見出し画像

【香港旅行記④】粉嶺の長すぎる夜

 四日目ともなると、九龍灣(クーロン・ベイ)の周辺は結構見れた気もして、今日はもう少し田舎の方を探索しようと思う。沢山の観光客がひしめく、いわゆる「香港感」はもうお腹いっぱいになってしまった。そこで、馬鞍山と大帽山という二つの山を越えた北側を目指すことにした。これもまた今朝、起きてから決めた事だ。予定を決めないことの面白さを享受できている。

田舎の廟へ

 香港は想像以上に地下鉄網がしっかりしていて、一見辺境に見える場所でも、結構行けてしまう。今日行くところは、下調べした段階では、まず行けないだろうなと思っていた場所である。
 まずは市内から地下鉄で(と言っても途中からは地上)10駅ほど北へ行った、大埔墟駅へ。目当ては、大埔文武二帝廟。電車に乗りながら調べたところによると、昨日から今日(旧暦の大晦日→元旦)にかけて、夜通し開放されていたようだ。日本でいう二回参りみたいなものだろうと想像する。年を跨ぐときに起きているのって、幾つになっても特別感がある。夜来るのも面白かったかもしれない…と、予定を直前に決めることの欠点も見つかってしまう朝。

 周辺は、随分昔からありそうな商店街になっており、小さな個人店が肩を寄せ合って並んでいて、とても面白”そう”だった。つまり、正月休みで全部閉まっていた。普段は随分と賑やかそうな気配を感じさせるだけに、少し残念。

寝静まった商店街
出番を待つ値札たち
観光客さえいない裏道

 廟の周辺は比較的多くの参拝客がいて賑わっていた。スケッチをしているとひっきりなしに人がやって来ては去っていく。地域でかなり愛されているようだ。
 そのうちに、廟の関係者らしき人が飼い慣らした野良猫を連れてきて、みなの撮影会が始まった。すると突然、朝から曇っていた(というか香港に来てからというものの、この日まで青空を見たことがなかった)空から急に雲がなくなっていき、猫と戯れながら祈る人々が太陽光に照らされて、キラキラとしていた。うーん、かなり幸福感溢れる光景だ。もうこれだけで、田舎の方に出てきた甲斐があったというもの。

文武二帝廟 正面から
文武二帝廟 立面スケッチ
簡単な断面の関係

 ところでこの、文武帝という名前が気になったので少し調べてみた。文武両道の神様なのだろうか?

 廟內供奉的文武二帝分別為文昌帝和關武帝。文昌帝又稱「梓潼帝君」及「文曲星」,相傳文昌帝掌管知識和學業,故此為讀書人及考科舉者所奉祀,亦為孝道象徵。關武帝是三國時代(220年 - 280年)蜀國名將關羽,字雲長,史稱「關帝萬人敵」,民間相傳兼備「智信仁義勇」,也是威武和忠義的象徵,廣受膜拜。

 廟内に供えられている文武二帝は、文昌帝と関武帝です。文昌帝は「梓潼帝君」と「文曲星」とも呼ばれ、知識と学業を司るとされ、読書家や科挙を目指す人々に崇拝され、また孝道の象徴とされています。関武帝は三国時代(220年から280年)の蜀国の名将である関羽であり、「関帝万人敵」と称され、民間では「智信仁義勇」を兼ね備え、武勇と忠義の象徴として広く崇拝されています。

民政事務總署 香港自由樂在18區より
(日本語部分はChatGPTによる翻訳)

 これによると、文武という文字は、文昌さんと関武さん(みんな大好き三国志の関羽と同一人物)という二人の帝の名前らしい。それぞれが、秀でている部分が違って、そのどちらも大事にしようということなのだろう。それにしても、文学と武術で文武両道だと思い込んでいたけれど、なんと元々は人の名前だったのか…。サンドウィッチ伯爵よりもよっぽど為になる雑学だ。参拝中はそんなこと知りもせずに「事故なく香港旅行を終えられますように」と祈っていた。二人の帝は、頓珍漢な外国人が来たようだと思っていたかもしれない。

文武二帝廟 背面から
祈る人々のスケッチ
大量の立体蚊取り線香型のお香全てに火がつけられているのでかなり煙い

 

