【映画レビュー】劇場版 Fate/stay night [Heaven‘s Feel]lll.spring song 評価:○

※本レビューは映画の結末にガッツリ触れております。ご注意下さい。

※全文無料で読めます。投げ銭して頂けますと嬉しいです。

■聖杯戦争とかサーヴァントとか、ちんぷんかんぷんな、そこのお父さん達に捧ぐ


映画は、前作のラストの直後から始まる。実の兄を殺し、ついに聖杯として覚醒を果たした間桐桜。恐るべき力を手にし暴走を続ける彼女をとめるため、衛宮士郎と遠坂凛、そしてイリヤスフィール・フォン・アインツベルンは共闘を続けていた。しかし事態は悪化する一方。その上最悪の存在がこの世に生み出されようとしていた。

最近息子や娘、別に配偶者でも孫でも部下でも何でもいいのですが、Fateとかいうアニメやらソシャゲのことを何やら話しているが、てんでさっぱり内容が理解出来ないというそこのあなた。話に入りたくても入れないのでしょう。まあ尤も家長や管理職というのは孤独な生き物であり、くちばしを突っ込んだところで邪険にされるのがオチでしょうが、全然知らないよりはましでしょうからここではまずお知恵を授けたいと思います。知ってるよという人はこの項を飛ばしてください。

そんな訳で、まずFateについて簡単に説明したいです。美少女ゲームブランドTYPE-MOONが2005年に発表された成人向けゲーム『Fate/stay night』を皮切りにして、あれよあれよと大進撃を続けているドル箱商売、もとい人気ゲームシリーズです。コミックや映画、ソシャゲといったメディアミックスをはじめ、原作『stay night』の前日譚的エピソードの『Fate/Zero』といった外伝も次々発表され、その世界は広がり続けるばかりです。

Fate世界の根幹をなす聖杯戦争だが、簡単にいえば過去の英霊(サーヴァントと称される)を魔術師が現代に召喚し、その英霊同士で殺し合いをさせるといったもの。例えば、ブリテン伝説のアーサー王VSギリシャ神話のヘラクレス、という時を超えた夢のドリームマッチが行われたりする。長州力と力道山が実際戦っていたらどっちが勝つのかな・・・・・・という男に産まれたからには一度は妄想するアレです。で、最後の一人になったら賞品(聖杯と呼ばれる、何でも願いを叶えてくれるやべぇアイテム)を手にすることができる訳です。

偉人を召喚してこき使うくだりなど、山田風太郎の『魔界転生』をほうふつとさせるアイディアですが(ちなみに『Fate』原作者の奈須きのこ氏によれば、山田の同作はFate執筆のきっかけにもなったのだとか)、それ以外にも山田文学と共通点があったりもします。それは、伝奇小説とミステリを混ぜ合わせたスタイルであることです。

山田風太郎の忍法帖など読んでいると、流石こうした手法の先駆者だなと感心すること請け合いです。SF小説の創作論において「大きなウソを1つだけ付け(つまり、それ以外はリアリティをつきつめよ)」というドグマがよく上げられます。山田の忍法バトルたるや確かに非現実的であるのですが、しっかり大衆小説レベルでは十分すぎるリアリティが担保されています。厄介な術を駆使する敵ニンジャや化け物をぶち殺すためにあれこれ策を練るのですが、その解決策がパズル的というか謎解きのようで、読んでいると意外と納得してしまいます。突拍子もない術やアイテムを敢えて先に出しておいて、ちゃんとそれを使って謎解きをするので一応筋が通っています。それ以外は大衆小説的な文脈に沿って、政治ドラマや恋愛なんかが描かれるので、しっかり読者の共感も得ることが出来ます。

一方Fate世界も一応そうした方法が踏襲されているのですが、嘘は1つどころか、作家が作り上げたルールまみれです。良い言い方をすれば緻密な世界観。はっきりと言えば何でもありでずるいといったところか。ちゃぶ台返しなど当たり前。困難を打ち破るアイテムや必殺技が、何の伏線も脈絡もなく登場したりする(本作にでてくる宝石剣ゼルレッチがそれに当るでしょうか)。まぁそれは作家当人の頭の中では当然のこととして描かれ、また彼を信望するファンの脳内でもまるで当たり前のような事として難なく補完されることになる。ミステリの醍醐味である謎解きにしても然り。その謎をとくためのロジックというのも、やはり魔術といった非現実的なツールに依存しています。同世界観の『空の境界』や『月姫』、またミステリ的要素が強い『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿』でもこうした手法がふんだんに利用されています。もうType-moonのお家芸みたいなものです。

ここまで読んで、正直ついていけないという人もいるでしょう。しかし一方で、です。こうした俺ルールまみれの中二病作品であっても、大人の鑑賞に堪えうる要素というものがあるのです。そうした大事なものを忘れずに書いているからこそ、ここまで支持されているという気がします。前作Fate/stay night [Heaven's Feel]の第一章・第二章に続き、「人間の脆さ、ダメさ」という普遍的なテーマをとことん追求されます。

