スターライト・ザ・ウサギ! 第一話

 あらすじ
 
 仮想世界バーチャルリアリティが全盛となった二十三世紀。
 時代の明暗を象徴するかのような、二匹のバニー型アバターがいた。
 全てを備えた全局面ジェネラリストバーチャルアイドルとして飛躍する十六歳の少女・日輪アルカ。
 夢破れて音楽教師と仮想掃除屋の二足草鞋の生活を送る二十七歳独身女・望月兎喜子もちづきときこ
 全てを諦めて安穏と暮らしていた望月兎喜子に、日輪アルカは怪しい笑みで語りかける。

「私と一緒に…バーチャルアイドルで、天下を取らない?」

 それはまさに小悪魔の囁き。
 二十七歳独身教師を、華麗なる転身に導く誘いだった。




シーン①
モノローグ:仮想世界バーチャルリアリティが全盛となった、二十三世紀。電脳都市・第三東京のビルディングの上を跳び回る、オンボロ灰色兎のヌイグルミがいた:モノローグ終

 オンボロ兎のアバター――望月もちづき兎喜子ときこは、ビルディングの狭間に見えるノイズを発見すると、瞳を輝かせた。

兎喜子「やった! 破棄情報ダストデータを発見!」

 両足にスプリングガジェット――仮想世界を飛び跳ねる光のバネを装着し、影も踏まさぬ速度で距離を詰める。
 伸縮するマフラーガジェット――スパイダーマフラーを勢いよく伸ばし、ビルの隙間にあるノイズだらけの破棄情報を掴み取って引き寄せた。

兎喜子「もうすぐハロウィンだけあって」「破棄情報が沢山あるわ!」

 バンザーイ♪とはしゃぐ兎喜子。

兎喜子「音楽教師の収入じゃ姉弟全員を養えないものね~」「稼げる時に稼がないと!」

 握り拳を作って気合いを入れる兎喜子。

 その時、仮想世界の渋谷の上空に巨大なスカイモニターが現れた。
 マイクの前に座る九官鳥アバターの司会者は、ハイテンションな声でニュースを送る。

九官鳥『レディィィース・アンド・ジェントルメェン!』『来週はジャパンゲームズランキングマッチ!』『挑戦者は流星の様に現れた超新星!』『バーチャルアイドル出身・日輪アルカだァ!』

 そのニュースに、兎喜子はギョッとした。

 MVと共に映し出されたのは、金の髪を靡かせる兎耳少女のアバター。 
 愛嬌のある深緑の瞳。 
 自信に満ち溢れた笑顔。 
 腰に手を当ててカメラを意識したポージング。 
 日輪アルカがウインクした瞬間、兎喜子は兎耳を立て、瞳を輝かせた。

兎喜子「わあ…! アルカの新MV!」

 兎喜子が熱狂する中、九官鳥アナウンサーはアルカを背景に熱っぽく語る。

九官鳥『アルカのデビューは無差別級ジャパンカップ!』『堂々の二位を取り、デビューシングルも三位を記録!』『歌って善し!戦って善し!トークも善し!』『全局面ジェネラリストアイドルの彼女をトップランカーが迎え撃つ!』

 スカイモニターに流れる情報を、兎喜子は瞳を輝かせながら見送った。

兎喜子「凄いなあ…もうランクマッチに挑むのか…」「十六歳のころ私は何やってたかしら…」

 熱狂から一転、自身を振り返って肩を落とす。

兎喜子(同じ兎型なのに…アルカと私は天と地ほどの差がある)(アルカは時代を照らす太陽の子)(私は夢破れた音楽教師で)(夜はゴミ拾いをする灰兎)

 はあ、と溜息を吐く。

兎喜子(とはいえ、最推しが急成長を遂げるのは嬉しい)(頑張れアルカ! 私の太陽!)