紀念塔の意味を考える

 海の方まで歩いて香港回歸紀念塔に行ってみた。写真をぱっと見たときはすごく面白そうだったのだけれど、行ってみると、それ以上でもそれ以下でもなかった。ぐるぐると登っていって、向こう岸が見渡せる。名前からして重要そうだけれど、建築の形や意図と合っていないように感じた。

 この塔は、1997年に香港がイギリスの手から返還されたことを記念して建てられたみたいだ。香港回歸という名前からもそのことが伺える。ただ何故か、英語表記はHong Kong Lookout tower。これではただの物見台だ。英語でこそ、ちゃんと伝えるべきなのではないだろうか。虐めた側は、大抵忘れてしまうものだから。(それでも、今日訪れたスポットの中ではダントツで、多く人で賑わっていた。)

道中で撮ったおじいちゃんと孫
やはりぱっと見は面白い
上から撮った景色。遠くから見ると、山に比べたら高層ビル群なんてちっぽけに見える

 歩きすぎて疲れたので、バスを使おうと思ったのだけど、予定時刻をすぎて15分ほど待っていても、一向に来る気配がない。さらに、料金表にある大人9.2HKDという現金ユーザー殺しの価格設定を見て、諦めることにした。やはり信用できるのは、地下鉄と自分の脚に限る。

 自分の足で地下鉄駅まで戻り、それに乗り込み隣の駅の粉嶺へ。近いしついでに行くか、というくらいの軽い気持ちで来たけれど、この選択が結果的に大正解だった。

文物徑との出会い

 最初の目的地であった麻笏圍門樓の途中に、見るからに歴史がありそうな、黒と緑がまじったような色のレンガ積み建築があり、これがとても良かった。現在も使われているようで、ガラスが嵌められたりと過ごしやすいように改造されている。すごい場所に来てしまったようだ、という予感がした。足が軽くなる。

現代の住宅の奥に、煉瓦造りの建物が

 やがて、ここが「龍躍頭文物徑」という名の歴史散策地区であることに気づく。キャプションによると、元の時代(1350年ごろ)に、中国大陸の江西の吉水という場所から、龍躍頭鄧という人の一族(宋の時代の皇室にいるようなすごい一族)が、南宋に負けたのと同時に逃げてきた場所らしい。なんか今日はやけに歴史記述パートが多い。

 難しい話は抜きにすると、700年前のすごい有力者が建てた村の遺跡が、まだポツポツと点在している。これこれ、こういうものが見たかったんだ。その当時の人々は、今この場所が香港と呼ばれる特別行政区に含まれていて、こんなにも高層ビルがひしめく場所になっているとは、想像だにしなかったことだろう。

 目的地の麻笏圍門樓は、一つのコミュニティへの入り口のようになっていた。そこから両側へ手を伸ばすように煉瓦積みの擁壁があり、ここが唯一の、村への入口である。小さな城を守る正門のような格好だ。門を抜けてまっすぐ行った先に、小さな祭壇のようなものも見つけた。祈りと生活と防衛が一つになっている。

 石積み部分の積み方や、レンガの色味と大きさ、また門の上と左右に3枚の標語が書かれた赤札を貼り、上部には5枚1組のお札が貼られている点など、今朝見てきた廟と共通点が多数あった。同じ頃に建立されたことが見て取れる。スケッチをしたからこそ気づいた場所が多く、スケッチと観察の相関を身に染みて感じた。

麻笏圍門樓 正面
気づいたことをメモ
麻笏圍門樓からまっすぐ視線が抜けた先に何かがある
大きな岩をそのまま祭壇にしたような場所だった
後ろから見ると、白く塗装されていて、特徴的な色のレンガは見えない

内外に高低差のある囲い

 すぐ近くの「老圍」を見に行く。「古い囲い」という意味。なんとも捻りがない。ここはもっと完全な状態で(というか多分ほとんど当時のままの)擁壁が残っていた。
 3mくらいはある塀の上に犬が気持ちよさそうに眠っている。高いところで寛いでいるのって猫のイメージが強かったけれど、ああいう場所が好きな犬もいるのか、と思いながら、門をくぐって気がついた。内側から見るとそこまで高くないのだ。

老圍の外側の様子、街に突然壁が出現する
老圍入り口
老圍の内側の様子

 少しおかしな断面だ。壁の内側と外側で、2mくらいの高低差があり、外側から見ると高さ3mくらい、内側から見ると1mくらいの、煉瓦積みの壁である。さらには、なんと厚みも1mほどある。

 これだけ厚ければ、中に空間がありそうなものだけれど、どうにもその入り口らしきものが見当たらない。それだけでなく、窓や小さな穴の類さえ見られないので、本当に中にもみっちりレンガが詰まっているのだろうか?そんな勿体無いことをするだろうか?

