見出し画像

【発刊記念】特別寄稿 大槌の教育復興とはなんだったのか。山田 雄介

僕が一番、熱を込めて書いた新刊『未来の学校のつくりかた』の第5章について、ご自身も大槌で働いていたカタリバの山ちゃんが、想いのたけを書いてくれた。

----------------------------------

僕は"対話の力"を信じています。いや、ずっと「信じなさい」と教えられていたのかもしれません。大槌の町の子どもたちに、大人に、そして菅野さんに。この本の第5章「大槌の教育復興」を拝読し、そんな想いが込み上げてきました。

被災地の放課後学校「大槌臨学舎」の立ち上げ時には、全国各地から集まるよそ者・若者を、平時ならまだしもましてや災害時に地域が受け入れられないのは当然です。しかし、大槌町も大槌臨学舎も対話をあきらめませんでした。だからこそ、その壁は徐々に徐々に溶けていきました。

「ふるさと科」や「三陸みらい探究」など、地域や多様な大人が関わりをもつ学びの構築は、それまで学校内の学びに完結していた教職員にとって、多くの戸惑いもあったのではないでしょうか。

きっと、学校も地域も丁寧に丁寧に関係性を紡いでいったのだと思います。 大槌だからできる教育を町中で議論した熟議。 お互いの関係性が蜜な田舎において、また、誰もが独自の哲学をもっている教育という分野において当事者が本気で向き合うことは、 お互いの顔が見えづらい東京やビジネスの場でのディスカッションとは大きく異なります。さまざまな感情の葛藤や意見が飛び交うことも少なくなかったはずです。それでも教育に関わるすべての当事者は町の未来の教育から目をそらさなかった。 

地域とよそ者。

 学校と地域 

当事者と当事者。

なぜ大槌町の教育は”対話”を絶やすことなく走りつづけることができたのか。 そこには地域の宝である子どもたちの姿があったのだと思います。 体育館がパーテーションで区切られた教室で学ぶ子どもたちの声や、 何もなくなってしまった町に佇むプレハブで、 放課後に学ぶ子どもたちが灯す明かりが、 「ジブンたちの未来のためにもっと対話して」と 大人たちに問いかけていたからこそ、こんなにも沢山の困難さを乗り越え、大槌の教育は対話をし続けているのではないかと思うのです。

震災から10年目を迎え、今大槌町では子どもたち自らが”対話”をし始めています。大槌高校の子どもたちが、街や地域のためにどんなことができるだろうと、マイプロジェクトをもち、多様な大人や子どもたち同士で話し続けているのです。この本の著者である税所篤快さんは、どうしようもなく大槌に惹かれると綴っていますが、僕自身もその1人。2013年に出会ってから、大槌のことを想うといつも胸に熱いものが込み上げてきます。大槌を離れた今、再度大槌と僕との対話のきっかけをくださった税所篤快さんに心から感謝申し上げます。

山田 雄介

1982年北海道出身。東日本大震災後、認定特定非営利活動法人カタリバの東北復興支援事業である被災地の放課後学校「コラボ・スクール」(岩手県大槌町)の運営に従事。現在は島根県雲南市で教育魅力化プロデューサーとして教育委員会と連携・協働して進めるキャリア教育推進事業に携わる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?