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キーナイの夕陽


アラスカ・キーナイ半島にあるアンカーポイント(Anchorpoint)は、アプーと出会ったチグニックよりも500㎞ほど北東に位置する、小さな街である。

相変わらず大雑把な地図に見えるが、人には得手不得手というモノがある事をそろそろわかってほしい。

僕はアプーと彼の家族に見送られ、待機していたセスナ機に乗り込むと、チグニック『国際』空港を飛び立った。

キングサーモン空港を経由し、約2時間で市営のキーナイ空港に着陸した。
途中、飛行機を乗り継いだ時に気づいたのだが、アプーに分厚い世界地図を渡したせいか、荷物は随分軽く感じた。

この短い距離を移動するだけでも、ひと悶着あった。

当時は今でいうE-チケットなどは無く、移動日そのものが流動的な事もあって、航空会社に取るリコンファームの手続きがとても面倒だった。
数日前から事前に確認を取っていたのに、いざ空港に着くとチェックインカウンターで初めて聞いた様な顔をされる事はわりと頻繁にあって、今ではとても考えられないが、海外で移動をするというのはわりとスムーズに行かない事の方が多かった。

思っていたよりも疲労した状態で到着した空港は、日本でいう地方空港くらいの規模だが、掘っ立て小屋のチグニック空港と比較すれば、それだけでかなり安心した事を覚えている。

ゲートをくぐると、僕は目の前にあるレンタカー屋に入った。
本当はデカイアメ車に乗りたいのだけど、その大きさは全く需要が無いので、仕方なくスズキのSX4という小型セダンを借りた。

人工物を見つけるほうが難しかったチグニックと比較すると、キーナイはとても大きな街に感じた。
レストランやガソリンスタンドを見るだけで目がチカチカしたし、市内のスーパーで食料の買い込みを終えると、店の前にある自動販売機を見て、ノドも乾いていないのにコーラを買った。

市内から南へ約100㎞ほど下ったところに、最終目的地のアンカーポイントという街がある。

大きく見えたキーナイの街を外れた瞬間、あっという間に道路だけになった。

それでも砂利道ではない舗装路や行き交う車が見えるだけで、心強かった。

運転中は終始右手に乱反射する大きな湾が見えて、とても美しかった。

キーナイ半島西側に拡がる湾はクック・インレット(Cook Inlet)と呼ばれ、かのキャプテンクックが立ち寄った事に端を発するが、地元の連中に訊くと、ヤツはショートカット出来ると思い込み迷い込んだという説もあるのが面白かった。

クックは君の友達か。

目的地の情報は、漠然としていた。
手元のメモに書き残した手掛かりは唯一、

”空港から1本道を南下すれば、看板が出ているので誰にでもわかる”

というだけの誠に頼りない情報を元に運転を続けたのだけど、案の定看板が見つからずに行き過ぎた。

1時間弱彷徨ったあと、”わかる人にしかわからない”看板をようやく見つけ、広い空き地にクルマを停めると、ロッジの様な事務所からジェフ(Jeff)が笑顔で迎えてくれた。

彼は50歳半ばで観光客相手のフィッシングガイドと加工業を営み、大柄だがとても気の優しそうな顔立ちをしていた。

挨拶をして事務所で軽い話をしたあと、宿代わりに用意してくれたというトレーラーハウスへ案内してくれるというので、その日は早々に事務所を後にした。

わりとすぐ近くにあったその宿は、チグニックにあった古いトレーラーハウスを改造したモノとは違い、部屋も整然としていた。

荷物を降ろし終えると、ジェフの家に招待された。
トレーラーハウスから彼の家までは徒歩でいける距離で、どっしりとした造りのログハウスの壁は淡い水色に塗られ、とても素敵な家だった。
奥さんと彼の愛娘を紹介され、夕飯をご馳走になった。

翌日。
とても静かな夜明けに、ある物音で目が覚めた。
トレーラーハウスの外に何度もガサゴソと動く音がして、窓からは大きな影が行ったり来たりしている。
僕の心臓は一気に高鳴った。

グリズリーか…

音を立てないように恐る恐る小さな窓のブラインドを指で開くと、そこには巨大なムース(Moose)が3~4頭、トレーラーハウスのすぐ隣で近くの草を食んでいた。

ムース達は滞在日数を重ねるごとに景色の1つに溶け込んだのだけど、アラスカ一帯には街中でも至る所に生息する。
立派な角を生やしたオスは臆病な性格なので滅多に見る事は無いが、メスはとても穏やかな性格で、殆ど人を恐れない。

日本で呼ぶ「鹿」というと大きさのイメージは湧くと思うが、アラスカのヘラジカやムース、カリブー達の大きさはその比では無かった。

*彼らの大きさがわかる動画があった。市中で見るオスはかなり珍しい。

”彼女達”は、僕が小屋から出ても見向きもせず、近づいても逃げる事は無かった。
そんな幻想的な光景を部屋の窓から眺めつつ、シリアルとコーヒーだけの朝食を済ませると、ジェフのいる事務所に顔を出した。

