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あの日の手紙

もう二度と会わないと思った。
水彩の空を切り取って、朝が塗り潰されるのをずっと待っている。ずっと、ずっとずっと

鳥の声が怖い。空気の音を固めたような硬度だから。カーテンからの光が怖い。
呼吸の音をいつもより近くに感じるから
そういうことか。と誰かが言う
どういうことだろう。そういうことなのだろうか。本当はずっと前から何もかもが怖くて仕方がなかった。小さい頃からずっと、耳を塞ぎたくてしょうがなかったし、目をつぶしてしまいたいくらいに、感覚が痛かった。本当は何もかもが怖かった。

世界はひとつに繋がっていて、私は小さい頃からうまくそれを認識できない。
私が瞼を閉じるのと、誰かが車を運転させるのは一緒。意味がわからないと思うから補足する。
1枚のスクリーンから、トラックの音がする、端に映る家から子供が出てきても、それはスクリーンでしかないように、私の世界はいつも1枚で出来ている。
実感を伴ってくれない。味気ない世界。
それが、おかしなことなのだと気付いたのは本当に最近のことだった。

そのスクリーンには、よく私に笑いかけてきた叔父さんがいた。私はその人を見るのがとても好きだった。だけど、そうしてフラフラと画面を見渡しているうちに、その叔父さんはいつの間にかずっと遠くに、画面の外に行ったきり姿を現さなくなった。
よく私の頭を撫でてくれた叔父さん。
一緒に遊園地に行った叔父さん。ジェットコースターで泣いた私を困った顔であやしていた叔父さん。肝心なことは心で伝えてくれる叔父さん。
テーブルに置いたホットミルクが冷めていく
こうして私が文字を使い始めていることと、外の世界と触れ合うことは何ら変わりはないけれど
私が、叔父さんと向かい合わないうちに、叔父さんはいつの間にか消えてしまった。
だから、本当にここにいたのかも実感が湧かないし、よくわからない。よくわからないけれど、あなたに会えなくなったことだけはわかった。
雪の季節になった。

葬式には行かなかった。行けなかった。
多分私はあなたを愛していたけれど、確信が持てなかった。あなたは私を愛してくれていたのに、愛していてくれたからこそ、顔向けできなかった。
あなたをあなたと認識できないから。
薄情な気がした。
きっと会いに行ったって悲しめない。
悲しめないことは、愛していないのと一緒だと誰かから聞いた。私は悲しめない。
あなたを愛していれたとしてもきっと一緒。
だって、私もあなたも同じ空気の中の成分でしょう?体が消えたって、もしかしたら画面のどこかにいるんだってどこかで信じてしまう。見えてないだけなんだって。だって感覚ではここにいるから。

でも、きっと形としてそこにはいないなら、ちゃんとさよならをしてあげなきゃいけなかったのに、私はあなたに悲しんでほしくなかった。私が悲しめないことを、あなたが誰より悲しんでくれることを私は知っていたから。

手紙を書いた。何年もかけて、何十枚、何百枚とゴミ箱に入れて、手紙を書いた。
何を書いたのか覚えていない。
手紙の最後に、あなたは大切なひと。と書いた。
愛しているとは書けなかった。

それからまた季節が何回も巡った。
私はいまだにあなたの言葉に生かされている。
だけど、きっともうあなたには会えないと泣いたあの子達の言葉は正しいのだと思う。
だってもう何年もあなたには会えなかった。
お前は薄情だと怒ったあの子の優しさも正しいのだと思う。私はあなたが大切な人だと伝えるのに何年もかかってしまった。
時間をかけることでしか、わたしは証明できなかった。あなたは望まなかったと思う。だけど笑ってわかってくれたらいいなと思ったよ。
あなたは私にとって大切なひとだって。

だけど、本当はね、やっぱりそんなことしなくたって、いまだにどこかで生きているって思うんだ。だって、まだ私の中で生きているんだ。
私と空気と、またあなたの中でも私は生きているんだ。まだあなたの中で私は生きているよ。

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