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道のりは長いけど

この数ヶ月で、個人的な日常についての文を書いたり読んだりしたいなぁと思うことが増えた。半年経って状況に慣れてきた部分もあるとはいえ、出かけたり人に会ったりできない寂しさと、特に最近は、誰に会った、どこへ行ったということを話題にしづらくなったことなどが原因である。この状況を窮屈に感じるほど、今までが書きすぎだったかも知れないとも感じる。

最近もたまにではあるけど、友人とメッセージでやりとりしたり、タイミングが合えばオンラインでお茶したりすることがある。隣の部屋に家族がいるとか次の用事が待っているなどの制約はお互いにあるものの、気心しれた相手とのくだらない話で肩の力が抜ける。忙しいんじゃないか、仕事や生活でおしゃべりどころではないんじゃないか…などと二の足を踏んだのは最初だけで、いざ話してみると皆それぞれ踏ん張りつつ日々過ごしてきたことがわかって余計に会いたくなる。先日グループ通話中に「個人的な日常の文章を書いたり読んだりしたくて」と話してみたら、友人が「私もそう。何か読みたいよね」と言っていた。肩肘張らずキラキラに輝いてもいない文章を求める精神状態なんだろうか。

ただ、読んだり書いたりできるようになったのは最近のこと。「こんなときだからこそ書き残しておかなきゃ」と焦る反面言葉にならず、手帳を見返してみると春先から真っ白なページが続いた。番組の選曲リストを載せるという動機付けによって、週1回のブログ更新がようやく習慣になったところです。

これ以上自分のブログやSNS以外の場所を増やしてもなあ…と考えた末、個人的な文章を長めに書く、少しだけクローズドな場としてnoteを使うことにしました。ブログは私のなかでオフィシャルの意味合いが強くて。あと昔から改行や全体のレイアウトを気にしてしまうので、noteでは改行せずにまとまった文章を書きたいという思いもあります。ここまで書く間も、改行キーを押したい気持ちを抑え、ふとクセで「ターン!」と押しては元の段落に戻す動作を繰り返してきた。まずは中身を気にしようよ、と自分でも思う。だけど気になる。

このアカウントは3年前、当時セルフ棚卸しの議題にしていた「母親」という役割や職業について書いたあと放置していたもの。今後書く文章にもお金をいただけるほどの情報はおそらくありませんが、読みたい方が自分で選んで読んでいただく場があってもいいなと思うので、有料マガジンについてはしばらく考えてみます。更新の頻度についても気負わずやってみますね。

ようやく、改行しないまま書き続けることに慣れてきたところです。

では。
…最後に思い切り「ターン!」とやってしまった。修練は始まったばかり。

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