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【香港旅行記⑤】文物徑を巡る一日

 朝七時ごろまで、マックで途切れ途切れの睡眠を続けた。いつの間にかトレーを下げられてしまったので、ただ寝てるだけの人になってしまったけれど、何も言わずずっと居させてくれた。優しい世界。
 外に出たら寒くて死にそうだったけれど、ショッピングモールのトイレに入って、歯磨きをして顔を洗ったら、気分がシャキッとして寒さをあまり感じなくなった。おまけに日が出てきて、日光が当たる場所ではポカポカとする。

 昨日の夜マックでいろいろと調べていて、香港の文物徑には2種類あることを知った。昨日巡ったのが龍躍頭文物徑で、屏山文物徑というのも、バスで1時間ほどの場所にある。今日はそちらに行ってみようと思う。「文物徑」とはそもそも何なのか、少し調べてみた。英語訳するならばheritage trailとなるらしい。つまり、史跡周遊ルートみたいになるのだろうか。建築、生活道具(器や皿など)、各種芸術品等を、まとめて文物という言葉で表すようだ。一つのすごい建物だけでなく、ある程度の範囲をまとめて、価値のある場所と指定されたのだろう。なるほど、歯応えがあるわけだ。

朝の龍躍頭

 けどその前に、昨日結構見れたと思っていた龍躍頭文物徑も、まだいくつか見れていない場所があったため、午前中に見てしまうことにした。観光客向けのホテルがあるような場所ではないので、こんなに朝早く見にくる人はいない。お金の節約の為とは言え、マックに泊まるという判断も悪くなかったのかもしれない。もし泊まってなかったら、二日も続けて訪れるような場所ではなかったから。

 まだ朝八時ごろだったので、皆が起き出して生活を始める様が観察できた。山門と小さな祠に線香をさしていくおじさん、猫のトレイに餌やりをするおばさん、洗濯物を物干し竿にかけるお母さんなど、伝統建築でありながらも、まだ生活の中で生きていることにすごく感動した。自分に700年も生きる建築を設計することができるだろうか。まずできないだろうな。

朝の光が眩しい
門の脇に線香立てがつけられている
生活感のある圍内部
洗濯物が干されていく
祠の立面と平面
お姉さんが一人、朝のお参りに来ていた

 中でも、覲龍圍という圍が、昨日の老圍と同じくらいの規模があり、とても見応えがあった。ここは周辺が駐車場として整備されており、住んでいる人の他にも、観光客も多く訪れるようだ。僕が見ている間にも、何台かタクシーが来ては帰ったりしていた。
 平面的には、四隅に物見櫓のような部分があり、西側に唯一の入り口、まっすぐ行った東側に祠があった。風水とかと関係がありそうだ。南北にもそれらしきものがあったのだが、植物で埋もれていて機能がよく分からなかった。ここの壁は、昨日の老圍に比べると薄く、かつ開口も空いていた。中から敵を観察できて、かつ鉄砲で狙撃できるような格好をしている。

圍を駆け巡って寸法を記録する 
Google Earthのスクリーンショットより作成

運か資格か

 しかしながら、あまりに生活の中に組み込まれていて、中をウロウロすることが憚られた。具体的にいうと、もう一般公開をやめていたり、「塀の中は生活の迷惑になるため近寄らないように」という張り紙が貼ってあったり、怪訝な顔で見られたりとか。

 住宅の中が見たかったのだけれど、住人に直接頼むような勇気がどうしても湧いてこない。伝わらないことと、断られることを恐れてしまっていた。でもこのまま帰ってしまったら、すごく惜しい気がして、一声だけかけてみようと一念発起した。こういうときのために中国語の勉強をしているんだろう?

 窓越しに見えていた朝ご飯を作っていたおばさんが、表に出てきたところを狙って、魔法の呪文「我可以看你的房子嗎?(あなたの家を見せてもらえますか?)」(参考文献→アジア「窓」紀行: 上海からエルサレムまで)と言ってみた。当然彼らの公用語は廣東語なので、伝わらない。今度はノートに文字で書いて聞いてみる。すると、ドアをバタンと閉められてしまった。小さな声で「不好意思…(ごめんなさい)」と言いながら帰路についた。

 駄目で元々だったので、覚悟はできていたつもりだったのだけれど、いざ物理的にシャットアウトされると、結構落ち込んでしまった。次に目があったおじさん(とても暇そうに日向ぼっこしていた)にも、スケッチを見せつつ、「こういうものに興味があるんだ、家を見せて欲しい」と必死になって伝えたけれど、首を振られてしまった。想像よりも沢山、勇気と人間力と運が必要。自分でやってみて、初めて凄さをちゃんと理解できた気がする。

