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イーサンの夏

長い旅の途中、働く人々と短い出会いを繰り返す。

どの国でも報酬を得ることが仕事の本質だが、そこで発生する熱の多くは、人から伝播する。

それはきっと目に見えないが、その人の身体にいつまで残り続ける。

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キーナイ(Kenai)での仕事を終え、次の目的地へと向かった。
街から少し南下した先にあるカシロフ(Kasilof)にある、小さな工場を目指す。
車の窓を全開にすると、乾いた涼しい風が入ってくる。
夏のアラスカは短いが、その間多くの観光客が訪れる。
真っすぐな道路を走っていると、前を走る大きなキャンピングカーの窓から手が出てきて、先に行けと合図をした。

Kenaiから30㎞ほど南下した場所に、Kasilofという小さな街はある。

カシロフに入ると、辺りには似たような小さな工場が点在し、相変わらずだが目印になる看板なども無いので、目的地を見つけるまでに時間がかかった。
道の途中にある小さな売店などで道を尋ね、ようやく辿り着いた。

工場とはいっても、毎日のように魚を満載してくるテンダーボートを受け入れる簡単な施設なので、なんとなく屋根が付いている建物、という表現が正しい。

Kenaiから少し南下した河口付近にある受け渡し場(左側に工場がある)

場内に入ると、こちらに気づいたイーサン(Ethan)が挨拶をしてきた。
彼はまだ、大学生の若者だった。

イーサンの顔立ちは、子供のころに見た映画『Stand by me』に登場していたリヴァーフェニックス(River Jude Phoenix)にそっくりで、金髪の坊主に近い短髪が似合っていた。

彼は漁獲がハイシーズンになる夏の数ヶ月間、モンタナ州からこの工場に夏休みを利用して短期間のアルバイトにやってきた。

モンタナにも仕事はあるはずなのにわざわざ遠くへ来る理由は明確で、一般的な学生アルバイトと比較すると、ずば抜けて稼ぎがいいからだ。
アプーのいるチグニック(Chignik)や、ジェフやニールズにいたキーナイ(Kenai)にもそんな学生たちや若者がいて、シーズン中、労働者の半分は彼らの様な本土からのアルバイトで成り立っている。

イーサンは専門的なスキルを身につけているわけではなかったが、工場からはリーダーとして抜擢され、ワーカーたちのいざこざをまとめることに長けていた。
ピーク時、工場へ休むことなく運ばれてくる大きなサーモンを処理することは、かなりの重労働だった。
アプーのいたチグニックの施設は、当時にしては珍しく機械化されていたが、アラスカにある大半の工場の規模は小さく、手作業で行うことが多かった。

魚は一度に数トン単位で運ばれる

あらかじめアラスカでの現場を想像し、気合を入れて働きに来るガタイのいい連中も多かったが、なかには報酬だけが魅力で現地へ辿り着いたものの、あまりの重労働に数日で音をあげるワーカーたちもいた。
だが、アラスカは簡単に移動できるほど本土から近くはなく、航空代も高額なので、すぐに引き返す連中は少ない。

イーサンの様なリーダーシップのあるワーカーは、日々起きる1人1人のトラブルや愚痴や要望を聞き、体力の無いワーカーを簡単な工程へ配置させたり、飽きっぽいワーカーは同じ工程に長く労働させないようスケジュールした。
それでも、学生は学生である。
遊びたい盛りだし、”できることなら楽をして働きたくない”人々を管理することは、きっと容易なことではないだろうと感じた。

ある日を境に、小さな工場にも高鮮度のサーモンが大量に運び込まれた。
漁船から陸上へは大きなプラスチック容器(トーツ)に移し替えられ、そこにすぐ大量のチップアイス(薄い氷)を撒く。そこから鮮度を維持するために、処理スピードがキモとなる。

施設に運ばれるとやることはいくつかあって、魚のヘッドカットと内臓の除去を終えると、次に1匹ごとにコンディション(個体差)を見る選別がある。
産卵に向け魚体が黒くなってきている魚や、海を回遊している状態と同様、ピカピカの魚まで多くが交じっていた。
前者は一気に全精力を産卵に向けるため、その代償として魚体や身質などが急激にボロボロになっていく。
鮭たちは子孫を残すため命がけの準備をするが、人類も生きるために、数百年という歴史の単位で命がけで漁をしてきた。

食用として価値が高いのはピカピカの魚になるのだが、正確にはそれにもグラデーションのように細やかなランクの棲み分けがされている。
北海道などで見たことがあるかもしれないが、鮭のランクには特特特、特特、特、A品、B品など、魚のコンディションによってそれぞれの値が付けられる。

網元である経営者としては、できるだけ多く特級の魚が増えることが望ましいが、自然を相手にはそうはいかない。
工場には品質を分けるグレーダー(Grader)がいて、魚のグレーディング(Grading)を行う。
それは工場にとって1つのブランドにもなり、いい加減なグレーディングをしてしまうと、顧客の信頼にも関わる大切な仕事だった。

数日間に渡り魚のコンディションを確認し、ある時期から買い付けをすることになった。
だが、訪問初日から肝心のグレーダーにいい加減な作業をする若者がいるのを視察段階で把握していたので、僕はその日からその彼と隣り合わせで作業をすることにした。

軽く挨拶をすると、彼は頷く程度にリアクションをした。
彼が魚のコンディションを見ている気配が無いので、作業途中、おそるおそる彼に話しかけた。
目の前にイラスト付きで掲示されている品質チャートと、実際の選別が一致していないことを告げると、不貞腐れるように答えた。

