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ハンデ戦。

1995年3月20日、サリンガスの撒かれた電車に乗り合わせ被曝。日本は本来、このような人の面倒は組織がみるのだが、事件後すぐに会社を飛び出した。後遺症が出てき始めたのは2002年ぐらいからだった。組織に属さない被害者は日本では血を吐くことになる。私が文章を書き、映画を作るのはハンデで戦えることをしているからだ。会社で働けるなら会社で働いている。2014年に無理な四国の撮影に雇われ、飛行機の中で腰の骨が突然骨折した。私のハンデ戦は続く。(207)

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