米寿祝い
「会うのはこれが最後かも知れんなあ」
今年で88歳を迎える富山の祖父は、私が東京に帰ろうとするたびにこう言う。
いつもだったら「大丈夫、おじいちゃんは長生きするよ」と笑ってかわすのに、その時ばかりはどうしても無視できなかったのは、きっと直前に父を亡くしていたからだろう。
私の父が他界したのは、去年の春だった。
あまり穏やかではない時期が多かった我が家において、父の存在は極めて薄く、父親らしいことをしてもらった記憶もほとんどない。だけど、社会人になってから、心の片隅でずっとこう思っていた。
「そろそろ父に会っておかなければ」
そうは思いながらも、仕事の忙しさと、今更会ってどうしたらいいのかわからない気持ちを理由に、私は会いにいくどころか連絡すらとらなかった。
そうこうしているうちに、気づけばもう会えない人となってしまった。どうしたらよかったんだろうと考えてうまれ続けた後悔を、私はどこにもぶつけることができなかった。
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「祖父母に会いにいくために、富山と東京の二拠点生活をはじめた」というと、大体返ってくる反応は2つに分かれる。
「おじいちゃんおばあちゃん孝行だね」という反応か、「それで仕事を辞めてしまったなんて、勿体ない」という反応だ。
確かにそうかも知れない。
二人に会いに毎月富山に行くことは、客観的にみれば優しいことなのかも知れないし、せっかく行きたい部署への異動が叶った後、次の働き先を決めずに辞めることは、理解しがたい選択なのだろう。
だけど正直、どちらの反応にもずっと違和感があった。
純粋に「おじいちゃんおばあちゃんが好き」という気持ちだけでは、こんな振り切った選択はできない。父に対する後悔の反動が、私のこの一年をつくっている。”祖父母のため” なんて綺麗な優しい気持ちではなく、どうしたら自分が後悔をしなくて済むかを考え続けた上での決断だった。
「仕事を辞めてしまったなんて勿体ない」と言われる意味もとても理解できる。結婚も出産もしていない20代の今は、おそらく一番働ける時期だろうし、前職を続けていたからこそ挑戦できたこと、学べたこともたくさんあっただろう。
だけど、辞めたことを後悔したことは一度もない。
仕事はこの先いつでもできる。だけど、今しか会えない人がいる。
そう思っているからだ。
もちろん、一定の年齢だからチャレンジできることもあるし、信頼を積み重ねたからこそ任せてもらえるポジションもある。体力があるうちだからできる働き方だってあるだろうし、自分が健康でなくなったら働けなくなるかも知れない。今の状況は当たり前じゃない。
それでも。
この先働き続ける可能性の方が高い。だとしたら、私は今何を優先すべきなのか。会社における私の代わりはいくらでもいる。だけど「孫である私」や「娘である私」は替えがきかない。
「自分にしかできないこと」なんて虚構を仕事に求める前に、まずは身近な人に対して「自分だからこそできること」をするべきだったんじゃないか。
2年前の自分に会えるなら、そう言いたい。けれどそんなことできっこないので、まずは今の自分に言い続けることにした。
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8月に迎えた祖父の米寿祝いは、そんな私の決断を意味あるものにしてくれた。
「会うのはこれが最後かも知れんなあ」と言うのが口癖だった祖父が、別れ際「また遊びに来てな」と言ってくれた。
今年一番聞きたかったことばが聞けた。
やっと前が向けそうだ。