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同じ空気の吸い方

Social Networking Serviceは1997年にアメリカで生まれた。

SixDegrees.com

この名前を知る人はほぼいないし、仮に知っていても何の意味ももたらさない。

1997年、平成9年の日本はどんな時代だったのだろう。

93年頃にから急速に盛り上がっていった、女子高生を中心としたアンダーグラウンド文化が次第に表面化していき、97年にはマスメディアを完全にジャックした。
そしてルーズソックスの大衆化に嫌気がさした一部の女子高生がハイソックスを選択し始めた、そんな時代。

若者はいつの時代も流行の潮流を産み出していく。だがこの時代の流行は、大人が一方的に押し付け、垂れ流すテレビではなく、新しいツールであるポケベルやケータイを持つ一部の若者クラスタの中でシェアされることで生まれた。

当初、自分達の仲間だと判別するために、よりディープでクローズドな村社会を形成していく。所属員にしか分からない言語を産み出し、他の部族と異なることを示すため、独自のファッションを纏い、極端に差別化を図る。そして大人達がそれに気付き、テレビで田舎にいる若者達に拡散されていった。

既存メディアをアンダーグラウンドが逆転した転換点だったのだろう。

80年代から90年代前半。僕の思春期は、皆がテレビというマスメディアを通じて同じ空気を吸っていた。人気のテレビ番組を見て、次の日に学校に行って同級生と会話する。

「今週の夢で逢えたら見た?まっちゃんのボケも良かったし、浜ちゃんのえげつないツッコミでゲラゲラ笑っちゃった」

「東京ラブストーリーの主題歌良くて、思わず小田和正のCD買ったわ」

「ポカリのCMの宮沢りえ、かわいすぎだろ」

今も昔も日本の流行は東京で生まれているのだろうけど、当時はテレビというインターフェイスによって一方的に拡散され、日本のどこの田舎に住んでいても東京で生まれた流行を憧れの眼差しでテレビに釘付けになっていた。

そんな東京以外のどこにでもいる少年もやがて大学生になって、大人の仲間入りする。いざ大都会へ。東京を知らない田舎者はPOPEYEやHot-Dog PRESSといった雑誌を買い、服屋やCD屋、ナンパスポットを調べ、そして東京の街に足を踏み入れる。渋谷や原宿、表参道を歩けばメンズノンノのモデルとすれ違い、「やっぱ東京ってすげえな」と同郷の友達とはしゃいだりもした。

だがテレビに移る東京と実際に自分の足で歩く東京の間には大きなギャップがあることに直ぐに気付く。
街の中心にいるのは大学生から女子高生にとって変わられていたし、テレビという画一的で一方通行のインターフェイスから、ポケベルやケータイを持って双方向にコミュニケートしている人達に出くわす。

1995年3月末の日本のケータイ加入者数は433万、人口普及率で3.5%しか持っていなかったのに、2000年には48%、約半数の人がケータイを持ち、インターネットを使い始め、メールで情報をやり取りするようになっていた。iPhone3が日本に導入され、ケータイがスマホに置き換えられたときよりも変化は恐ろしいほど急激だった。

時代は移り変わる。

SNSも移り変わる。

2004年に日本でMIXIが、アメリカでFacebookが誕生し、2006年にはTwitter、2010年にInstagram、そして今も続々と新たなSNSが生まれている。

当初クローズドな世界だったSNSも、今や国境を越え、世代を越え、あらゆる人がスマホというインターフェイスを通じて情報を交換し始める。

そして気が付くと世界はジェンダーレスでボーダレスでエイジレスになっていた。年齢や性別や国籍に関係なく、流行はシェアされていき、ファッションだけを切り取ると、どこの国の、どの年代の、どの性別なのか全く区分けできない。真の意味でのユニバーサルな世界に、僕たちは住んでいる。そしてスマホの画面を通じて見知らぬ人達と、今、僕が見上げている空をシェアする。

時代という同じ空気の吸い方は、大きく変わった。

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