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注文をきかない料理店


あれだけ寒かった冬の事などすっかり忘れ、人々は早々と夏の準備をしている。

あと少しで使い切るはずだったストーブの残油をどうしようか毎年悩む季節だし、夏より前に湿気のヤツが来る事もこの頃になって思い出す。

毎年の事なのに忘れっぽいので、僕は色んな準備を人よりも遅れて開始する。

その辺に生える草花は一体どうやってそれを思い出すのだろう。
彼らは誰に言われずとも同じ花が一斉に同じ頃に咲き、同じ頃にその役目を終える。

毎年それを見る度に自然の尊さを痛感するものの、痛感だけはして一向に学ぶ気配もなく、改善する気すら無い僕は、今日もそんな道端の花を見ては、キレイだな。などと呑気に思って生きている。

犬か。

記憶力という能力は一体、何なんだろう。

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ジャケット無しにはまだ心許無い季節。

プエルトモントの早朝はとても空気が澄んでいて、街中には至るところで家の煙突から木が燃える香りがした。

民家のストーブは依然あちこちで薪の暖炉を使用していて、今の環境問題から考えれば決して良くはないんだろうけど、澄んだ空気に混じるこの香りがとても好きだった。

色んな事がゆっくり進むこの国では、朝もみんなノンビリとしていて、朝食はシンプルだった。
隣国にはコーヒーのメッカ・ブラジルがいるというのに、どのホテルでも出されるコーヒーは決まって、ネスカフェのインスタントが多い。

数種類のハムとチーズが並び、それを固いパンに挟む。
チーズはオレンジ色のと、穴あきのヤツがお気に入りだった。

あまり美味しくないコーヒーでも、毎日この組み合わせを食べていると何時しかそれが好きになったりするんだから、人間の舌なんていつも適当だと思っている。

学生の頃、英語の授業で教わった各国のマナー集の中で面白い講義があった。

”ある国でホストが19時開始のディナーに招待してくれたら、貴方は何時にその御宅に向かうのがベストですか”

という問いかけ。

日本の感覚だと、遅刻は失礼だからせめて5分前には着いておきたいよナ…などと思う所だけど、その感覚は国により全く異なっていて、とても面白かった。

特に南米全般は極めてノンビリしていて、19時に誘われたらそれは20時過ぎに来てネ、という事らしい。

この20時過ぎというのもちょっとややこしくて、初めて招待されるゲストは殆ど21時近くという感覚でよいと教わったので、つまり告知された時間から2時間後に来いという事になる。

うっかり19時に行こうものならきっと怪訝な顔をされるか、下手をするとホスト側はディナーの準備すらしていない可能性が高い。

因みにこれは街中にあるレストランでも似たような事になっていて、店の看板には19時OPENとなっていても19時に客は誰もいないし、店主にもお前は何をしに来たんだと驚いた顔をされる。

実際にその経験をした時に初めて、昔教わった授業の事を思い出したのだから、つまりなんの役にも立ってない。

それなら19時ではなく21時OPENと書いて欲しいんだけど、それはこちらの勝手な慣習の押し付けであって、彼らの国では違う。

この感覚に身体が慣れるまで、かなり時間が掛かった。
昼間は大体12時頃に食べるんだけど、そこから夜までがとにかく長い。

19時にもなればお腹がペコペコもいいところなんだけど、街のテラスでは優雅にコーヒーなんかを飲んでいて、とてもノンビリしている。

その日、僕は取引先にレストランのディナーへと誘われた。

ホテルに迎えに行く時間を20時と告げられたが、20時に行くと言われ21時に来られたらたまったもんじゃないので、念の為に何度か確認をした。

ほぼ時間通りに迎えに来た彼らと、車で目的の店へ向う。
20分程度走ったあと、その店はあった。

小高い丘にポツンと居座ったその店は、コテレーといった。

地元では有名なステーキハウスで、いつも人気だという。
丘の下に車を停め、近くの石段を登ってその店へ向かう。

海岸沿いにあるその店はとても美しい場所にあり、少し離れた小さな街が一望できた。
あと数分で沈みそうな夕日が、小さな湾をかろうじて薄暗く照らしていた。

暖色のライトで照らされた店内に入り、ホールにいた女性に促され席に座る。
飲み物を頼むと、揚げパンの様なツマミと共に、ビールが運ばれてきた。

店内は思ったよりも暗いのだけど、その後日本のドコモカシコモが明る過ぎるのだという事に気付くまで、もう少し時間が掛かった。

テーブルクロスは昔っぽい白と赤のチェック柄のクロスで、何年も使われていそうなガッシリとした木製のテーブルによく映えた。

暫くして、前掛けをした店のオーナーが近づいてきた。
目はあまりよくないのか、度数の高そうな分厚い眼鏡をかけていて、見た感じは70を超えた感じの、シワの深いヒゲの爺さんだった。