 拳を握りしめ、電子の夜空を見上げる。
 兎喜子の幸せはそれだけ。
 たったそれだけで、よかったのに。
 ビルの屋上で黄昏ていた兎喜子に、背後から声がかかったのだ。

アルカ「そこの兎さん」「随分と年季が入ってますね?」

 …へ? と、間の抜けた声を上げる。
 兎喜子が振り返るよりも先に、声の主は歩み寄ってきた。
 プラチナブロンドの御髪を靡かせながら顔を覗き込む少女――日輪アルカは、輝く笑顔を見せた。

アルカ「お隣よろし?」「仮装パレードを見に来てたんだけど」「パパラッチに見つかりまして」

 その姿は間違いなく、スカイモニターに映っていた日輪アルカだった。
 唐突に押し寄せる最推しの情報量にパニックを起こす兎喜子。

兎喜子(え!? え!!? アルカ!??)(アバターの造り込み凄い!)(ってか声綺麗!!)(未加工でこの声って国宝か!?)

 アルカはそんな兎喜子の心情など露知らず、ボロボロの兎耳を触って距離を詰める。

アルカ「この兎アバター可愛いね」「経年劣化凄いけど」「アンティークとして使ってる感じ?」
兎喜子「ぇ、あ…お…!?」
アルカ「お?」

 首を傾げるアルカ。
 硬直する兎喜子。
 一瞬の空白のあと、

兎喜子「おんぎゃわあああああ!?」

 変な声が出た。
 そして脱兎の如く大脱走。
 兎喜子はスプリングガジェットをフル稼働して飛び離れたのだ。

アルカ「あ、コラ待て!!」

 逃げる兎喜子を追うアルカ。
 二匹の兎がビルディングの屋上を高速で飛び跳ねる。
 三つビルを飛び越えた時、アルカは異常に気が付く。

アルカ(嘘…!?)(プロゲーマーにも勝ってきた私が、全然追いつけない!?)

 アルカがどれだけ全力で走っても、突き放されないので精一杯だ。

アルカ「ちょ、ちょっと待て! 待てったら!!」
兎喜子「おんぎゃわあ!! おんぎゃわわ!?」
アルカ「くそ、せめて人語で話せ!」

兎喜子「おんぎゃわああああああああ!!!」

 二人の競走は、兎喜子の強制ログアウトで幕を閉じた。

 シーン②
 モノローグ:そして、次の朝:モノローグ終

 兎喜子はジャージ姿でランニングをしていた。

兎喜子(しまった…!)(何度思い返しても、人生最大のチャンスだったのでは!?)

 昨夜の出会いを後悔する兎喜子。

兎喜子(アルカの美声…)(唯一無二のウィスパーボイスを聞き違えるはずがない)(せっかく出会えたのに…!)

 兎喜子の脳裏に、昨夜の醜態がよぎる。

兎喜子『おんぎゃわあああああ!!!』(シーン①回想)

兎喜子「………」

 帰って来た家の玄関でふっ…と遠い目をする。

兎喜子(最推しに醜態を晒した挙句、謎の奇声を上げるとか…!)(ぶっちゃけ死にたい!)

 兎喜子は玄関で頭を抱えて苦悶する。
 すると台所から高校2年生の四つ子の姉妹・望月小春もちづきこはる望月秋子もちづきあきこがひょっこり顔を出す。

小春「兎喜子姉さん、なんで悶絶してるの?」
秋子「仕事で嫌なことでもあった?」
兎喜子「だ、大丈夫!」「最推しの新曲に脳が震えてただけだから!」
小春「なにそれ怖い」
秋子「朝から玄関でブレインシェイクかよ」

 二人から同時にドン引きされる兎喜子。
 小春と秋子は呆れながらため息を吐く。

小春「もう、しっかりしてよね」
秋子「副業がバレた公務員が炎上したって」「ニュースでやってたよ」「姉さんも気を付けてね」

 兎喜子は己を戒める様に、グッと拳を握る。

兎喜子(そうだ…私は)(家族のために稼がないと)(アルカばかり気にかけてられない)

 自室に戻り、仮想世界にフルダイブするフルフェイスBCI――ブレイン・サイバー・インターフェイスを被る。
 電脳マイルームに移動した兎喜子は、昨夜の仕事を思い出す。

