はどんな姿勢をとったのか、とても興味深いところである。

常に何かに追い立てられていた

子供時代は遊びのひとつとして、絵を描いたりするのは一般的なことだと思うが、絵を描けば、将来画家になるんだとか、折り紙をやれば、手先が器用だから、外科医に!とかいうことを常に言われていて、自分と向き合う時間というのがなかったのを覚えている。

ただ寝る前や、休日の明け方など少し時間がある時は、空想するのが好きで音楽に関する仕事というか、そういうのを思い描いていたのは事実だが、それを親に打ち明けるということはあまりなかったと記憶している。

自分に自信がない

親が常に監視しているというか口出しが多かったので、自己肯定感が極端に低かったのを覚えている。今でもそういうところがあるのは事実である。

子供を叱る時はどうするか

もし子供がいけないことをしてしまったのが分かった時、健全な家庭、健全な親はどういう注意をするのか興味深いところである。

これにはあるエピソードがあって、高校時代は家から電車で1時間かかる高校へ通っていたのだが、ある時、知ってはいるがあまり親しくはない同級生が家に来たかと思うと、電車の定期乗車券を貸してくれと言われた。私は、構わないと思ったので貸すことにした。

夕方になって彼が返しに来た。母から何故、彼は来たのかと訊かれたので、「定期を借りにきた」というと、比較的穏やかだった母は急に怒り出した。私は最初、なぜ怒っているのかわからなかった。怒られ始めて1時間くらいが、経過したあたりで「定期を貸すのは犯罪だ」という事を聞くことができ、ここでようやく、自分がなぜ怒られているのか知ることができた。

普通ならば、こういう風にはならないのではないかと思う。

1回ここで終わる。

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