昭和の成功像の亡霊に負けちゃいけない
近所のお蕎麦屋さんでお蕎麦をすすっていたら、隣の席に座っていた中年女性の二人組の会話が耳に入ってきました。
「うちの息子、発達障がいなんだって。学期の途中だけど、特別支援学級に入れって担任から言われたのよ。もうショックで。これまで私立の中学に入れようと、塾に通わせて、頑張って送り迎えしてきたのがバカみたい。親ガチャとか言うけど、子ガチャもあるよね」
そんな内容の会話でした。
断片的な会話だから、詳しい事情や背景は分かりません。
ただ、その会話を聞いて自分の子供の頃を思い出しました。
43歳の自分が子供の頃って、「勉強して、いい学校入って、大きな会社に入れば、幸せな人生を送れる」みたいなのが、親世代が描く成功像みたいなところがありました。世の中の平均値のちょっと上(中の上から上の下くらい)を目指す的なイメージです。
その後、日本社会や世界情勢の変化に伴い、昭和の成功像が徐々に崩れ、「いい学校に入っても就職できない」になり、さらに「就職できてもそこまで待遇が良くない」「突然会社が潰れた、首になった」になり、今では「大手に入ってもブラック企業体質だった」とかも出てきて、昭和的な成功像を目指しても、その後の明るい未来をイメージしにくくなっています。
世知辛い世の中です。
ただ、世知辛いと強く感じてしまうのは、昭和の成功像を目指すことをまだ諦めきれていないからなのかもしれないなぁと最近、思ってます。
実際の世の中は、
「勉強して、いい学校入って、大きな会社に入れば、幸せな人生を送れる」
から
「勉強して、いい学校入って、大きな会社に入れなければ、幸せな人生を送れない」
になり、
今の世の中的には、
「勉強して、いい学校に入って、大きな会社に入っても、幸せな人生を送れるかは自分次第」
にシフトしてきているのかなと思います。
幸せへの道は1つだけじゃないし、いろいろなことの変化が早い今の世の中では、むしろ1つの成功像に縛られる方が、不幸かもしれません。
いい学校に入ったからって、未来が約束される時代じゃないし、大企業でも安泰じゃないし、高収入の仕事は高確率で激務だし、そもそもどんな会社、仕事も大変な世の中です。
昭和の成功像が長らく、それなりに幸せそうに見えていたから忘れていましたが、太古の昔から人間の幸せなんて、人それぞれで、最終的には、自分で模索しながら、自分なりの幸せな形を見つけていく方が、自分自身の幸福度に直結していくんだろうなと思います。
とはいえ、今の世の中にも、昭和の成功像を良しとする価値観は残ってますし、昭和の成功像をこじらせた「成功像に続くレールから外れたら不幸になる」みたいな強迫観念的な価値観は未だに根強く残ってます。
でも、逆にその流れに乗る方が、つらく、苦しく、厳しいレッドオーシャンでの戦いが待っていたりもします。
覚悟や目的を持っていれば、その道を選ぶのはアリですけど、模索しても、ブルーオーシャンを探したいなと今は思います。
冒頭の女性のように、最近、友人の息子くんが、学校から特別支援学級入りを告げられました。朗らかな性格の友人は、そのことを受けて「息子にとってより快適な環境になるならそれも良し」と語っていました。
なんかそんなスタンスの方が、幸福度は高いだろうなと思いました。
自分も有給消化が1日、1日と過ぎて、無職へのカウントダウンに焦りを感じて、早く次を決めなきゃと思っていますが、結論は急いじゃ行けないなと思っています。
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