兎喜子(あ、しまった)(破棄情報の消去を忘れてた)

 仕事用のフォルダを開いて破棄情報を閲覧すると、ファイヤーウォールが反応した。

兎喜子「げ、ナニコレ」「情報バンクを爆破するウイルスじゃない!」

 破棄情報だと思っていたデータは、脳波に紐づけられた外付けの情報バンクを丸っと白紙にするウイルスだった。

兎喜子「危ないわねー!」「こんなものは削除…って情報強度高!!」

 操作パネルが危険信号で真っ赤に染まる。
 とてもではないが市販のウィルスバスターでは対処できない。

兎喜子「駄目だ、手が出せない」「帰ってから市役所に提出しよう」

 気を取り直して、学校のサーバーにアクセスする。

兎喜子(教師IDの認証終了)(同調開始、と)

 脳波の明晰夢を見せる電気信号がBluetoothにリンクし、仮想世界へとフルダイブさせていく。

シーン③

 サイバースクールにログインして校門に立つと、登校してきた女子生徒たちに挨拶された。

女子生徒A「兎喜子先生おはよう~!」
兎喜子「おはよう」
女子生徒B「相変わらず美人だね~」
女子生徒A「その容姿で音楽教師とか宝の持ち腐れ過ぎて笑える!」

 キャッキャと甲高い笑い声を上げて歩き去っていく女子生徒たち。

兎喜子(容姿…容姿か)

 歩きながら過去を振り返る兎喜子。

モノローグ:母親譲りのプラチナブロンドもあって、幼い頃は大人たちに可愛がられた。
〝将来はスーパーモデルだね!〟
とか。
〝いやいやトップアイドルだろう!〟
…とか。
 けど容姿が良ければ人生薔薇色、なんて時代は二世紀も前に終わった。
 二十三世紀に求められたのは、生花リアルではなく造花バーチャル
 バーチャルアイドルに必要だったのは、容姿ではなく三種の神器。

 歌唱力、話術、ゲームテクニック。

 これらを極めた者だけがバーチャルアイドルとして大成する。
 それでも期待に応えたくて音大に進学して…だけど七年前に両親が亡くなって、夢見る余裕も無くなって。
 家族を守る為に、安心安全の公職に逃げ込んだ:モノローグ終

兎喜子(歌を諦めないっていう母との約束も半端なまま)(今も練習だけ続けてる)(そろそろ諦めて…家族を守らないと)

 過去を振りほどく様に、兎喜子は頭を横に振る。

兎喜子(さあ、今日も仕事よ)(頑張って教鞭を振るいましょ!)

 気合いを入れなおし、校舎に入っていく兎喜子だった。

 シーン④

 夕暮れの放課後――兎喜子はゲッソリと疲れ果てた顔で愚痴を吐き出す。

兎喜子「やってしまった…アルカに気を取られて」「中間テストの採点を忘れるなんて…」

 ヨロヨロと廊下の壁に寄りかかる。
 校長から「罰として、放課後の見回りをしなさい」と言い渡されたからだ。

兎喜子(家に帰っても休む時間ないな…)(すぐ掃除屋の仕事に行かないと)

 疲れ切った身体をおして見回りをする。
 放課後から既に二時間が経ち、校内には生徒も教師も残っていない。
 確認が終わったら学校のサーバーをクローズにするだけ。
 閑散とした校内を確認し終えた、三階の廊下で。

 彼女は、音もなく現れた。

エリカ「…まさか、こんなに早くチャンスが来るなんてね」

 ん? と疑問符を浮かべながら振り返る兎喜子。
 背後に立っていたのは、ツインテールが特徴的な背の低い女子生徒。

兎喜子「貴女は…」「吉祥きっしょうエリカさん?」
エリカ「はい」
兎喜子「どうしたの?」「もう誰もいないし、学校が閉まるわよ?」
エリカ「わかってます」「だけどどうしても、先生と一対一でお話したくて」

