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イギリスがEU離脱を決めた時に考えたこと。

2016年6月24日。イギリスが、国民投票によって、EUを離脱することを決まったその日、(投票は23日だが、投票結果が出たのが24日。)私は、ハイドパークの隣にある、ケンジントンガーデンの中で、フォーラムシアターの公演に、パフォーマーとして参加した。まず、公演そのものよりも、EU離脱に対しての、反応を描写しておきたい。

「EU離脱」の決定は、多くのロンドナーにショックを与えている。それは、人によっては、「世界の終わり」かのように表現する人もいて、やや過剰な反応なように、私の目には、映った。

「EU残留」派にとって、「EU離脱」は、人類の「理念」を傷つけられたかのように、あるいは、「否定」されたかのように、感じられるようだ。たしかに、第二次世界大戦後、二度と戦争を起こさないように、と作られた「EU」。そして、「EU」市民なら、誰がどの国に住むのも自由、という素晴らしい「理念」に向けての「行動」は、一歩後退したと言わざるをえない。

しかし、私の知る「EU離脱」派は、「EU」の理念を、傷つけたり、「否定」したりする目的で、「EU離脱」に一票を投じたわけではなさそうだ。「EU」が、一つの国になっていくその過程において、EU議会が様々な統一ルールを決めていくのだが、そのルールの決め方や、ルールそのものに対して、「おい、それはないだろう」と思ったということなのだ。つまり、「理念」の否定ではなく、「手法」の否定なのだと、私は考えている。

私が、瑣末だが、でも、興味深く重要だと思ったルールに「チョコレートの法律」があって、EUの規格によって、カカオ(か何か)の含有量が決まっていて、イギリスのいくつかのチョコレートは、チョコレートして認められない、ということがあるらしい。それまで、食べていたあんこが、砂糖とあずきの含有量が違うので、あんことして名乗っちゃいけない。そう言われた時に、日本人のあなたならどう反応するだろうか?

もちろん、チョコレートは瑣末なほうの話だが、こうしたEUが決めた様々な「法律」やEU議会に対する「反発」、EUの「手法」に対する否定が、「EU離脱」派の言い分で、なのに、「EU残留派」は、「理念」を否定されたかのように受け取っていて、論点がずれたまま、対立してしまっている、というのが私の認識だ。

問題は、これからだと思う。私は、全ての"Brexit"(EU離脱)が悪いことだとは思わない。悪い"Brexit"もあるし、いい"Brexit"だって、きっとあると思う。大切なことは、「単純化」をしないことだ。最も危険なことは、政治家の出世に利用されることだろう。

人々は、難しい問題を複雑なまま、理解するのを拒む。また、不安を前にすると、あっという間にわかりやすい答えに手を伸ばしてしまう。「残留」か「離脱」かが問題ではなく、よく考えて投票した人がどれだけいたのか、そして、逆の立場の人たちが、何と何と何を考えて投票したのか、あるいは、どんな人たちが、あまり考えずに投票したのか、それを想像することが大事だと思う。

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