なお映画を楽しむにあたり、前二作の鑑賞は必須です。未鑑賞の方はサブスク等で2作を視聴後に映画館に赴いて下さい。とりわけ第2作は傑作なので、見て損はありません。

■間桐桜という記号と、それを取り巻く弱き人々


間桐桜は本作のメインヒロインにしてラスボスという、なんか複雑すぎる背景をもつ少女です。彼女がそうなってしまった原因というのが酷く、簡単に解説すれば古くから続くしょうもない因習のために、屑兄貴からの性暴力に苦しみ、クソジジイに体を魔改造されていたりいるからです。彼女はその仕打ちその苦しみを、誰にも明かすことなく我慢し続けていた。沈黙を穿けば、自分ひとり我慢すれば皆幸せになれると信じていたから。しかし弾みで兄貴をぶち殺した結果、たかが外れたという訳です。

どんな事情であれ、他人を人柱に建てたり、口減らしをするようなやつは総じて屑である。ましてそれが自分より弱い立場の人間のではあれば弁護のしようもない。お前がさっさと死ねよ、という話だ。

しかし日本というのは本当に変な国であり、被害者を救うどころか逆に加害者を擁護してしまう。そういう考えは、我々の言語や制度や政治、この国の風土の中に沁みついてしまっていて、そのお陰で今日に至るまで改善される見込みも立っていない。だからこそだ、桜の置かれている境遇というのは非常に説得力がある。

また彼女の容姿についてですが、我が国が誇るアニメーターによってスタイルがよく描かれ、ロングヘアの白いワンピースと、東宝の古き良き青春映画のマドンナというか、ギャルゲーのヒロインかくあるべしといった押し出しです。しかし、この容姿ですら「おれたちが望む、理想のいい女」という歪んだ投影、記号に他ならない。これは相当穿った見方だなと自覚して書くのですが、つまるところ間桐桜とは、我々消費者の願望をそのまま反映さデザインされた商品にほかなりません。

だからそんな彼女が怒りを爆発させても、仕方ない。訳のわからない慣習で肉親からは迫害され、誰も見てみぬふりで助けてくれず、おまけにメタレベルですら誰かの価値を押し付けられていたのですから。強大な力を手にし、その価値を雄弁に語るその言葉は稚拙です。まるでどこぞの俺ツエー系小説の主役のように、パワーこそ正義なりとやっすい事を語るのですが、声優の下屋則子さんの熱意あふれる演技のおかげで圧倒されます。

映像の力も見逃せない。三部作を通じて須藤友徳監督が作り上げた映像というのは、アニメの筈なのにどこかレンズ越し撮られたような奥行きを保っていて、極めて実写映画を意識して作られている気がします。また、邦画特有のちょっと間が演出によって差し込まれます。野暮な説明は極力省かれ、それこそ押井守監督のレイアウトシステムを思わせるやり方で画面に強度や意味をもたせ、またカットバックやモンタージュ等の昔からある技術を駆使することで、私たちに登場人物の背景や心情といったものをスマートに理解させます。

後述するド派手な戦闘を除けば、こうした割と丁寧な仕事でドラマをやっているという印象です。特筆したいのは、凛と桜、血の繋がった姉妹が戦うその最中、彼女たちの過去がカットバックという手法で唐突に差し込まれます。それはただ幼き日の姉妹がカードゲーム(ブラックジャック)を興じているだけの、一見すれば他愛のないシーンです。

しかし二人の手札と表情に注目すれば、それが凛の優しさや愛ゆえの弱さ、脆さ、ツメの甘さ・・・・・・言ってしまえば誰が持っている人間のだめさ、不完全さを表現したシーンだとわかります。それは愚かであるがゆえに尊い。こういう人間の愛ゆえの弱さ、言動とその行動が一致しない不確かさの描写は当然ヒーローである士郎にもあり、彼が自分の弱さと向き合ってこそ、初めて桜を救う力を得ることが出来る。こうした弱さを自覚しながらも、それでもくじけずに手を差し伸べる人間しか、ヒーローになれないのです。そう愚直なまでに、歌い上げます。これこそ人間讃歌です。

なお、主人公の士郎は勿論、あろうことか悪のマーボー神父こと言峰綺礼といったキャラにもこうした弱さの描写が与えられ、キャラに精神的な奥行きを与えています。

どのシーンも素晴らしいが、とりわけ先述の姉妹のポーカーのシークエンスは、そのわかり易さといい知的さといい差し込まれたタイミングといい、本作屈指の名シーンと言って差し支えない。その長さ数十秒といったところなのに、凄くフックの効いていて印象的なシーンです。