 首を傾げて疑問符を浮かべる兎喜子と、瞳を細めながら笑う吉祥エリカ。

エリカ「駄目じゃないですか」「先生なのにあんなことしちゃ」「公職が副職を持ったら、即クビですよ?」
兎喜子「!?」

 兎喜子の表情と思考が凍った。
 エリカは厭らしく笑いながら一歩ずつ近づく。

エリカ「サイバーダストクリーナー社、ですよね」「三年連続最高実績を出した凄腕の掃除屋さん」「七人姉弟を養うために教師と掃除屋の二足草鞋で生きてきた」「…あってますよね?」

 兎喜子は完全にパニックに陥った。
 そして今朝の秋子の言葉を思い出す。

秋子『副業がバレた公務員が炎上したってニュースでやってたよ』(シーン②秋子回想)

兎喜子(まずいまずいまずい…!)(身内の炎上は一生もののマイナス!)(あの子たちの就職や進学に影響が…!)

 最悪の場合、家族全員の未来が奪われ、路頭に迷うことになる。
 混乱した兎喜子の脳内は爆発した。

兎喜子「ひ…人違いですううううう!!!」

 スプリングガジェットを両足に装着し、脱兎の如く逃げた。
 すかさずエリカも両足にスプリングガジェットを装着し、猛スピードで追いかける。

エリカ「今日こそ逃がすか!!」

 両者共に残像を生み出すほどの速度で校内を駆ける。
 二人が跳ぶ度に暴風が巻き起こり、教室の窓ガラスが揺れる。
 階段を一足飛びで駆け下り、校舎の出口まで最短ルートで飛び込んだ兎喜子は、扉の取手を掴んで愕然とする。

兎喜子(う、嘘!? 開かない!?)(なんで!??)

 校舎の正面口は電子ロックが掛けられて退出できない。

エリカ「追いついた!!」
兎喜子「ぎゃぁあ!?」

 一直線に跳びかかって来たエリカを避け、一目散に逃げる兎喜子。
 エリカはスプリングガジェットの限界を超えたその瞬間加速に、目を見開いて驚いた。

エリカ(やっぱりおかしい!)(スプリングの初速は等速のはず!)(加速してきた私が先生の初速に追いつけないはずがない!)

 突き放していく兎喜子の背中を見て、エリカは口角を上げる。

エリカ(なんて速度…!)(やっぱり先生となら…!)

 一方の兎喜子は次の一手を思いつかないまま、音楽教室に逃げ込んでいた。

兎喜子(ど、どうする!? どうする!?)

 何か手段はないかと自分のユーザーパネルを開いてフォルダを漁る。
 必死にスクロールしていると、今朝発見したサイバーウイルスに目が留まる。

兎喜子(そ、そうだ…!)(あの子は副業の証拠を隠し持っているはず)(けどこのウイルスなら情報バンクを丸ごと消せる!)

エリカ「やっと見つけた」「もう逃がさないよ、先生」

 息を切らせながら駆け付けたエリカは、ピアノの後ろに隠れた兎喜子に一歩、また一歩と歩み寄る。
 兎喜子は高鳴る心臓を抑えながら覚悟を決める。

兎喜子(ヤるっきゃない…!)

 ピストルガジェットを取り出し、銃弾に変えたウイルスを込める。立ち上がって銃口を向けた、その時。
 エリカは小悪魔の笑みで囁いた。

エリカ「先生さ」
兎喜子「――っ!?」

エリカ「私と一緒に…バーチャルアイドルで、天下を取らない?」

 一瞬の沈黙。
 兎喜子は青ざめたまま硬直し、エリカの言葉の意味を理解できずにいた。

兎喜子「…?」

 エリカは思い出したようにユーザーパネルを開く。

エリカ「ああ、そっか」「学校用の加工音声じゃわからないよね」「この声ならわかる・・・・・・・・?」「昨夜の灰兎さん?」

 日輪アルカの音声がエリカとダブり、兎喜子は絶句。
 手にした銃をその場に落とした。

兎喜子(天から与えられた唯一無二の…)(スーパーウィスパーボイス…!?)