 自分には見る資格が無いということか、自分には建築家としての才能がないんじゃないか、そんなことまで考えてしまった。インドのチャンディガールというところに、コルビュジエの設計した素晴らしい建築群がまとまっている場所がある。僕はそこを訪れたときも、中はほんの一部しか見学できなかった。噂によると、安藤忠雄も、伊東豊雄も、無名時代に一人でそこを訪れ、中を見学することが叶ったらしい。その話を知って以来、こういうことは、運じゃなくて資格なんじゃないかと考えるようになった。

 「お前がそれを見たとして、何が得られる?」という自分の影の声が聞こえてくる。彼ら(資格のあるもの)が見たときと、僕が見たときでは、それを理解し自分の糧にする力に歴然の差があるのでは、と。
 悲観的になっているわけではなく、“まだ”資格がないと思っているだけなのだ。マスターソードを抜けるのは、リンクであることが重要なのでなく、勇気のトライフォースを持つ資格があることが重要なのだ。(この喩えはこれを読むような人には伝わり辛いかな…)
 あれ、これは資格の資格が必要ということになってしまうのか…?

 とは言いつつ、外からみる分にも、かなり面白かった。もともとの開口にぴったりと合わせられたアルミサッシとか、外壁から足場を伸ばした空調の室外機とか、雨受けの増設とそこから竪樋に落とす方法とか、伝統建築がうまく現代化して利用されている。
 往時を思わせる航空写真があったのだけれど、それでもすでに半数くらいは建て替えられていた。これら美しい建築が、みっちりと並んでいる光景を見てみたかった。

現地の展示パネルより

屏山文物徑へ

 昼食を軽く済ませて、もう一つの屏山文物徑へと向かう。バスと地下鉄を乗り継いで、1時間ほどの距離。もうあまり考えなくても利用できる。ただ、みんなが持っている交通系ICカードがないため、支払いが結構面倒だと感じる。なんか割引もあるっぽいし、いくらで買えるのかわからないけれど、取り敢えず入手することをおすすめする。これは下調べのなさが仇となった。ただ、大きなバスは日本のクレジットカードが使えるので、かなり便利。

 最寄りの天水圍駅(駅の名前にも「圍(囲い)」の文字が)に降りて、今日の後半戦。やはり睡眠の質が悪かったこともあり、バスの中でうとうとしてしまったが、面白いものをみている間はアドレナリンでどうにかなる。結果からいうと、12時から17時くらいまで水さえまともに飲まずにぶっ続けで見ていた。我ながら、昨夜マックで突っ伏して寝ていたとは思えない元気。丈夫な身体に産んでくれた両親に感謝。

 今日は初二という、旧暦でいう正月二日目なので、やっぱり多くの場所が閉まっていた。けれど、僕が見に行った場所は閉めようがないようなものばかりだったので、結構見れた方だと思う。

聚星樓 スケッチ

 文物徑の入り口近くに、昨日最後に見つけた土地神様の巨大なバージョンを発見した。こちらはよりお墓のような形をしている。後ろに壁を立てて、左右に手を伸ばす形のルーツは、一体どこにあるのだろう。すごく気になる。

 この土地神は、左右の壁の先がぐるぐると巻かれた装飾になっていて、波と船がモチーフにみえた。風調雨順という文字は、「風も雨も適量で、世の中の太平を願う」といった意味の言葉のようだ。ここ自体は港町ではないものの、逆側に1時間くらい歩いた距離に港町があるので、そっから渡って来たと考えるなら、船というイメージは間違っていないかもれない。まあ普通に豊作を祈っているだけかもしれないが。

石を神に見立てる自然信仰
土地神様がここにも

 すぐ隣の、上璋圍に。相変わらず、建物の作りとか、軸線を意識した配置とかは一緒だった。ここは、更に多くの人がいて、(多分)正月休みに実家に帰ってきた若い家族が、各家庭の祖父母を訪ねて帰ってきていて、楽しそうな話し声がたくさん聞こえてきた。

上璋圍 室外機が取り付けられた窓
やっぱりまっすぐ先に祠がある
祠側から振り返るとこんな感じ
正門のスケッチ

 ここでは、不思議な祠を見つけた。他の場所は、どこも人の形をした神様の木彫り像/人形が祀られていたのだけれど、ここのメインは文字の石板。ハンムラビ法典のように、石に文字が彫ってある。解読することはできなかったけれど、何が書いてあったのだろうか。

