荒廃が進む歓楽街
かつて毎日のように人通りが多かった歓楽街は幻となった
遡ること一年前。
日本国は「コロ助」の蔓延を受けて全国的に緊急事態宣言や蔓延防止措置などの行動規制を矢継ぎ早に発令し国民の行動を抑制した。
その当時、私が活動する歓楽街も例外はなく毎日が「元旦」のように誰もいなくなった。ほぼ全ての飲食店が「協力金」を得ながら従順に政府や自治体の「要請」に従ったのだ。
歓楽街の役割は大きく分けると「飲食」と「風俗」の二つの要素がある。私の感覚で言えば「コロ助」前に歓楽街を謳歌していた消費者は男性7割、女性3割といったところか。
「コロ助」前のとある週末の金曜日。
いきつけの居酒屋で生ビールを飲み、塩味の効いた料理を堪能し、満腹になると「2軒目」の店を訪れる。俗に言う「夜の店」の開店時間は、そのあたりを考慮して大体20時前後だ。
人間の生理的欲求の中で「睡眠欲」以外の欲求を満たすことが可能なのが夜の歓楽街の特徴となる。
その頃の歓楽街は月曜日から金曜日まで一生懸命に働いたサラリーマンや中小企業経営者が日頃のストレスの解消を求めて週末になれば歓楽街に繰り出していたものだ。
しかし、2020年になり、我々のような歓楽街の飲食店にとってそのような人達の賑わいは忘却の彼方に忘れ去られてしまったようだ。
約3年の自粛期間によって「夜の蝶」は転職していった
思い返せば自粛期間中の歓楽街は悲惨極まりない状況だった。
夜の蝶の多くは以下の理由で働いている。
1.副業しなければならない経済的理由で働いている
2.シングルマザーなどが生活費の捻出のために働いている
よほど若くてキャバクラなどの客単価が高い店で人気がある女の子以外は経済的に苦しみながら働いていた。
想像してもらいたい。
20代の女の子が喜んで夜の街で働きたいと思うかどうか。
経済的に裕福な同級生や同僚は週末に飲食店で美味しいものを食べて、盛り上がり近い将来に結婚しても良いと感じる男性との接点を楽しむか、エステなどの美容関係のお店に行き消費しているだろう。
そのような同年代を横目に見ながら夜遅くまで働くのである。一生に一度しかない青春を夜の店での労働に捧げることを彼女たちが本心で望んでいるとは到底思えない。
そんな状況の中で「コロ助」が襲い掛かってきたのだ。
政府が緊急事態宣言や蔓延防止措置を実施し始めて彼女たちの姿は夜の歓楽街から消えていった。
「コロ助」前はアフター(自身が勤めるキャバクラ等の店の営業が終わった後に客と食事に行く行為)で週に何度も顔を見てきた女の子たちだ。
後日談で、その中の数人は「昼間の仕事」に就いたと聞いた。
偶然にも全員がシングルマザーだった。
「昼の仕事のお給料はどうだ」
と聞くと全員が給料(可処分所得)が大幅に減ったと答えた。
彼女たちは限界までの緊縮財政を強いられている。
そう私が感じたのには根拠がある。
それは彼女たちとの再会がスーパーマーケットだったからだ。
彼女たちのカゴの中は、もやし、豆腐、納豆などで肉や魚などの生鮮食品は入っていなかった。
悪夢の始まりは近所のキャバクラだった
私が活動する歓楽街で最初のクラスターが出たのは近所のキャバクラだった。俗に言う「接客を伴う飲食店」だ。
この事は地元のローカル局によって大々的に夕方のニュースで報道された。この段階で私は「これは大変なことになる」と確信した。
この頃の私は3店舗ほど運営しており、そのうちの1店舗を任せているスタッフは先ほど書いた「副業の女の子たち」だった。
近所のキャバクラでクラスターが発生して、その事が何回もニュースに取り上げられていく中で私の心の中は「副業の女の子達に任せている店は廃業しなくてはならなくなる」それだけだった。
ついに廃業することに
「コロ助」前に私は勢い良く新規出店を進めていた。
最初は雑居ビルの小さな店から始めて3年で3店舗まで拡大していた。
しかし世の中は私の勢いを潰す方向に動いていた。
ついに政府は国民の行動を抑制する手段を検討し始めたのだ。
雇用している女の子たちも昼間の生業がある。
私の経営していた店は調理だけならまだしも少なからず接客する必要がある。私は当初から「コロ助」に関して懐疑的な意見を持っていた。
様々なデータやマスコミの報道を見る限りインフルエンザと同等、もしくはそれ以下の感染症なのではないか。
しかしながら、それは私個人の意見。
スタッフにまで社会的なリスクを負わせることはできない。
仮に夜の副業によって感染し昼間の職場に感染拡大させたとすると社会的に制裁を受けることになる。
ある晩、そのような事を頭に巡らせながら大好きな焼酎を飲んでいた。
「あぁ、やめよう」
理屈ではなく「心」がそのような決断を下した瞬間だった。
次の日、その旨をスタッフに伝えて廃業となるのである。
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