兎喜子「…………うそぉ……!?」
エリカ「ホントだよ? 兎喜子センセ♪」

 最推しに名前を呼ばれて「おんぎゃわぁ!?」と叫ぶ兎喜子。
 その反応に満足したエリカは手を振って背中を向ける。

エリカ「それじゃ先生」「詳しい話は明日の土曜12時!」「渋谷ハチ公前に集合で!」

 それだけ言い残すと、エリカは音楽教室を後にした。
 ポカンと半口を開く兎喜子は、その背を見送るしかできなかった。

 シーン⑤

 次の日、兎喜子はハチ公前で青ざめていた。
 いくら考えてもエリカの意図がわからなかったからだ。

兎喜子(リアルバレはバーチャルアイドルにとって最大の禁忌)(そんな危険を冒してまで私と接触する意味って何…?)

 脳裏に、エリカの言葉が過ぎる。

エリカ『私と一緒に…バーチャルアイドルで、天下を取らない?』(シーン④回想エリカ)

兎喜子「あ、ありえない! ありえないわよ私!」

 ブンブンと頭を振り回してブレインシェイクする兎喜子。

モノローグ:けど…二十七歳でバーチャルアイドルになることは珍しい話じゃない。
 二十三世紀のバーチャルアイドルは二百万人を超える。
 仮想世界に繋げば 、好きな姿のアイドルになれる時代。
 小太りの男性も、イケメンアイドルに。
 天使に憧れる女性も、翼の生えたお告げ系アイドルに。
 定年退職後の第二の人生や、仕事の合間のちょっとした趣味にバーチャルアイドルを嗜むのは変なことじゃない。
 でも…姉弟を養うので精一杯だし、私にそんな余裕は…!:モノローグ終

 姉弟の小春や秋子の顔が脳裏に過ぎる。
 その時、背後から声が掛かった。

エリカ「先生ってば!!」
兎喜子「ぎゃあ!?」

 奇声をあげる兎喜子。
 これには声をかけたエリカも驚いた。

エリカ「おっとっと~?」「先生って奇声癖でもあるの?」
兎喜子「普段はこんな声出しません!」
エリカ「なら良し」「今日は来てくれてありがと♪」

 愛想よく笑うエリカ。
 愛らしい声に思わず赤面して「いい声…!」と呻く兎喜子。

エリカ「ふぅん…先生」「私のファンだな?」
兎喜子「じ、自称古参です!」「ジャパンランク28位のブラックガイアを瞬殺した時から」「この子は来る!って確信してました!」
エリカ「お、おお…」「ならどこが好き?」「やっぱり超絶美少女の金髪兎アバター?」

兎喜子「  声 が ! ! !
      好 き ! ! !」

 人目も憚らずに大声で告白する兎喜子。
 脳内にアルカのMVを展開して熱い息を吐く。

兎喜子「魅惑的なウィスパーボイス!」「胸に響くチェストと耳に深く刻まれるファルセット!」「これらを完璧に使い分け、歌い上げた地力の高さ!」「全てが最高!!」

エリカ「はは~ん私のこと大好きだな?」「じゃあその辺も追々ね」「着いて来て」

 踵を返すエリカ。 
 後ろにつづく兎喜子。 
 渋谷駅から歩き続けて一〇分。無人の古ぼけたビルに入り、何もない廊下を進んでエレベーターの前に立つ。

エリカ「ハイここ」
兎喜子「へ?」
エリカ「入って」

 ボロボロのエレベータを親指でさすエリカ。
 兎喜子は一歩身を引きながら問う。

兎喜子「こ、ここで何を…?」
エリカ「不安?」
兎喜子「はい…」
エリカ「まあ、素人をボロビルに連れ込んでナニすんだって話だしねぇ」

 どんどんキナ臭くなる話に、兎喜子の表情が警戒心で染まる。
 顎に指を当てて考え込むエリカはウインクして、 

エリカ「じゃあこうしよう」「黙って従ってくれれば」「先生の好きなアルカ声で好きな台詞を生収録」
兎喜子「お い く ら 万 円 で す か!?」
エリカ「おっと? 予想以上の喰い付きだぞ?」
兎喜子「食費削ります!! 生活費削ります!!」
エリカ「アルカは鬼かな?」「いいから入った入った!」

