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味噌汁と壺のくだりで逃げ出したくなる_後ハッピーマニア1

待ってたよ、おかえりシゲカヨ!!
…と言いたい気持ちはあったけど、続編スタートを知ったときは正直少し複雑だった。

90年代のヒット漫画「ハッピーマニア」は、私が初めて読んだ安野モヨコ作品です。大学生だった2003年頃、ただただ作品の勢いに呑まれ、展開に衝撃を受けつつ読み進めました。
その後「美人画報」から近年まで安野モヨコ作品にハマってきたのだけど、当時暮らした街の景色や貸してくれた友人と縁遠くなってしまったことなど、青くて苦い記憶が貼りついた「ハッピーマニア」だけは15年以上読み返せなかった。なんとなく遠ざけてきました。

しかし、時間がどうにかしてくれるもんですね。
「後ハッピーマニア」1巻冒頭の「おさらい人物相関図」で、過去の登場人物を眺めているうちに、自分の思い出などどうでもよくなっていることに気がついた。べったり貼りついていたはずの思い出もいまやすっかり剥がれかけ。ぺりぺりぺり、ぽい、はいおしまい。

どんな大切な関係も感情も、1度手放して別々の生活を始めてしまえば呆気ないものかもしれない。シゲカヨは45才、私は38才になります。
これで話に集中できる。あらためて、待ってたよ、お久しぶりシゲカヨ!!

以下は「後」のネタバレを避けた感想文です。

幸せ求めてもがいたシゲカヨが、結婚式の控え室で「あー彼氏欲しい」とつぶやいたところで前作「ハッピーマニア」は終わる。
それから15年。久しぶりに見たシゲカヨは全然落ち着いてなかった。配偶者タカハシとのやりとりも、シゲカヨのツッコミも相変わらず激しい。それなのに、ずっとシゲカヨを追い続けていたはずのタカハシが離婚を切り出すってどういうことだ。

前作を初めて読んだとき、私はストーリーに共感してはいなかった。自分自身とはかけ離れた人の物語として、遠くから眺めるような距離感で受け止めていた気がします。ただ「後」のシゲカヨは生活いっこいっこがリアルというか、自分と同じ現代で現実を積み重ねてきたんだなという印象を受けました。
このように「後」のシゲカヨやフクちゃんが近く感じられたからこそ、再会が嬉しくもあり、モノローグやセリフがずーんと自分自身にこたえたりもした。
結婚生活やパートナーシップについて「あーそれ私も考えたことあったわ…」などと思い当たることもあれこれ。自分の生活もそれなりに時間を経てきたのだなとあらためて思う。

それにしても、シゲカヨの家もだけど親友フクちゃんの家庭もなかなかに闇が深かった。
「しあわせの形」は当事者2人の間でも違うから、すり合わせたり引っ込めたり飲み込んだりするもの。時間が経つにつれて折り合うことにも慣れてゆくけど、ふと別の「しあわせの形」に触れてしまうと脆いものなんでしょうか。
フクちゃんの話はそれぞれのモノローグがざらざらしていてつらかったな。

ただ、家族の決定的な亀裂を感じる救いのなさそうなシーンにも、ツッコんで笑ってしまう小さな風穴がある。現実のディテールを積み重ね、エンターテインメントに昇華する安野モヨコ作品が、私は大好きです。

それにしても私は前作で、シゲカヨの夫タカハシにかなりときめいていた。相手にされなくても一途に想い続け、終盤で突然カッコよくなったり看病に現れたりするタカハシの姿にぐっときたものです。
ところが「後」では、タカハシの一挙手一投足が全然ピンとこない。新婚時代から「純粋な人ほど無神経にこういうこと言うよね…」とイラッとするセリフばかり。
そう。シゲカヨの行動は過激に見えるけど、自分の理想を無邪気に発した結果シゲカヨに受け入れてもらっていたり、要望を聞いているようで実は話し合いになってなかったり、結局一番勝手なのってタカハシなのでは?と思った。

…という感想や自分たちの話を、友だちとわーわーしたくなったんです。今はそれぞれ境遇も背景も全く違う生活を送っているけど、いいこともやなことも、共感できることもできないことも関係なくネタにして笑い飛ばしたい。
こんなご時世だからなおさら会いたい熱が高まってしまい、最近行なったオンラインお茶会で、読み終えた直後の熱量のまま感想を投げつけてしまったことは大変反省しています。ごめんよ。

2巻が出る前に「ハッピーマニア」も読み返そうかな。

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