Atu

楽しいことが大好きで、写真を撮ることも好きでスポーツするのも好きで、みんなが笑っていて…

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楽しいことが大好きで、写真を撮ることも好きでスポーツするのも好きで、みんなが笑っていて欲しいといつも思ってる。そんな人です。

最近の記事

写真が好き「感謝」

とても久しぶりの投稿。 あっちに行ったり、こっちに行ったり、 戻ってきてみたりの日々でした。 感謝することを忘れているような、 自分が自分でないようなフワフワした 感覚を過ごしていた気がします。 最近感覚が戻ってきた。 現実にいる感覚が戻ってきた。 地に足がつく。 そんな感覚がいいと。 感謝できるようになってきたら、 自分がここにいる感覚がする。

    • 好きな場所。

      遠征で寄ったあの場所は、今では好きな場所になった。 15年以上前に遠征試合で寄った観光地「宮島」。広島で試合があり、後輩を連れて広島へ。試合の結果は忘れてしまったが、試合後に観光で寄ったのが「宮島」だった。 宮島フェリーに乗って海を渡る。フェリーから見る宮島は幻想的で聖域と思えるような場所で、上陸してからもとても新鮮な空気を感じた。後輩は鹿に追われて面白かった。 厳島神社を参拝し、そのままの流れで近くの大願寺によった。このときに、呼ばれていたかのように寄ったのが「龍神様

      • コーヒーはじめました。

        寒くなってはじめたこと、コーヒーを淹れること。 小さなコーヒー屋さんの一杯からコーヒーに目覚めた。今の会社が少しだけブラックだったときに午前3時までサービス残業をしていて、気分転換に会社周りを歩いていたときに見つけた小さなコーヒー屋さん。なんとなく飲んだあの一杯はコーヒーが飲めなかった私に衝撃を与えた。 コーヒーが甘い。苦いと思っていたのにすっきりと飲みやすくて、香りと甘みを舌で感じるほど美味しかった。店主さんが好みを聞いてくれて私に合わせて淹れてくれた心配りにも感動した

        • 本を読む。

          はじめて本を1冊読めたのは20歳過ぎてからだった。 英語もできないのに海外にいた。半年間の海外生活は英語のできない私にはなかなかのストレスで、暴飲暴食気味になっていた。そんな時に1冊の日本の本を買った。街に出かけたときに紀伊国屋書店を発見し、とりあえず中に入ってみた。英語の本だらけで(当たり前)日本の漫画も英語、でも漫画は絵がたくさんで少し安心。本屋をブラブラしていると、輝いて見えるコーナーを発見!なんと日本の書籍コーナーで日本語で溢れていて、私も喜びで笑顔が溢れてしまった

        写真が好き「感謝」

          ドライブ。

          どこかに行きたい。いつもそんな衝動に駆られる。 ドライブが好きだ。休みの日は必ずどこかへ行くが、目的地がないことが多くて大概はその辺を2時間くらい走ってる。それで家に帰るだけでも満足感はあり、なぜどこかへ行きたくなるのかわからない。ガソリン代もバカにならない。 この現実からの逃避行で、どこかへ行けば何かが変わる気がしていると思っているのかな。今が不幸せなわけではない。日々幸せに暮らせているし、そのことに感謝もしている。いつも家の近くの神社の前で感謝を伝えて会社へ行くほどだ

          ドライブ。

          抽象的な今日。

          箱の中で箱を開いて、薄い四角いものの中から四角い枠が4つ。その枠の中の人達はその中から話をしていた。 今日の朝、丸の中に3本の異なる長さの針があるものが、ジリリリリリリリリリと音がなった。まだ夢の中にいるような私は四角いフカフカの場所から起き上がった。ひらひらの布を開き丸い眩しい光が四角い箱の中に入ってくる。今日も目が覚めるような眩しい光だ。箱の中から外へ出て、四角い乗り物へ向かう。中へ入りボタンを押すと、四角い箱は音を出し目覚める。「おはようございます。今日は〇〇の日です

          抽象的な今日。

          なるようになる。

          ケ・セラ・セラばあちゃんのつぶやき。 1956年の映画「知りすぎていた男」主題歌、主演女優で歌手のドリス・デイさんが歌っていた。日本語ではペギー葉山さんが歌っていた楽曲。96歳のばあちゃんが若かりし頃に歌っていたんだろう。 久しぶりのばあちゃん家、コロナやおじさんの襲来で足が遠のいていた。10年くらい前まではすぐ近くに住んでいて、時間があれば一緒にお茶するくらい頻繁に通っていた。ここ5年ほどで認知症が始まったようで、会話をしていても2〜3分前に話したことを忘れて、何度も同