加工場には数名のワーカーがいて、ジェフはその中でも最年長のニールズ(Neals)を紹介してくれた。

彼はYupikの末裔であり、ニックネームしか覚えていないのがとても悔やまれるが、先祖はれっきとしたエスキモーである。

ジェフは見かけのわりに短気な性格で、フィッシングガイドをしている時は穏やかだが、加工場の仕事になるとスラングを連発した。

自然を相手にする仕事はその日になってみないとわからない事が多かったので、いつも予想外の出来事が起きやすく、計画が立てられない難しい仕事なのでよくイライラしていたが、それは誰かに対して向けられる言葉ではなく、強いて言うならば思い通りにならない自然に対する独り言の様なモノなので、そんな時僕は隣でいつも苦笑いをした。

その不安定な自然を相手に采配を振るう指揮官がニールズで、ジェフはニールズのスキルを高く買っていた。

ニールズは毎朝天気や気温を見て河口付近へ顔を出し、海のコンディションと気配で、その日魚が来るのかどうかを判断する。

読みが外れる事もあるそうだが、ニールズが長年培った経験と勘は短気なジェフにとって、貴重な存在だった。

彼は70手前くらいの日焼けした海の男といった感じで、寡黙な性格だった。

これは勝手な想像だが、出会って最初の頃はあまり彼からは歓迎されていなかった様に思う。
せいぜい日本からきたケツのアオい若造くらいにしか思っていないんだろうという雰囲気を肌で感じ取っていた。

一通り工場を見学させてもらい、数日間ニールズの仕事を一緒に手伝った。

ある日、魚が全く遡上して来ない時期があり、4~5日は何もしない日々が続いた。

こんな時はトレーラーハウスに居座るより他なく、ただでさえやる事が無い田舎街で、数日間なにもせずにいるというのはとても苦痛だった。
日本から持ってきた本も全て読み尽くしてしまった僕は、それでも有り余るヒマを潰すため、彼らに日本の寿司を披露しようと思い立った。

朝からクルマでキーナイ市内に行き、米や酢、ワサビを買い込む。
炊飯器は無かったので鍋で炊き、魚は近くの桟橋で幾らでも釣れるハリバットというカレイの仲間やアカムツ、そしてサーモンを用意するという比較的大掛かりなアイデアである。

事務所に集まり、釣りたての魚をニールズの前で捌くと、その時から彼の態度が一転した。

こんな所で学生時代にバイトをしていた魚屋のスキルが活かされるなんて想像すら付かなかったけど、作業をしていて、会話をしなくてもお互いに通じるモノがあった。

ジャパニーズ寿司は思ったよりも盛況で、その後も何回か寿司マツリをやった。

食後に工場のテラスでタバコを吸いながら、ニールズは僕が釣りをやる事を知ると、良い場所があると後日釣りに誘ってくれた。

その日、ジェフは早朝から金を稼ぐ為にフィッシングガイドの仕事で海に出かけていたが、彼の店でフィッシングライセンスを買った。

*18年前のライセンスがフィッシングベストのライセンスホルダーから出てきた。モノを捨てないにも程がある。

事務所で待ち合わせ、ニールズが教えてくれた秘密のポイントに入ると、人生でもなかなか経験出来ないほど魚が釣れ、僕は丸一日夢中になって釣り続けた。
ランチを食べ、飽きもせずに気づいた頃には20時を回り、空のトーンが一段暗くなった。

寡黙だったニールズは一日中、色んな話をしてくれた。
アラスカ州外に出たことが一度も無い事、奥さんとの間に子供はいない事、ニールズ自身、海外に出たいとはあまり思っていない事を聞いた。

釣り糸が結べなくなってきたのでそろそろ帰ろうとクルマに戻り、装備を外していると、ニールズはクックインレットに拡がる鮮やかな夕陽を暫く眺めながら、とてもシンプルな質問をした。

「なぁアツシ、日本の夕陽も同じに見えるのか?」

僕は彼を見て、静かに頷いた。

Kenai river -2003

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*おまけ*
キーナイに滞在中、本社から先輩が数日だけ来てくれた。
僕は数カ月ぶりに日本語を話せる事がとても嬉しかった。
当時、Jell-O(ジェロー)というフルーチェの様なゼリーの素を好きで買っていたのだけど、先輩が来るというので嬉しくなった僕は奮発し、持っていた全ての味を混ぜて豪華にしたら、出来上がりが戦車みたいな色になってしまい、気味悪がった先輩が一口も食べてくれなかったという笑い話がある。
よりによってボール一杯に作ってしまった僕は、それを2日かけて泣きながら食べた。

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