見出し画像

究極のロック

形の残らない記憶の1つに、食事がある。

ベトナムやイタリア料理をトーキョーで食べるのも悪くは無いのだけど、現地で食べる味とは少し違うと感じている。

例えそれが全く同じ材料と同じ方法で料理をしたとしても、その土地の雰囲気や気候も味の1つに含まれているので、そこに価値が生まれる。

その味覚は街の景色と共に舌に記録され、脳内にずっと残り続ける。

これは、究極の1杯を求めて旅に出た思い出の1つである。

_____________________

その年、アラスカ・キーナイで短い夏の期間、長い滞在をしていた。

相変わらず明日の保証が全く約束されていない不安定な自然との仕事は、面白かった。

いそいそと準備をしていた日中は暇だったのに、夕方にかけて一斉に漁が始まる事もあって、そうなると作業は真夜中まで続く。
イレギュラーな事が日常の世界では、誰もその事に文句を言わないし、言っても仕方がない。
人間の為に用意されたシナリオなんて、ここには1つも存在しない。
とはいえ、北限のアラスカは夜の10時頃までキャッチボールが出来る明るさで、若い頃はその明るさだけで不思議と力がみなぎった。

キーナイはアラスカでも南部とはいえ、一年を通じて殆どが雪に覆われている。
そんな場所にいる植物や動物は、温暖な地域と比較すると、いつも気候に怯えているかのようにゆっくりと生きている様に感じた。

北米やカナダではよく見かけるFireweed(ヤナギラン・柳蘭)だけが、今ここが夏である事を静かに知らせてくれた。

敬愛するJakeの住むカナダ・サスカチュワンでも、咲いているのだろうか。

画像1

滞在後半はわりと忙しい毎日だったが、ある時に丸一日予定がポカリと空いてしまったので、前々からこういうフリータイムにデイトリップ出来る場所があれば行きたいと思っていた。
夕方、僕はトレーラーハウスに帰り、キーナイ空港で一通り買い揃えていたペニンシュラ郡の地図を開いた。

アラスカ最大の都市であるAnchorage(アンカレッジ)に向かい、色んな買い物をするのも楽しそうだったが、出国前に旅好きな知人が告げてくれた言葉をふと思い出した。

折角アラスカに行くなら、幻想的な氷河を見る事をオススメする。
出来るなら何万年、何億年と形を変えずにいた氷と、持ち込んだ自分の好きなウイスキーとをロックで飲めば、それは最高に至福のひとときだ。

そんな話を思い出し、目的地はキーナイから南東に位置するSewardに決まった。

画像2

*Google mapではシューアードとあるが、セワードの方がしっくりくる。
アンカーポイントから直線距離で行けるなら近いのだけど、その間には広大なキーナイフィヨルド(氷河)が中腹に居座っているので、回り道をするしか方法が無かった。

出発当日、僕は小さなカメラとバック、ちょっとしたスナックを持参し、途中キーナイの市内で氷河を入れる為の小さなクーラーボックスを買った。

片道3時間の旅だ。

出発前、ニールズの話によれば、アラスカとて氷河は簡単にアクセスできるエリアは少ないが、Sewardからほど近いExit Glacierなら直接氷河にも触れられるだろうというアドバイスを貰った。

アラスカに来る途中、シアトルに寄った時に初めて買ったAvril lavigneのアルバム”Let go”は当時驚異的な売上げを誇っていて、僕はその中に収録された、Anytning but Ordinaryがお気に入りだった。
帰国後に日本で聞くと然程でもないのだけど、アラスカの道を走っていると、細胞の全てが瞬時に入れ替わる様な新鮮さがあった。
あとは生まれて初めて彼女を見た時、北米にいる女性に恋をした気もする。

画像3

画像4

北極で犬ぞりと共に大冒険をしている訳でも無く、そんな大袈裟な環境に置かれている訳ではないのだけど、この先どんな道なのかもわからず、誰も知っている人がいない土地で、自分だけが頼りになる場所を1人クルマで疾駆していると、もうそれだけで気持ちがウズウズしてしまう自分がいた。
幼少の頃から引っ越しが多かったせいか、僕は知らない場所に行けば行くほど、楽しかった。

画像5

道中、写真を撮ったりコーラを買ったりしながらも、片道250kmを走った感覚は無く、あっという間にSeward市内に入った。

目的地のExit GlacierはSewardの中心部に入る手前を西に向かい、ほどなくして道が途絶えるので、最寄りの駐車場に停めるとそこからはしっかりとした砂利道のトレイルロードがある。
徒歩にして20分程度だったが、ようやく氷河の入口に到着した。

このExit Glacierでの写真をかなり失くしてしまったのがかなり残念だが、実際には氷河にはこのくらいまで簡単に近づける。

画像6

Alaska.orgより抜粋

始めてみた氷河は、とても綺麗なクリスタルブルーだった。
最初、僕は雪と氷河の違いがわかっていなかったのだけど、氷河はわりとはっきりした青色で、雪のそれとはまったく違った。

トレイルから氷河に触れるくらい近づける場所は幾つかあって、その1つで氷河を少し砕き、持参したクーラーボックスにギッチリと詰めた。
遠くから見れば間違いなく青色なのに、砕いた氷は透明なのがとても不思議だったが、日に当てると虹色に光る氷はとても美しかった。

帰り道も渋滞とは無縁の道をスイスイ戻り、途中キーナイでウイスキーを買う為に立ち寄った。
当時、ロクに酒の事などわかっていなかったのだが、市内のスーパーで奮発してグレンフィディックの21年、Havana reserveというのを買った。
うろ覚えだが間違いなく200ドルは超えていたので、それだけで良い酒に違いないという、かなり浅はかな知識で買った。(実際グレンフィディックは良いお酒なんだけど)
それでも夕刻前にはアンカーポイントに着いた。

トレーラーハウスに戻ると、大層な箱からウイスキーをもどかしく引っ張り出し、クーラーボックスから貴重な氷河を出した。

アイスピックで適当な大きさに割り、グラスに入れウイスキーを注ぐと、ピキピキと大きな音が鳴った。

丸一日かけて入手した1杯のロックを、鮮やかなキーナイの夕陽を背に飲む美味しさは、間違いなく至福で格別だった。

ふと、僕は目の前にあるジェフの家に停まっているニールズのクルマに気づいた。
ニールズはたまにジェフの家で酒を飲んだり飯を食っては、徒歩で自宅まで帰っていたので、彼らにも分けてあげようと思い、ジェフの玄関をノックした。

ジェフとニールズはまだシラフだったが、持っていたグレンフィデックを見て、お前、随分と高い酒を買ったなと2人して笑った。

氷河を2つのグラスに入れ、ウイスキーを注ぐ。

僕はそれを見ながら飲んでいたのだけど、ジェフとニールズは飲む前に奇妙な動きをした。

グラスに指を突っ込み、何かをしているのだ。

何をしているのかと尋ねると、彼らは言った。


「何って、アイスワーム(Ice worm/コオリミミズ)だよ。氷河の中にはわりとたくさんいるんだ……あ、アツシに言ってなかったっけ??」




画像7


鮮やかな夕焼けが映えるキーナイの大地に、僕は口に含んだ高級ウイスキーをありったけ吐き出した。

2人はそんな僕を見て、涙が出るほど腹を抱えて笑っていたのを忘れない。


_________

*因みにコオリミミズは0℃帯から少しでも温度が上下すると死んでしまう非常に弱い虫で、口に入っても無害と『言われて』ますが、僕はそのあと何事もなく過ごしていたので、きっと大丈夫なんだと思います。

きっと。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?