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私のクラスメイト(小学校)㉒

おはようございます。昨日は、更新できなかったので、今日は2本書きたいと思います。この女子の出席番号3番なのですが、私は実はいまだに思い出せないでいるのです。

昨日は、クラスメイトだった全員の名前を紙に書き出してみました。人数は合ってそうです。私はもしかしたら勘違いをしているのかも知れません。

という事ですので、3番ではなかったかもしれないと思いながらも、あるひとりについて、話を進めていこうと思います。

彼女は、運動神経も他の科目の成績もよく、かつ判断力や決断力に長けていて、よく学級委員や児童会(小学校では、生徒の事を児童と読んでいて生徒会の事を指します)にも選ばれる事が多かったと記憶しています。それでいて、威張ったり、みんなを見下したりという事はしなかったので、みんなからは慕われている存在だったと記憶しています。

先に㉑の記事で紹介した子とも仲が良く、気が合う感じだったようで、よく一緒に休み時間などを過ごしていた記憶があります。正義感や責任感なども強く、よくみんなを引っ張っていくような存在でした。

そんな中、私との関わりの中でエピソードをひとつ挙げるなら、5年か6年の時、クラスで4人ずつの班をつくり、グループ日記をやるという事がありました。その目的は、当初はよく分かりませんでした、誰が最初に言い出したかなどもわかりませんが、今考えると連帯責任のようなものを培おうとしたのかも知れません。

当時の私は、場面緘黙だったのは関係あるかわかりませんが、作文がとても苦手で、文字で自分の事などを表現するという事にとても苦手意識を持っていました。ただ、作文や読書感想文などで使う200字詰めや400字詰めの原稿用紙とは違い、日記なので、それらの作文と比べたら、書く量は少なくて全然良かったのですが。

今思い返してみると、子供の時の私はめんどくさがり屋な面もあったのかもしれません。グループ日記は各班に1冊配られ、表紙には班の番号とメンバー4人の名前が書かれていて、毎朝、書いてきた人が、担任の先生に提出し、帰りの会には、各班に返され、次の人に渡るというシステムになっていました。それを私は、故意にか本当に抜けていたのか、そこまでの記憶は今となってないのですが、立て続けに3日連続くらい書かない状態で持って行っては、同じ班だった彼女によく注意されていたのを思い出します。たしかに、作文が苦手だったという手前、どういう風に書けばいいか分からなかったという事もあったかも知れませんが、それは、他のメンバーが書いている事を見て、真似をすればいいだけでした。

何度も言いますが、作文などと違い、ほんの数行で良いのです。私はそんな事があってから、誰かの提案だったか、自分で考えた結果かまでは覚えていませんが、定型文のようなスタイルでしたが、「書く」という事ができるようになったのを覚えています。たとえば、こんな感じです。「今日は〇時間目△△でした。□□が難しかったです」のような。。

なぜ私は、これだけの事に時間をかけていたのか、今でも不明です。場面緘黙だったのとは別に、頑固でひねくれていたのかも知れず、何と言うか承認欲求のようなものがあったのかも知れません。たしかに今も承認欲求のようなものが私の中にあり、それが元でライブ配信に興味を持ったりする由縁になっているのかとも思うのです。

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