          なるようになる。

          火。

          小学生の頃にキッチンが燃えた! 初めて間近で消火器の使用を見たのは、小学生の夏休みだった。昼寝をしていたときに叫び声。飛び起きて何が起きているのかと目を擦りピントを合わせた。すると、換気扇のところまで上がる炎が見えた、その瞬間白い粉煙とともに炎がなくなった。とにかく驚いて、「大丈夫?」と消火器のホースを握りしめた母親に声をかけた。母は真っ黒になったフライパンを見ていた。 おばあちゃんの家では枯れ葉を集めて、焚き火をしてお芋を焼いたのが楽しい思い出として残っている。家族で庭

          毛。

          曾祖父ちゃんはつるつる写真。 実家の仏壇の上には、じいちゃんとばあちゃんと曾祖母ちゃんと曾祖父ちゃんの遺影がある。曾祖父ちゃんは毛がなく、つるつるの写真で立派な着物を着ている。親父もじいちゃんも髪はある。ちょっと薄いが毛が細くなって薄く見えるだけで、毛の数は変わっていないようだ。猫っ毛天パという特別仕様の毛が生えている。遺伝だ遺伝だ、私も猫っ毛天パという特別な仕上がりとなっている。 めちゃくちゃ抜ける。お風呂で抜ける、布団で抜ける、髪をセットするときも抜ける。このまま行け

          家の片付け。

          断捨離の願望を強く持つ。 今の家に住んで約半年。いろいろと買った記憶はあるが、捨てた記憶がない。ということは、必然的に家の中の物が増えているということになる。確かに最近家が狭くなったように感じる。大きな物は買っていないので、スペースが無くなったと感じてはいないが、何か少しづつ狭くなってきている気がする。 引っ越しの前に断捨離をした。その時は一年間着ていない服や使ってない物を手当り次第捨てていった。意外と気持ちのいいものだった。もう一度あの断捨離をしたときの爽快感を味わいた

          家の片付け。

          時計。

          時間は人が創造したもの。 時計を見ると時間がわかる。短い針と長い針で時間を知ることができる。時間は時間を知っている人に与えられる。拘束されると言ったほうがいいかもしれない。時間を知らない人には時間はない。 1日は24時間 1時間は60分 1分は60秒 1秒は間。空間というべきか、なんと言うべきか分からない。間は人によって感じ方が違うし、場所やそのとき何をしているかで変わってくる。時間とは人の創造、同じ間を共有すること。 時計は時間を感じるために発明された。便利だけ

          時計。

          おみくじ。

          おみくじは神様の助言。 おみくじを引いた。 なんとなく、神社に行くと引く時がある。 前回は「凶」、今回は「吉」。 前回の悩みは、仕事を辞めたい。それが大きな悩みだった。 気にしていない、凶の文字。全然気にしていない理由ではなかったが、凶も出る。前回の凶は高校生の頃だったかな。正月のおみくじだったので、今年1年はやばい年になるのかもと思っていたが、そうでもなかった気がする。それからはどのおみくじでも、言葉の方を大切にしている。 今回の吉では、商売のところが一番気になった。

          おみくじ。

          見上げる景色。

          見上げると信号機。 何気ない瞬間に空を見上げてみる。 会社に行くとき。 帰るとき。 犬の散歩のとき。 子供と公園に行ったとき。 いいことがあったとき。 嫌なことがあったとき。 何気ないときにいつもの空を見ている。 いつも空と雲があって、いつもと変わらない。 いつも変わっているけれど、いつも変わらない。 空を見上げたら、心がスッキリする。ちっちゃい世界に自分を置いてしまうことが、バカバカしく思える瞬間を味わうことができる。 見上げる景色はいつも雄大。

          見上げる景色。

          椅子。

          何人の人を座らせてきたのだろう。 島へ連れて行く船、お客様を運ぶために1日に何回も往復するフェリーの3階部分にあった。 朱色のベンチ、海風に吹かれながら毎日誰かを連れて行く。カップル、夫婦、友達、家族、一人旅の人を乗せている。色が薄くなっても、傷がついても毎日誰かのお尻や荷物を乗せている。 揺れながら、いつもの景色を見ながら、いつもの人に運転をしてもらって頑張ってます。 友達の自販機と一緒に毎日誰かを守っています。 イス。

          椅子。

          影の力。

          影があると光が目立つ。 影は黒でもあり、グレーでもある。グラデーションは影からできていた。 と気づく。 早朝の太陽が低いときだったので、いい感じの角度で陽が当たっていました!

          影の力。

          帰路。

          寂しかった帰り道。 なぜか思い出す小学生、中学生時代の帰り道。小中学生の時の道はほとんど同じ道だった。中学校の200メートル先に小学校があり、合計で9年間同じ道を通って帰っていた。 幼馴染や友達と帰ったりした帰り道。楽しい記憶もあるのに、なぜだかふとした瞬間に思い出すのは寂しく一人で帰ったときのこと。3反くらいの田んぼの横を歩く自分がいて、優しく風が吹いている。このイメージと共に寂しい感情を思い出す。何が寂しかったのかわからない。 心のなかになかったもの。 家族のもと

          帰路。