 無理やり押し込まれる兎喜子。その顔はアルカの生音声という物欲に歪んでいる。美人でなければ許されないデへへ顔だ。
 ボタンを押さないまま扉が閉まると、ガコン! と横にスライドし、ボタン一覧にない地下へとエレベーターが進み始める。

兎喜子「え!? え!!? 何処に向かってるの!?」
エリカ「ウチの事務所」
兎喜子「コズミックプロダクションがボロビルの地下に!?」

エリカ「芸能事務所を出入りしてる無名の子って」「高確率でバーチャルアイドルでしょ?」「パパラッチから守る為に事務所を隠す必要があるの」「来客用の事務所は別にあって、収録室とか社長室は」「この渋谷アンダーオフィスにあるってわけ」

兎喜子「な、なるほど…なら来客用に向かうべきじゃ…?」
エリカ「? 社長室はコッチだよ?」

 唐突な胃痛が兎喜子を襲った。

兎喜子(初手で社長面接…! か、帰りたい!)

 戦々恐々としたままエレベーターを降りると、オフィスビル顔負けの清潔感ある綺麗なフロアが視界に広がった。
 しかし三人の女性がエリカの道を塞ぐ。

エリカ「…? なんですか先輩?」
博徒「私たちとユニットを組む話、蹴ったそうじゃない?」
エリカ「そりゃ蹴るでしょ」「先輩たちとは方向性違いますし」
酒盗「でも部長命令だったのよ!?」
葉巻「無視していいわけない!」

 鬼の形相で喰ってかかる三人の女性。
 兎喜子はその声に聞き覚えがあった。

兎喜子(この声…猫娘バーチャルアイドルの、山猫花魁?)

 リーダー・娘々博徒ニャンニャンバクト
 センター・娘々酒盗ニャンニャンシュトウ
 ボケ担当・娘々葉巻ニャンニャンハマキ

 モノローグ:山猫花魁――三人ともに年間ランキングトップ100に食い込むゲーマーアイドルグループ。
 フォロワーは150万人を超え、アルカがデビューするまではコズプロの看板だった:モノローグ終

博徒「確かにアルカの人気は凄い」「でも一過性にすぎないわ」
酒盗「今は物珍しさで騒いでるだけ」
葉巻「私たちと組みな」「ソロで戦える時代は終わったの」  

 一方的に捲し立てる山猫花魁。
 兎喜子は怒りで顔を真っ赤にして踏み出たが、それをエリカが制す。

エリカ「待って先生」
兎喜子「で、でも!」「後輩に圧力かけて煽り倒して!」「アルカの人気に縋りたいだけじゃない!!」
三人「は、はあ!?」 

 睨み合う山猫花魁の三人と兎喜子。
 対照的にエリカの表情は冷静そのもの。

エリカ「…ふむ」

 剣呑な空気が流れる中…エリカは悪戯を思い付いたように笑みを浮かべる。

エリカ「…いいですよ」「条件次第で組みましょうか」
兎喜子「え!!?」
エリカ「けど私が譲歩するんですから」「先輩も譲ってくれますよね?」

 リーダーの博徒も嫌味な笑顔で承諾。

博徒「ふん…いいわよ」
エリカ「私は実力のある人と組めればそれでいいんです」「そして彼女はアルカと組むに値すると判断した人」
博徒「…それで?」
エリカ「先輩たちがアルカと組みたいなら」「彼女以上の実力を示して下さい」「それも、先輩たちのファンの前で♪」