 多分それはないだろう。予想するに、先に土で2mほどの段差を作り、その表面をレンガで覆う。そこから更に、1mくらいのレンガを積み上げて、村を守る壁を作ったのではないだろうかと思う。これだけ高さがあると、中の様子が全然見えないし、この厚みならちょっとやそっとじゃ壊すことができない。攻め落とすことは難しそうだ。

老圍の断面図(予想)

 擁壁の中の住宅は、一部は同様のレンガを用いた古いものが残されていたが、大部分はコンクリート造の真っ白な三階建てくらいの現代住宅に置き換わってしまっていた。700年前は、この擁壁の中の住宅が全て、同じ、この深い緑色のレンガを用いた建築だったのだろう。往時の美しい風景に想いを馳せる。
 残念だなと思いつつも、この擁壁と一部の住宅が、まだ現役で使われていることを素晴らしいと思うべきだと考え直した。窓にはアルミサッシが嵌められ、電気や水道の管が飛び出し、空調の室外機が取り付けられている。700年生きた建築に住むって、どんな感覚なんだろうか。

歴史と現在が混ざり合う

半日では見尽くせない伝統建築群

 続いて隣の天后宮へ。これも今朝みた廟にそっくりな立面だ。日が暮れてきたことも相まって、外観の表情が厳かで、既に感動してしまった。

天后宮 正面

 門が2枚あり、1枚目は空いていて、2枚目が閉じているため、必ず迂回しないと行けない構成になっている。そのため、外からだと中まで見通せない。祈りの空間と、回り道にはどうも相関がありそうだ。平面図を書いみると、とても美しい対象プランである。ギリシャの神殿とか、日本の昔のお寺とかの平面図に似ている。

 台湾でもそうだけれど、立面を三分割して、それぞれ別の神様を配置するパターンが多い。参拝者は決まって、向かって真ん中(A)→右(B)→左(C)の順(平面図参照)でお詣りしていく。空間の大きさは一緒だけれど、偉さに順番がありそう。何か面白い意味がありそうだ。

天后宮平面スケッチ

 その隣にも、更に大きな「松嶺鄧公祠」という場所があったけれど、閉まっていたので外観写真だけ紹介。

(この日は閉まっていた)松嶺鄧公祠
裏からみた松嶺鄧公祠

 最後に、東閣圍へ。やはり同じ目的で建てられた場所に見える。ここも中は現役で使われており、うろうろしてたら邪魔そうな見られてしまった。香港に、ここまで歴史建築が豊富な場所があるとは知らなかった。

東閣圍 正面

香港暮らしとなった日本書紀

 空が少しずつ暗くなってきたころに『日本書紀』をどこかで無くしてしまったことに気づいた。中古で手に入れた本だし、そんなに毎日読んでいないので、無くて困るようなことはないと思っていたのだけれど、いざ無くなってみるとすごく心許ない気がする。今朝出た宿に連絡をとって探してもらったけれど、それらしきものは見当たらないと言われた。
 あの、充電切れも電池切れもない厚みが、ポケットを占領してくれることが、どれほどありがたかったことか。親と日本書紀は、居なくってから有り難さに気づく。(僕の両親は健在です)

 少しだけ意気消沈して歩いていたら、一昨日みた、「かまぼこ墓」のような形をした祠を発見した。これも、真ん中の石が、コンクリートの服を着ているかのようだ。石には「門口土地財神」の文字。(最後の神は多分そうだろうという予想…、ちゃんと記録し損ねて、今写真とストリートビューを必死に辿ってきた)これも后土様の管理下にいるに違いない。
 村の入り口に祀られた、経済的な繁栄を祈りに込めているのだろうか。形のルーツを辿るのは面白い。