あまり見ないタイプ信仰対象

 更にその脇には、魚なのか、ワニなのかよくわからない木彫りの怪物がいる。ひょっとしたら中国の龍は昔こういう形だったのかな、などと考えて、ちょっと調べてみたけれどヒットしなかった。先の土地神様同様に、水関係のモチーフが使われているように感じる。誰か知っている方がいたら、教えていただきたい。

ワニ神様(勝手に命名)
土地神様のスケッチ


文物徑の本気をみる

 このエリアは、まるで歴史建築のバーゲンセールといった具合で、見ても見てもキリがないようだった。住宅地の中に入り込むように古い建築が混じっていて、路地を歩くのがとても楽しかった。写真をたくさん載せておくことにする。

 また、大量に同じ時代の建築を見て、なんとなく共通点が分かってきたので、ここにメモしておく。台湾に戻ったら、図書館に行って、もう少し詳しく調べてみたい。
・軸線の重要性
・正門や廟、土地神様に共通するお札(上と左右の3枚と、5枚組のお札のセット)
・外に対しては四角、内側にはアーチの入り口
・二重の門(門の前に門)
・廟と祠と住宅と学校など、機能に関わらず作り方に違いがほとんどない
・平面も立面も3等分する
・熱環境的にも理にかなっている中庭

円形の開口が格好いい
新旧が入り混じる路地
美しい意匠の棟
往時を思わせる通り
屋根が重なる
青印が訪れた場所。唯一の黄色は閉館だった美術館。
三等分される平面
大きな中庭に光が差し込む

孤独の旅人

 丘の上に美術館があって、そこを目指して歩いていたのだけれど、今日は休館だった。休憩がてら、閉まった門の前に座り込んで水を飲んでいたら、中からおばさまがやってきて話しかけてくれた。

「ごめんなさい、今日休館なのよ。明日また来てくださる?」
「明日は別のところに行こうと思っているんです。」
「あらそれは残念ね。どこから来たの?」
「日本です。」
「日本人だったのね!あなたの国語(中国語)とっても上手だわね」
「ありがとうございます。またいつか来ますね。さようなら!」

 このおばさまと会話をしたことで、今日初めてまともに口をきいたことに気がついた。一人で香港に来て、祠や歴史建築や墓場ばかりを見ていたので、当然誰とも知り合わず、殆ど口をきく機会がないのだ。自分一人でいることに慣れすぎてしまっていたけれど、旅先で人と交流することはとても楽しい。

壺の並ぶ墓場

 犬にめちゃくちゃ吠えられたり、車に轢かれそうになったりしながら、最後の目的地である墓場へ。どうも自分には、一日の最後を墓場で締める癖があるようだ。

 ここでも、新たな発見があった。壺(甕?)を用いた墓が大量にあったのだ。中を開いていないから分からない(当然だ)けれど、これは多分骨壷で、火葬後に故人の骨を入れて、安置するタイプなのだろう。随分と直接的な墓場だ。多くは、お札を数枚重ねて、その上に更に小さな石を置いて、風で吹き飛ばされないようにしてあった。この白い汚れ(?)はなんなのだろうか。壊れているタイプがなかったので、謎のままだ。

壺の墓が安置されている
随分と大家族だ
みんなで雨宿りをしているようで可愛らしい
疲れているのかスケッチが雑だ
ここにも后土様がいた

 この二日間は、歴史建築を沢山見て、香港にいるような感覚がなかった。まるで中国の片田舎に来てしまったようだ。ちょっと前まで、九龍で高層ビルに囲まれていたのが、遠い過去のように感じた。

 夜は早めに休むことにした。今日は空港で寝る作戦。バスで空港に戻って、適当なベンチを探す。暖房は効いていないけれど、蚊がいなくて寝られる温度なら問題ない。2時間ずつくらいの睡眠を3度ほどとって、朝方に、多目的トイレの中で洗面器に頭を突っ込んで洗い、タオルを少し濡らして身体を拭き、新しい下着に交換した。一人でいると、どんどん汚く逞しくなっていってしまう。

 コンビニやファストフード店もずっと開いているし、トイレもいつでも行きたい放題。それに、僕同様に寝ている人も沢山いた。なぜ昨日やらなかったんだろう?というくらい快適だった。電車の改札口から切り返し流れる、大音量の注意アナウンスを聴きながら、再度目を閉じた。

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