センスって言葉に囚われぎじゃない??
最近、どこもかしこもセンスに囚われてる気がするのは自分だけだろうか。
センスの良い音楽、センスの良いファッション、センスの良い本など文化がセンスに囚われすぎている。
正確には文化はセンスに囚われていなくてセンスに囚われてるのは、僕ら自身だしセンス=サブカルになっている。
サブカルは元々センスじゃないしサブなカルチャーな訳で、サブカルが浸透しすぎてしまいサブカルなものがセンスになり、サブカルなものを僕らが選ぶようなってしまった。
サブカルだと思ってサブカルっぽくしてるのものは本質的なサブカルじゃないと思うけど。
そんな感じでセンスって言葉だけ先走ってしまって、世の中はセンス社会になってしまった。
居酒屋のメニューとか店名みてもセンスで勝負しててどんな商品かお店想像つかないの反吐がでるし意味がわからない。
職業柄センスを求められる部分あるけど、
仕事だけでセンスを感じたくないし求められたくもない。仕事でもセンス測られてるの感じるの嫌だししかもセンス測る側なのがおじさんなのも理解できない。
おじさんのセンスと若者のセンスは違くて、
今求められるのは若者層のセンスであっておじさんのセンスじゃないからおれの方が正しいだろって思う。
まぁ何が言いたいかって言うともっとシンプルで良いって話。音楽もストレートな歌詞が良いし、
伏線が散りばめられたドラマよりも純情なドラマが良い。美味しいって思ったお店でご飯食べたいよ。食べてるけど。
一周回って、シンプルな世界が近いうち来ると思うけど
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