取引先とは古い馴染み客の様で、皆ハグをしたりキスをしたりして挨拶を済ませると、脇の棚からメニュー表を出してくれた。
そこには色んな種類の牛肉が載っていて、空腹で気絶しそうな僕は隅々までメニューを見たあと、ブラックアンガスを指さした。

彼は笑顔でムイビエン(わかりました)と言い、奥のストッカーから大きな肉の塊を出してきて、僕の前にドスンと置いた。

肉は黒ずんだ紫色をしていて、田舎者の僕は最初それを腐ってるのではと思ったが、それは熟成肉で、何日も絶妙なコンディションで仕上げられた素晴らしい肉だった。

「これは良いブラックアンガスですね。」

と、イカにも以前からブラックアンガス通です

という顔をして尋ねると、彼は違うと答えた。

めちゃくちゃ恥ずかしい。

今日はブラックアンガスよりも、この国産のフィレ肉を食べて欲しい。

とオーナーは勧めてきた。

僕はついさっき彼がオーダーを取った意味がわからず戸惑ったが、オーナーが勧めるならそれにしようと快諾した。

続けてステーキ用の長いカービングナイフで、肉をカットする位置をジェスチャーで尋ねてきた。

当時は若かったしペコペコだったので、思い切って結構な量の位置を指さすと、

彼は嬉しそうに全然違う位置をカットした。

”思い切った位置”から倍はありそうな所にナイフを入れ、僕が叫ぶと彼はまた嬉しそうに、ビエンビエンと言った。

どこがビエンなのかは今ひとつわからないけど。

肉塊の隣りにある古い金属の秤の上にカットした肉を載せると、針は1.4キロを表示していた。

こんな量は無理だと、直感的に思った。

前菜が運ばれる。
ゴロゴロのまま蒸されたマッシュポテトにパンが運ばれ、間もなくワインもサーブされた。

チリはワインの他に有数のポテト産地であり、ヨーロッパから移民が伝承してきた品種を今でも大事に残していて、多い地域ではそれが数十種類にもなった。

取引先の彼らといつものくだらない冗談を言い合っていると、そこに完璧に焼き上げられた赤肉のステーキが運ばれてきた。

デカい…

自分はよく食べる方だと思うが、チンタラ食べていると全然量が食べられないインチキ大食いなので、運ばれた矢先から一生懸命食べた。

すると、びっくりするくらい柔らかい肉質や塩味(えんみ)、焼き加減が完璧に仕上がっていて、飽きること無くその肉を平らげた事に自分が一番驚いた。

彼はそれを見て嬉しそうに、

ペルフェクト(Perfect)と誇らしげに親指を上げて言った。

そんな思い出があった翌年にも、同じ店へ行った。

店主は棚から取ったメニュー表を出してくるんだけど、相変わらずオーダーを全くきいていない。
そして今度は何も言わず、肉をカットしてきた。

針はほぼ正確に1.4キロ付近を指していて、それと同時に僕は理解した。

そうか、これは元々どんな客でも1.4キロのステーキを売る店なんだ。

するとテーブルの向かいで、取引先は僕を見て笑っている。

なぜ笑うのか尋ねると、彼は言った。

「ここのオーナーは、アツシが昨年ここに来たことを正確に覚えているんだ。彼の一番のウリは記憶力で、一度訪れたお客がどんな焼き方が好きだったのか、どの程度量を食べられたのか、全てを覚えているんだよ。すごいだろ?」

彼はかなりの高齢だがそれが一番のお店のエンターテインメントで、そんな事が可能なのかと本当に驚いた。
よく見れば、他のテーブル客のステーキは大きさがそれぞれまるで違っていた。

年に1回の訪問だがその後も数年店に通っては、彼は何も言わず1.4キロの肉をカットした。

どうやったらこんな記憶力を維持する事が出来るのか、まるでマジックでも見ている様だった。

そして暫く訪問する機会が無くなり、数年が経過した。

彼は本当に多くの人々に愛され、天国へと旅立った。

残念ながら彼の焼く最高のステーキをもう食べる事は出来なくなってしまったけど、小高い丘にある美しいコテレーは、今も彼の息子が続けている。

彼が父親と同じ様に肉を焼いてくれなくても、食べる量を覚えていてくれなくても構わない。

ただ、コロナが落ち着いたら、必ずあの店に訪問したいと思う。



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