シーン⑥

 モノローグ:ニ十分後:モノローグ終

 猫カフェをモチーフにした仮想世界を背景に、生放送を開始する山猫花魁の姿があった。

博徒「はぁ~い野良猫フォロワーのみんな♪」
酒盗「山猫花魁が緊急特番をお送りするニャ!」
葉巻「今日は特別ゲストを呼んでるニャ~ン!」

 接続数は瞬く間に増え、野良猫のアバターを着たフォロワーのコメントが仮想世界を飛び交う。

猫A『山猫の生配信!』『告知無しなんて珍しい!』
猫B『デビューから八年経っても猫キャラやってんだ』
猫C『いいんだよ!』『推定アラサーのニャンコ言葉でしか摂取出来ない栄養がある!』

 150万フォロワーというのは伊達ではなく、開始十分で数千の視聴者が集まって来た。
 始まってしまった生放送を止めることは誰にもできない。
 ボロボロの兎のヌイグルミアバターを被った兎喜子は、仮想世界の控室で真っ青になったまま震えていた。

兎喜子(ど、どうしてこうなった!?)

 ゲスト枠は二人。
 日輪アルカと…素人の兎喜子。
 震える兎喜子に、スタンバイ済みのエリカ――もとい日輪アルカが笑いかける。

アルカ「先生ビビり過ぎ」「先生に有利なゲームを選んだんだから」「勝ち目は十分あると思うけどなあ」
兎喜子「だ、だって」「相手はトップ100よ!?」「私が勝てるはずないじゃない!」

 兎喜子はプレッシャーでプルプル震える。

兎喜子「負ければアルカが山猫花魁に参入なんて…!」
アルカ「でも素人の先生がトップ100ゲーマーの先輩に勝てば」「ファンを吸収できる」「見返りは大きいよ?」
兎喜子「で、でも…!」

 兎喜子は兎耳を抑えて震えるばかり。
 溜息を吐いたアルカは、兎耳を振りながら天井を見上げる。

アルカ「はあ…なんでこの状況にときめかないかなあ」
兎喜子「へ?」
アルカ「先生さ」「毎朝学校来る前にランニングして」「井之頭公園でボイトレしてたでしょ?」

 兎喜子は今までとは違うベクトルで驚いた。

兎喜子「な…なんでそれを…!?」
エリカ「結構有名だよ?」「先生の容姿目立つし」「綺麗なソプラノだなーって思ってたよ」

 途端に恥ずかしくなる兎喜子。
 家族しか知らないはずの兎喜子の努力を、アルカは知っていたのだ。
 アルカは兎喜子の顔に覗き込み、今までにない真剣な顔をする。

アルカ「あのボイトレは、姉弟が自立して、自分の時間が出来た時に」「音楽活動をするためじゃないの?」
兎喜子「そ、それは…!」
アルカ「家族のために生きるのは素晴らしいと思う」「でも諦めきれないって、先生の声が訴えてる!」「だって死ぬほど働いてるのに」「歌の練習は続けられたんだから!」

 モノローグ:そうだ…働いて、働いて、家族のために働いて。
 でも諦められなかった。
 母との約束を捨てられなかった。
 バーチャルアイドルなら年齢を重ねてからでも、セルフプロデュースでデビューできる。
 何時か誰かに、ささやかで良いから…望月兎喜子の歌を聞いて欲しかった:モノローグ終

アルカ「今日勝てば、何万もの人に認知してもらえる」「いつか歌だって聞いてくれるかもしれない!」「先生の努力が試される日が来たんだ!」

兎喜子「アルカ…」

アルカ「私を信じて」「私が選んだゲームならキャリアを生かせる!」「先生なら勝てる!!」

 力強く、自身に満ち溢れた瞳が、兎喜子の背中を押す。
 最推しにここまで言われて逃げるファンはいない。
 兎喜子はパン! と頬を両手で叩き、握り拳を作った。

兎喜子「わ、わかったわ! 必ず勝つ!」
アルカ「そうそう」「負ければ私も兎から猫にされちゃうニャン」
兎喜子「ぎゃあああああやだああああ!!!」

 脳が焼かれたような奇声を上げる兎喜子。
 アルカはここでようやく、兎喜子が残念美人であることを認識した。

兎喜子「ぜ、絶対に阻止しないと…! アルカは私が守る!!」
アルカ「あはは! OK、未来は託した! 行こう先生!!」

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