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一人称が俺になった

私は毒親の元で育てられ、ずっと自分に自信がもてなかった。自己肯定感もかなり低いまま成人した。その時の一人称は「自分」だった。「僕」というのもしっくりこなかった。

幼少期より場面緘黙があって、毒親から「話さないことはダメなこと」なのだと、かなり言われてきて、自分に自信が持てなくなってしまっていた。

そうなると、毒親の前では、素の自分を出すことができず、私は次第に自分を見失っていたのだと思う。

そうなると、挙動不審というか、おどおどしてくる。

毒親は、そんな私の様子を見て、それもダメだと言ってきた。

じゃあどうすればいいんだよ!

と私はなっていたんだと思う。

次第に毒親とあまり関わりたいと思わなくなった。

何かあっても、毒親には助けてもらいたくないという強い意志が芽生えていた。

成人後も、毎日のように送られてくる文字のびっしりと連なったスクロールしなければ見れない程の長いメールに、私の心は相当荒んでしまっていた。

私は、数年前、着信拒否とメール拒否に踏み切った。

連絡手段はLINEのみ、私からの注意勧告もしたつもりだった。

しかし、毒親は何も変わらなかったので、一昨年の11月に完全に連絡が取れない状態にした。それから今に至る。今は、もう毒親と会うことも関わることもないものと思っている。

私は、英語の勉強をしていた4年前くらいのとき、世界中の人とランダムにつながる通話アプリをあるユーチューバーの紹介でダウンロードしたのだが、その時の私は、見ず知らずの人と話すということに、なかなか踏み出せずにいた。

本能なのか、本来の自分に戻ろうとしているのが自分でもわかる。自分の一人称は「俺」らしい。なんか使ってみて、1番しっくりくる。まだまだ発展途上だが、私は、私らしく、歩んでいきたいと考える。

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