「この魚もあの魚もさっきまで生きていた。だからどれも鮮度は最高だし、全部特級(Premium)さ」

そんな理屈を言って、その後もブツブツと文句を言いながら作業を続けた。

翌日以降も彼との作業は続き、こちらも神経質にならないよう多少のことは目をつむっていたのだけど、その日の作業が終わりに近づく頃、ついに彼はピカピカも真っ黒も全て一緒くたにし、もはや選別をしていなかった。
再度グレーディングがおかしいことを告げると、彼は小さく独り言をいい、つけていた手袋を放り投げてどこかへ行ってしまった。

僕はその場で呆気にとられていると、その様子を見ていたイーサンが首を横に振りながら近づいていた。

「彼はいいヤツだが、少しむつかしいんだ」

そう言うと、イーサンは彼の後ろをついていき、屋外でしばらく何かを話していた。
その日、彼がグレーディングに戻ることは無かった。

終業が近づき、ワーカーたちが陽気な叫び声をあげ帰宅の準備をする中、僕は彼が選別を放棄したサーモンを全て戻して再選別をしていると、イーサンが手伝ってくれた。
お礼を言うとイーサンは「いや、いいんだ」とだけ言いい、ニ人は遅くまで黙々と作業を続けた。

日没間際、工場の入口からは、キーナイリバーと美しい夕陽が見えた。

翌日は漁が休みになった。
アラスカ州は鮭の魚群(グループ)を逐一監視していて、保護すべき群れと、漁をしてもいい群れのタイミングを調整する。
とはいえ、魚の群れや行動は予期できないパターンも多く、漁のオープンやクローズは、仕事の直前になって通達されることが多かった。

僕は、キーナイの街まで買い出しに出掛けた。
ジェフが貸してくれているトレーラーハウスからカシロフを通過し、片道数十㎞をドライブする。

北はTokから州最大の街Anchorageを縦貫する幹線道路、AK-1。(アラスカルート1)住まいのトレーラーハウスからカシロフの工場まで、毎日片道50㎞を運転した。

キーナイ市内で買い出しを終えると、思うことがあり、イーサンのいる工場近くの住まいを訪ねた。
住まいと言っても僕がいるトレーラーハウスと同じで、工場裏にある広いバックヤードに、長屋のように何台も停められていた。

イーサンと仲間はトレーラーハウスの表に椅子を出し、芝生の上でビールを飲んでいる姿が見えた。
僕は側道に車を停めると、それに気づいたイーサンは軽く手を上げこちらに歩いてきた。

「今日は休みじゃないか、まぁこっちに来なよ」

そう言うと、彼は仲間たちのいるバーベキューに誘ってくれた。
その中にはつい先日仕事を投げてしまった彼の姿も見え、かなり酔っているようだった。

仲間のほとんどが学生で、イーサンと同じモンタナ州や、その隣のアイダホ州辺りの北部から来ていた。
イーサンは将来、モンタナで大きな農場をやるのが夢だと言った。

僕が日本人だからか、若い仲間たちは日本車ならレガシィかシビックを買うならどちらを選ぶべきかと訊いてきたので、どちらも好きだと答えると、ではなぜレンタカーにスズキを選んだのかと言われ、皆で大笑いした。

しばらくすると会話に挟まるように、先程からつまらなそうにしていた件の彼が呟いた。

「俺らは短い夏の間、アルバイトでこの地に来てるんだ。だから適当に仕事をして、金を貰って帰るだけさ。細かいことなんてどうでもいいじゃないか」

そう言うと、さっきまで隣にいたイーサンは驚くような速さで彼の前に立った。

「1つだけ言う。彼は遠い日本から一人で来て、俺たちアルバイトのように途中で止めたり帰ることはできないんだ。そういう覚悟が、お前にあるのかという話さ」

イーサンがそう言うと、彼は少し言葉に詰まりながら

「お……お前も学生じゃないか、偉そうにするな」と返した。

僕はその時、そこそこ酔っているイーサンと彼が殴り合いになると思い、ニ人の間に入って喧嘩はやめろと言うと、

「弟だよ」

と少し驚いた顔をして言い、僕もイーサンと同じ顔をして驚いた。

それを見ていた仲間の一人がクスクスと笑い出し、すぐにみんなが大笑いした。
弟は仲間たちの顔を見渡すように眺めたあと、両手を挙げ、やってられないというような仕草をした。
そして少し昼寝をすると言い、トレーラーハウスへと入っていった。

イーサンの説明では、弟は兄に誘われ人生で初めてアルバイトをしたそうだ。
しかし工場に来てからというもの、どの工程に行っても怒られた。
彼はいよいよ仕事の自信を失っていたそうだが、今日の出来事は、話し合うにはいい機会だと言った。

翌日は漁がオープンし、工場は再開した。
きっと今日も不機嫌であろうイーサンの弟と隣り合わせで仕事をすることが、少し憂鬱だった。
グレーディング台の前に行くと、彼は恥ずかしそうに言った。

「昨夜、夜明けまで兄貴と話をしたよ。とても長い時間。俺は働くことについて、何か大きな勘違いをしていた。金を貰う意味も、こんなに遠くまで来て働く君のことも話してくれたよ。俺は兄を尊敬している。昨日は悪かった。謝るよ」

そう言うと、それから彼は黙々とグレーディングをこなしていった。
僕は少しだけ、くすぐったい気持ちになった。

兄は弟に一体どんな話をしたのか興味はあったが、工場の奥で仕事をしているイーサンと目が合うと、彼はこちらに小さくウインクだけした。


短く、美しいアラスカの夏は、間もなく終わろうとしていた。

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