お墓のような土地神様

長い夜の始まり

 そんなこんなで呑気に田舎町を歩いていたのだけれど、日が暮れてきたことで、今日どこに泊まるかがまだ決まっていないことに危機感を覚えてきた。旅行予約のアプリを開いて探す。
 しかしなんと、この日はホテルが突然高騰した。前日までは、当日予約で2000円〜4000円くらいでドミトリーに泊まれていたのだけれど、2日目に泊まったあの酷いホテルが、一泊10000円以上になっている。最安でもそれで、他はもっと高い。

 これはとてもじゃないが払うことはできない。諦めて野宿をすることを決断。一番近い街中まで戻り、マックで晩御飯を食べる。充電できて、時間を潰せて、となると、やはりマックは最適だ。香港くんだりに来てまで、チキンフィレオを食べることになるとは。
 マックで思いついたのは、映画館で深夜上映のものを見て、2時ごろまで時間を潰し、そこから野宿をする作戦。ちょうどスパイファミリーの映画が24:00とか開始でありそうだった。まずチケットを取ろうと、映画館まで徒歩20分くらいかけて夜道を歩いてから、浅はかな作戦が終わりを告げる。何を見間違えたのか、スパイファミリーはこの日は上映していなかった。アーニャもびっくりのポンコツ加減だ。全然面白くなさそうな、香港映画が2本だけやっている。

 映画は諦めて、野宿作戦に移った。映画館が入っているデパートの駐車場の奥の方に、段ボールが積まれているのが見えた。これはチャンスと思い、近くにいた清掃のおばさんに持っていっていい?と聞いたら、(多分)「勝手にしな」と言われる。それを、先に目をつけていた屋根があり、壁があり、灯が少ない休憩所の一角まで運んで、地面に敷き、ベッドが完成。耳栓とネックウォーマーのアイマスクを完備して、いざ寝るぞ!と思ったのが22:00頃。

 寝初めは、案外いけるぞ?と思っていたのに、なかなか寝付けない。気温はダンボールが功を奏して問題ないが、足が痒み出した。どうやら野宿の天敵、蚊がやってきたようだ。顔周辺は問題ないのだけれど、足が無防備すぎて、どうにも寝付けない。さらには、車の音と振動もなかなかで、耳栓だけでは防ぎきれない。
 あとは、警察が来たらどうしようとか、地元のヤンキーに絡まれたらどうしようとか、さまざまな心配事が頭を占拠し始めて、いよいよ眠れる気配が全くなくなってしまった。携帯を開くと、驚くことにまだ20分も経っていない。更に、その携帯の明かりに寄せられるように、蚊が一匹二匹と視界に入り始める…。

 これで朝まで過ごすのは、流石に無茶だと気づいた(遅い)。ということで、ダンボールを元の場所に返して(ごめんねおばさん)、映画館へ舞い戻った。寝る為に映画館を使うという、贅沢な方法だ。
 23:40スタートで120分たっぷりという、宿がない人向けの映画があったのでそれを予約。なんと意外なことに、席は予約時で既に8割ほど埋まっていた。宿がない人向けという話は、あながち冗談じゃないのかもしれない。
 まだ1時間くらい暇を潰す必要があったが、ベンチに座って目を閉じて体力の回復を図るくらいしかすることがない。『日本書紀』を無くしてしまったことが悔やまれる。

 映画は驚くほどつまらなかった。つまらなすぎて時々笑ってしまったほど。でも他の観客はちょくちょくワハハッと笑っていた。台湾でも香港でも、映画は声を出して笑うものだ。
 僕が澚語(廣東語、カントン語)のユーモアを解さないのは大いにあるにしても、そんなに面白いシーンでもないのに結構声にだして笑っている。彼らには落語とか漫才とか、お笑いの芸のない(であろう)国で育ったからか、単純なものが好きなのかもしれない。笑いの面においても、日本の芸能は素晴らしいのかなと思った。しかし、かくいう僕も、結局一睡もできずに最後まで見れてしまったから、面白いと感じていたのかもしれない。

 2時頃に映画館を追い出されて、頼みの綱の、違う店舗の24時間営業マックへ。新年なので、もしかしたらやってないかと思ったけれど、この店舗は24時間年中無休らしい。ありがたすぎる。1日に2度もマックを利用したのは、日本でさえない。ナゲット、ポテト、ココアのセットでお腹を満たして、机に突っ伏して寝ることにした。なんとも長い夜だった。

本日の宿 今までで一番広い

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?