■神作画&CGの融合合体による超絶ラストバトル

さて、終盤のスーパートンデモバトルにも言及せねばなるまい。意外だが、ユーフォーテーブルのお家芸であるアクションに関しては、ラストに至るまでその爪を隠していたと言わざるを得ません。中盤の士郎VS闇落ち版バーサーカー戦についても、確かにエミヤ推しにとっては凄いアツいシーンではあるものの、どこか抑圧的というか、敢えてパワーを抑えた印象があります。最終章でこの余裕です。本作を手掛けたユーフォーテーブルといえば、アナログ作画と3DCGの融合による映像美、現状この分野ではトップクラスとみて間違いないでしょう。そんな彼らが放つ渾身のラストバトルは、ライダー&士郎VSセイバーオルタのデスマッチです。思えばセイバールート、凛ルートではかませ同然のライダー姉さんでしたが、しかしここでは愛する者のため、作中最強の敵相手に後れをとることなく、鬼神の如き強さを見せつける。あまりにヒロイックで、何よりそのプリマ・バレリーナのような体から繰り出される、物理法則を無視した変則攻撃に痺れること間違いなしです。

ゴングがなると同時に、もう凄いんですよ。機動性に優れたライダーの攪乱&けん制と、兎に角一撃が重いセイバーオルタの迎撃。しかしライダーの動きがあまりにも高速で、私たちは彼女の姿を目で追うことができない。私たちが目にするのは、驚くなかれ、彼女が通り過ぎた後の光景なのである。セイバーオルタの攻撃を紙一重で回避しているらしいのだが、私たちが見るのはセイバーオルタが放つ攻撃の余波で舞う尋常でない量の粉塵や崩落する岩石、そして爆風のみです。外連味ある3DCGの特殊効果が奏功してか、その破壊描写っぷりたるや爆撃そのもの。そうした高濃度の情報が横溢する画の片隅にちらり、と姿が映ったかと思えば一気に距離を詰めて反撃に転じる。両者たった一つの判断ミスが死につながる、尋常でない緊張感に満ちています。また、そうしたハイスピード展開の中、須藤監督は見事でタイミングで一瞬の「間」を敢えて置いてくるのがすごいのです。囲碁の名手かな?

こうした常人の動体視力では追いきれぬ戦闘を流しておいて、途中経過を魅せてくるのだからたまらない。須藤監督はドSです。そうしていつしか私たちをサーヴァント同士のバトルに巻き込んでいく、そのテクニックに拍手を送りたい。アニメの白兵戦というのはともすれば、大人の鑑賞者からしたら非合理的なものと映るものではある。しかしそんな余計なこと考える暇もないほどこのシーンはすごい。

■ラストシークエンスの違和感

この映画、ラストに違和感を感じませんでしたか? 私はドチャクソ違和感を感じていて、映画館を出た後もそれを引きずっててぼんやり考えてました。映画を見た人の感想などネットで探して見ていたのですが、そういう同意見はほぼ皆無でした。ワイだけ一人違う映画を見ていたのか・・・・・・まぁせっかくなので、シメになりますがその違和感について書いていきます。

1つめ。戦いの後、消滅した士郎を復活させるため、生き残った凛と桜が世界中を旅します。その旅の果て、ちらりとドラえもんのコピーロボットのようなものが映ります。おそらく、残った彼の魂を移住させるための、依代的な何かと思われます。このシーンも説明が一切ないため、多分私のような原作未プレイの鑑賞者は、まぁまぁ混乱する気がします。で、彼女たちの御蔭で士郎は無事復活を果たします。しかし私ここでまた混乱しました。その直前の大河先生のセリフ「あいつはいつ帰ってくるのかな〜」というセリフと一瞬矛盾が生じているような気がしたからです。ラストはどこか駆け足で、大河先生のセリフ→士郎復活までのスパンがあっという間だったので、ちょっと混乱したのですが、まぁいいやって感じで自分の頭を納得させました。

2つめ。桜の処遇です。彼女は自分の意思ではなかったとはいえ大量殺人を犯しています。しかし、魔術絡みの事件は基本この国の警察は動かない。立証も出来なさそう。それは法治国家としてどうなん? という思いもありますが、それ以上の設定の深堀りは野暮なのでストップです。

彼女は自分の日常を取り戻し、大好きな士郎や凛ちゃんに囲まれ、新しい人生を歩んでいくことを示唆して幕を閉じる。一連の事件の後、彼女が何かペナルティを受けたのか、お咎めなしだったのか、彼女に罪の意識があるのかどうか・・・・・・実はこのラストではそうした事が全然判りません。一応法治国家に生きているし、ちょっと気になる。

これ、私の勝手な解釈ですが、われわれ観客の世間とというやつと、アニメの世界は切り離されたのだと思います。私たちがつい抱きがちな、出歯亀的な意識や思慮が届かないような場所に士郎や桜は旅立っていって、我々はそれを遠く離れたところから見守っている感じです。古い映画ですが、まるでエミール・クストリッツァ監督のアンダーグラウンドのラストのように。これでFateの映画は終わりだよ、君たちは日常に戻って仕事したりしさない、といった塩梅です。映画が終わった後の、あの妙な切なさの正体はこれだったのかもしれません。以上、くそ長い文章になってしまいました。ここでレビューを終えます。結論としては、いい映画だったという他ありません。

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